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2011/05/28

文殊の知恵かな

 過去の日記をあれこれ見直していたら、8年以上も前に、近い将来、原発は日本にとってお荷物になるに違いないと論じていた小文が見つかった。

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← 今にも泣き出しそうな空のもと、南面する車道沿いの細長い花壇を見て回った。苗を植えたゴーヤや朝顔、マンデビラなどの育ち具合を確かめたかったのだ。すると、花壇の隅っこの寒菊や笹の群生する一角に朝顔を発見。直径で3センチもない、小さな花。野生というわけじゃないけど、小生が苗を植えた花じゃないのは確か。これで3輪目だ。もっと育っていたかもしれないが、若芽のうちに雑草と見做して毟り取ったのだった。あーあ、である。

 本文を読み返してみて、我ながら先見の明がある内容だと感心しそうになった。
 でも、この8年の科学技術の進展や時代の変化を鑑みても、かなり頓珍漢な考察ぶりもあったりして、ほほえましいというか、気恥ずかしいというか。

 いずれにしても、ホームページの旧稿では、日の目を見そうにないので、ブログに載せておく。

 このたび表明された、国の(菅首相の)エネルギー政策は、どうにも中途半端なものだ:
自然エネルギー拡大へ民間パワー活用 菅首相が表明

 一方、こういった論議もある:
自然エネルギー「2030年に40%」 民主党部門会議

 こういった自然エネルギーへのシフトの動きは、一旦、始まったら急加速する。
 それが日本の強みでもある(弱点となる場合もあるが)。

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→ 昨日(27日)の朝、小雨の降る中、庭や畑を見て回った際、ちょっと驚きの発見があった。畑の隅っこにムラサキツユクサなどの群生する一角があるのだが、その中になんと、アヤメ(菖蒲)が何輪か混じっていたのだ。昨年は、ここにジャーマンアイリスなどが目立っていたのだが、アヤメはなかったはず。花びらの形からすると、カキツバタの可能性もあるが…。
 
 原発も一定の役割を担ってもらうが、自然エネルギーも大いに推進していく。
 原発は、小生が思うに自然消滅的に徐々に順番に全て廃炉に向かわざるを得ないだろう。

 原発に依存する自治体は多い。
 原発に関わる仕事に携わる人も多い。
 どうすべきか。
 宮城県など、震災被災地域に、スマートグリッドなど先進的で意欲的な街作りが復興計画に織り込まれるという。
 小生は、原発立地県(道)などにも、原発に代わる産業振興策(仕事・雇用を増やす策)として、優先的にスマートグリッド(街づくり)計画を導入したらと考える。
 原発を廃炉にする見返りに、変に補助金で糊塗するより、よほど将来性がありそうだし。

 
 

文殊の知恵かも

(前略)
 折りしも27日、高速増殖炉もんじゅを巡る裁判で、名古屋高裁金沢支部により国側にとっては厳しい判決が下された。
 福井地裁での住民側に厳しい判決が覆されたのだ。
 これにより、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」に対する設置許可処分が無効となった(尤も、国側は上告する意向のようだ。もう、悪足掻きは止めたほうがいいのではないか。何十年も前に決めた原子力政策は既に妥当性を失っているのだ)。

 判決文の中で、文殊が決して安全性が確保されてきたとはいえないし、依然として事情が変わっていないことを指摘している。しかも国の安全審査自体が機能しているとはいえないとまで指摘(この点は福井地裁の判決でも指摘されていた)していた。
(中略)
 彼らの側(もんじゅの運転再開を望む電力業界)の説明を引用すると、「もんじゅは、原子力発電所の使用済み核燃料から再処理して回収したプルトニウムを使って発電する。運転しながらプルトニウムを増殖するため「夢の永久エネルギー」などと言われてきた。日本が目指している核燃料サイクルに欠かせない原子炉」となる。
 従来の原子力政策を推進しつづける限りは、なくてはならない、また稼動させなければならない施設だということだ。プルトニウムの貯蔵の問題を抜きしても。

 もんじゅや核燃料サイクルに好意的な立場の方からも、「ここ数年のウラン需給をみると、高速増殖炉であえてプルトニウムを増殖しなくていい。ナトリウム以外の技術や高速炉運転(増殖しない運転)など新たな使い道を考えるべきではないか」という意見が出ている。

 日本はこれまで国内に資源が乏しい国だと言われてきた。
 石炭は昔の話として、石油は中東を初め国内で消費する大半が輸入に頼っている。中東情勢に過敏になるしかない国なのだ。アメリカがイラクに戦争を仕掛ける段取りが着々と進んでいる。その目的は、何もイラクが悪の枢軸とかということではなく、アメリカのエネルギー戦略の上で、世界第二の石油埋蔵量を誇るイラクを牛耳るフセイン政権が邪魔でならないからであることは、言うまでもない。

(中略)

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← もう十数年も昔から、元は我が田で、今は人の手に渡り、畑となっているその畑と、我が家の裏庭とが接する一角に、大きな甕(カメ)が置いてある。その甕は、いつの間にか、スイレン(? 多分、ハスじゃないと思うが…)が水面を埋め尽くすようになった。父母がこの甕をそのために使っていたのか、それとも、知らない間にスイレンの池になってしまったのか、その事情は、今となっては、分からない。未だに花の咲く場面に遭遇していないのが残念。

 さて、石油資源の確保も日本にとって大切である。が、石油に依存しすぎることは、今般のアメリカのイラク攻撃に無条件に従うしか選択の余地がないという弱みを持ってしまうことからも分かるように、日本としては極めて拙い。だからこそ、原子力政策を推進してきたわけだ。そして、今では稼動分だけに限ると日本で消費するエネルギーの3分のⅠが原子力に依存している結果と成っている。

