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2011/04/19

起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる(後編)

 それでも、過日は、新入荷本のコーナーに面白そうな本を見つけた。
 それは、ジェイムズ・D・スタイン著の 『不可能、不確定、不完全 』(熊谷 玲美/田沢 恭子/松井 信彦(訳) 早川書房) である。

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← 表の庭の松の木の根元に、謎の植物。「ほうき草」だろうか。

 著者のジェイムズ・D・スタインは、本書によると、「カリフォルニア州立大学ロングビーチ校の数学教授を長年務める」という方。それ以上の情報は分からない。

 
「本書は、「整備工場に預けた車はなぜ決して約束の期日に戻ってこないのか」、という問題を数学的に検討することからスタートし」ていて、読み始めからびっくりの話題。
 でも、実際、読んでみて、修理の過程(ステップや段取り)を考えると、なるほどと思わせられる。

 本書の内容案内によると、上掲のやや意表を突く話題から、以下の三大「できない」証明といった話題などを展開していく:

●現代物理学最大の成果である、「物体の速度と位置の二つを同時に、正確に知ることはできない(たとえば、そのものの速度を正確に知れば、位置の不確定さは無限大になり、どこにあるのかぼんやりとしかわからなくなる)」という不確定性原理
●「論理的に矛盾のない体系には必ず、その体系によっては証明不可能な命題が含まれている」と証明し、人間の理性の限界を解明したと評されることもある不完全性定理
●「個々人の選好傾向を集計することで社会的に好ましい選好を導くルールを作るのは不可能である」と数学的に証明し、「民主的な投票方法はありえない」と一般に解釈されているアローの不可能性定理 の三大「できない」証明

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→ 蔵と座敷(縁側)の間の内庭に育つモミジも、葉っぱが黄緑色。陽光に映える。

 読後感として、やや消化不良の感(欲求不満めいた)があるのだが、それは、本書の著者が「これまで多くの著者からその著書を通じて影響を受けてきた。(中略)とりわけ強く印象に残っているものを何冊か挙げると」として、以下などを示している:
ジョージ・ガモフ『1,2,3…無限大』(崎川範行訳、白楊社)
ジェイムズ・バーク『コネクションズ』(福本剛一郎訳、日経サイエンス)
カール・セーガン『COSMOS』(木村繁、朝日文庫)
ジョン・キャスティ『パラダイムの迷宮』(佐々木光俊・小林傳司・杉山滋郎訳、白楊社)
ブライアン・グリーン『エレガントな宇宙』(林一・林大訳、草思社)
同上『宇宙を織りなすもの』(青木薫訳、草思社)
(この先、あと数十年は古典として読み継がれそうなガモフの本は別格。セーガンの本も恐竜の本を含め、何冊かは古典としてしばらくは読み続けられそう。さて、ブライアン・グリーン著の『エレガントな宇宙』(林 一・林 大訳、草思社刊)については、拙稿を参照願いたい『宇宙を織りなすもの』についても、小文を書いている。まあ、「松岡正剛の千夜千冊『エレガントな宇宙』ブライアン・グリーン【1】」のほうが面白いだろうが。)

 小生は、この中の四冊は読んだことがある。
 著者はこの中でもとりわけブライアン・グリーン著の『エレガントな宇宙』や『宇宙を織りなすもの』を絶賛していて、いつか、本書も後の読者にこういった本と並ぶようでありたい、なんて書いている。
 小生自身、ブライアン・グリーン著の、とりわけ『エレガントな宇宙』は傑作だと思っている。

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← ブライアン・グリーン著『エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する』(林 一/林 大【訳】 草思社) 超ひも理論は、「宇宙の本当の姿を映し出し、万物を説明し尽くす根本の理論、究極の理論であると考えられている」が、生憎、実験などでの確認は一切、得られていない(近い将来、何らかの実験的データが出ると期待されているが)。本書が出て既に十年が経った。なかなかこの本以上の宇宙論の本には出合えない

 それだけに、読み出す際、つい過剰な期待を抱いてしまった。
 そして、ややガッカリである。
 なんとなく、尻切れトンボの感が否めないのだ。

 ところで、本書の本筋には関係ないのだが、本書の中で「マーフィーの法則」に再会した。

マーフィーの法則とは、「失敗する余地があるなら、失敗する」「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」をはじめとする、先達の経験から生じた数々のユーモラスでしかも哀愁に富む経験則をまとめたものである。多くは都市伝説の類で笑えるが、中には重要な教訓を含むものがある」といったもの。

 本書ではマーフィーの「失敗する余地があるなら、失敗する」なる<法則>に言及されている。

 言うまでもないだろうが、小生の脳裏には、この度の福島原発事故のことが過ぎっていたのである。
 原発推進者の連中は、想定外を連発していたが、小生に言わせれば、甘い(虫のいい)想定を超えていたなんて、言い訳以外の何物でもない。
 原発政策を推進し原発を作る上で、都合のいい想定を設定していたに過ぎないのだ。
 だから、ダムには小さからぬ亀裂(ヒビ)が最初から入っていて、「失敗する余地があるなら、失敗する」を地で行ったわけなのである。

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→ 表の車道沿いの花壇。チューリップやムスカリ、水仙などが開花。いい加減に種や球根を植えたので、疎らな印象はぬぐえない。花壇の隅っこには、寒菊の一群が育っている。昨年、一年もののつもりで買った寒菊の一叢は、年初早々に枯れてしまい、今日、引っこ抜いたが、その代わり、寒菊の若い葉群が生い茂ってきて、嬉しい驚き。

「失敗する余地があるなら、失敗する(起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる)」は、別の言い方をするなら、「不都合を生じる可能性があるものは、いずれ必ず不都合を生じる」という種類の「経験則」であり、もっと端的に表現するなら、「常に最悪の状況を想定すべしという観念」なのである。

「マーフィーの法則」をどう理解するかは、人それぞれだろうし、短絡的に捉えるのも困りものだが、それにしても、もっと困りものは、絶対安全を空しく(空々しく)謳い続ける、国や電力会社、学者や評論家の、小生には理解不能なマインドである。

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