« 終わりよければ ま、いっか(後編) | トップページ | 戦災も天災も忘れちゃならない(後編) »

2011/06/23

戦災も天災も忘れちゃならない(前編)

 日本は今、戦後、類を見ない震災に見舞われた。
 戦後に限らず、日本の近代以降の歴史の中でも指折りの事件の渦中にあると言えるだろう。
 
2011_0622071003tonai0006

→ 我が家の裏庭にある納屋の前から、夕景を撮ってみた。眼下には、水田があり畑がある。

 東日本大震災が、それほどに未曾有のものであることは否定のしようがない。
 しかし、テレビなどで、被災民じゃない人たちが(インタビューに答える形で)、今回の震災で、電気や水道、生活上の利便性など、当たり前に享受していたものが、決して当たり前じゃなかったと気づかされたとか、家族や友人・知人、近所とのつながりや絆の大切さを再認識させてもらったとかいった話を聞いたりすると、やや違和感を覚える。

 繰り返すが、少なくとも戦後において、未曾有の震災だったことに異論を唱えようというわけではない。
 なんといっても、東電・福島原発の事故の未だ終息の見通しの付かない状況を鑑みると、事変の悲惨さは、被災地に居ない者には想像もつかないものがあるはずである。

2011_0622071003tonai0007

← 勝手口から表のほうへ回る小道。左には庭木、右には寝室と書斎。

 それでも、上記のような発言が、若い世代の者から発せられているのなら、それはそれで理解の余地もないわけではない。
 しかし、小生などよりずっと年配の方の口から、そんな言が出てくると、ちょっと待ってよ、と思ってしまう。


 戦後、たとえば、阪神淡路大震災では、死者・行方(安否)不明者の数は、6437人。
 伊勢湾台風では、死者・行方(安否)不明者の数は5098人。
 太平洋戦争では、約50万人の戦死者(内地のみ。外地でも約30万人。戦いに巻き込んだアジア各国の死者は数千万人か)。

2011_0622071003tonai0008

→ 同じ小道で、ちょっと目線を空に向けて撮影。左には、ユリノキ。

 戦前を見ると、たとえば、関東大震災の死者・行方(安否)不明者の数は、142807人。
 明治三陸津波では、死者・行方(安否)不明者の数は、27122人。
 濃尾地震では、死者・行方(安否)不明者の数は、7273人。

 別に死者・行方(安否)不明者の数の多寡を忖度しようと言うわけではない。
 
 大切なのは、このたびに限らず、特に戦災で、数十万人規模の戦死者(戦災死亡者の数はもっと)がいたという事実である。

 戦災ということなら、原爆のことを逸するわけに行かない。


 広島での原爆では、原爆投下「当時の広島市内には約34万2千人がいたが、爆心地から1.2kmの範囲では当日中に50%の人が死亡し、同年12月末までに更に14万人が死亡したと推定される」。

2011_0622071003tonai0009

← ゴーヤに花が咲いた。こんなに早く開花する?

 長崎での原爆では、原爆投下「当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼった」。

 日本人は、日本が、日本の広島や長崎にアメリカ軍によって原爆を投下され、甚大な被害、膨大な数の被害者死者罹災民を生み出されてしまった、その現実を忘れたのだろうか。
 原爆の投下は、今となっては、8月6日、8月9日だけのメモリアルイベントに過ぎないのだろうか。
 そんなはずはない!

|

« 終わりよければ ま、いっか(後編) | トップページ | 戦災も天災も忘れちゃならない(後編) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

社会一般」カテゴリの記事

富山散歩」カテゴリの記事

写真日記」カテゴリの記事

コメント

原爆と言えば広島、長崎で二重に被害を受けた方を外国のテレビ局が世界一運の悪い人溶か笑い者にしましたね。
加害した方はそのことをすぐ忘れるけど被害受けた方は絶対忘れません。
今回の大震災でボランティアは阪神淡路の3分の1とか。
地元ではもう風化したのかと驚いているとかー。
こんなときに首相交替でもなかろうに。
あの原子力推進した中曽根さんが、サンデー毎日の対談でこれからは自然エネルギーの時代と説いていました。
いきなり原子力発電ゼロにするわけにもいきませんから、徐々に減らしていくのが賢明かな。

投稿: oki | 2011/06/23 21:55

okiさん

「回の大震災でボランティアは阪神淡路の3分の1とか」に驚きました。
そこで調べてみたら、たとえば:
http://blog.livedoor.jp/snifftroll1/archives/65735772.html

もう少し、事情を分析する必要がありそう。

原発は、徐々にでも、廃炉にしていくしか、もう選択の余地はなくなりつつありますね。

そうですか、「原子力推進した中曽根さんが、サンデー毎日の対談でこれからは自然エネルギーの時代と説いていました」か。
推進した責任をどう考えているのでしょうか。
読売(正力)グループは、アメリカの言いなりだったのでしょうけど、アメリカには逆らえなかった、仕方なかったと、勝手に納得しているのでしょうか。

広島・長崎を経験した日本は、原発に手を出すべきではなかったのです。
最初からソーラーなど、再生可能エネルギーへ力を入れていたら、もっと違う社会が実現していたでしょうね。

投稿: やいっち | 2011/06/24 22:40

うちは東京新聞で原発事故のこと毎日取り上げていますが、読売新聞は酷いですね。意図的に原発事故のニュースをスルーする。携帯でも大震災のニュースはどこの新聞も無料ですが、読売新聞は
原発関連のニュースは会員しか読めないようにしている、ひどい。
ところでサンバのリベルタージが7/3の新宿薬王寺柳町七夕祭りにでるとか。
今年は浅草サンバが中止とのことでなつかしくないですか?

投稿: oki | 2011/06/25 22:06

oki さん

読売新聞は、特殊な新聞ですね。
世論を特定の方向に導こうとする露骨な意思を隠さない。
一貫してアメリカ政府(筋?)の意向に沿おうと紙面づくりをしている。

原発推進政策を今も堅持している。
別に独自の見解を持つのは構わないのだが、報道機関の端くれなんだから、少しは客観報道の努力もしないとって思うのですが、ありえないことなのかな。


「リベルタージが7/3の新宿薬王寺柳町七夕祭りにでる」!
東京在住時代は、毎年、パレードを見に行っていた。
懐かしいです。
観たい気持ちはあるけど、当時、知っていたメンバーが、チームを抜けたか、引退している。
気持ちはだから、ちょっと複雑ですね。
東京在住だったら、断固、応援に行くんだけど。

投稿: やいっち | 2011/06/26 21:00

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 戦災も天災も忘れちゃならない(前編):

« 終わりよければ ま、いっか(後編) | トップページ | 戦災も天災も忘れちゃならない(後編) »