 が、あまりに盲目的に(あるいは住民など民間に目を閉ざされているという意味でも盲目的に)推進したため、安全の確保をないがしろにしてしまった。それが過去のもんじゅのナトリウム事故などであり、原子力発電施設での数々のトラブルなのである。結果として、近く全ての原子力施設の稼動を止めて点検することを余儀なくさせている。

 原子力を推進する政府の頑なな姿勢の結果なのだが、過度に原子力に依存しようとしたための弱点がモロに出た恰好だ。政府の秘密主義が、結果として内部での安全点検の怠慢に繋がったのである。
 こうした結果、場合によってはピーク時の電力が確保できるのかという懸念をもたれるようになったのだ。
 が、今となって原子力発電に力点をおく政府の政策をやめるわけにはいかない。やはり、当面は稼動しつづけるしかないのだろう。

 問題は、将来である。もしかしたら、1995年のナトリウム漏れ事故や今般の国側にとって厳しい判決というのは、まさに今、文殊の知恵を搾り出せという天の声なのではないか。
 当面はともかく、近い将来は、原子力が無用の長物とまでは言わないとしても、国にとって重荷になる危険性が高まってきたのではないか。なんといっても原子力は従来は政府など、コスト的に安価だと宣伝してきたが、実はいかにコストが高いか、従前の火力・水力より高いかはもう明らかになった。放射能汚染物質の保管など膨大な費用を要する。

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→ この植物は、毎年、春の終わり頃、梅雨の時期が近づくと群生してくる。生い茂るのは、決まってこの、一日中、日の差さない、我が家の裏道の端っこ。ハスなの?

 例えば、車では、燃料電池が近い将来の主流になる。
 名目は公害対策であり、地球温暖化防止である。有害な排気ガスを出さないこと、さらには燃費の上で高度化を進めること。これらは自動車メーカーが生き延びるためには必要不可欠なのである。
 電気自動車は、中途半端なタイプとなるだろう。所詮は原子力発電が順調に進む、しかも、コストが抑えられることを前提に稼動しつづけることを前提にしていて、机上の空論に近い。

 やはり現実性が高いのは、車などについては燃料電池になるのではないか(一番いいのは、仮にガソリンエンジンでも1リッターで百キロも走るとなれば、大分事情が変わるかもしれない)。
 さて、太陽光発電も政府によって奨励されているが、なかなか思うとおりには進んでいないのが実情のようだ。住宅の屋根や駐車場の屋根に太陽光発電のパネルを設置することは、しないよりはしたほうがいい。一定規模以上のビルの屋上に緑をという政策が行われているが、太陽光発電パネルを壁面に、という運動もあっていいような気がする。

 しかし、やはり現実性が高いのは、燃料電池のようだ。各家庭に燃料電池を設置する。各家庭というより、各地域で、あるいは各マンション・団地で共有する燃料電池を設置することを義務付けることを真剣に検討していいのではないか。
 原子力発電にしても火力・水力にしても、電源のある場所から需要のある場所まで相当の離がある。その間の移動に際し、膨大な量の電力が露か霞か幻となって消えていく。要するに電力を運ぶパイプに無数の穴が開いていて垂れ流し状態で、無駄が多すぎるのだ。勿体無い。

 その点、各家庭ないし各地域(団地・町内)単位で燃料電池を設置すれば、無駄に零れる電力はほぼなくなる。
 それに、今、北朝鮮情勢が怪しいが、嘘か真か分からないが、いざとなったら原子力施設を攻撃するとか、穏当ではない情報が流れる。それは原子力施設がウイークポイントだから日本としても懸念しているから、まことしやかに聞こえるのだ。各家庭(地域)に無数の電源があれば、何処かの巨大な電力供給施設が狙われて、一挙に電力不足の状態に陥ることはないわけだ。

 それ以上に、何かの事故(こちらのほうが現実味。それに実績もある)で止まることだってなくなる。
 あるいは送電線のトラブルもなくなる。

 今後、膨大な予算が原子力政策の推進に投じられる。
 近い将来、お荷物になると分かっている施設や政策に予算を使うなら、少なくとも新たな原子力施設を作るのはやめて、戦略的にも優れた燃料電池など発電単位の細かな電源確保に移行するために使うべきではないか。
 これから古い原子力発電所の更新の時期がやってくる。その際、新しい原子力発電施設を作るのではなく、足りない分を新しい技術開発で今や現実味を帯びた設備で補うのが望ましいのではないか。

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← 我が家(の庭)への入り口附近に、梅の木や松、サツキ、ツツジ、カエデなどと並んで、この植物も群生している。冬はこの密生する枝葉の上に雪が降り積もる。でも、平気で耐えて、春になると緑の勢いが増すのだ。未だに名前は分からないでいる。

 さて、太陽光発電も、決して無害な夢の発電ではない。このことは前にも書いた

 風力発電だって、波力発電だって、環境に負荷を与えないというわけにはいかない。人間がエネルギーを使う以上は、形をどのように変えても環境に負荷を与えずにはいない。化石燃料の消費も困るが、風力・波力なども、つまりはガイアの自然な流れを阻むことには変りはないのだ。
                        (以下、略)
                                    (03/01/29 原作


関連拙稿:
太陽光発電…広まれば日向ぼっこも夢の夢?
福島原発の事故を日本のエネルギー政策の転換の契機に

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