「イヴの卵」とホムンクルスと(前編)
我が家の梅は今までが旬。でも来週辺りから、桜に主役の座を譲りそう。
梅と桜は共存できない。
ということで、一句:
春寒や梅と桜の泣き別れ (や)
← クララ・ピント-コレイア 著『イヴの卵―卵子と精子と前成説(THE OVARY OF EVE)』(佐藤 恵子【訳】 白揚社) 8年前に出された本で、「奇怪な発生理論「前成説」はなぜ人々の心をとらえたか?多様な生殖観が花開いた科学革命期を鮮やかに描き出す」といった本。でも、テーマ的にもだが、類書がないので、少なくとも小生には新鮮な話が多かった。それにしても、「イヴの卵」とは、意味深な題名だ。
もう、二週間以上も以前のこと、図書館で好奇心を掻き立てる題名の本を見つけた。
新刊じゃない。
この本に今までなぜ、食指が動かなかったのか。
本書の章立てを見るだけでも、好奇心の掻き立てられる人も多いのでは:
プロローグ 知る勇気
1 イヴのすべて
2 アダムのすべて
3 風は目に見えない
4 前途有望なモンスター
5 パンツをはいたカエルたち
6 Hのつく言葉
7 天球の音楽
8 魔法の数字
エピローグ 結局決着はつかないのか
→ 庭の隅っこに咲いていた水仙。過日、紹介した水仙とは種類が違う。花がやや大ぶり。今日(水曜日)も富山には珍しく、快晴が続いている。暖か。日中は暖房も要らない。
一部抜粋させてもらう:
受精という現象が解明される以前、生物学において前成説という学説が支持された時期があった。前成説とは、生物が生まれる時にはあらかじめ決まった形のものが先祖の体の中から出てくるという考えである。卵子や精子の中に、入れ子になったロシア人形のごとくミニチュアが無限に入っているというのがその主なイメージだ。
前成説が支持されたのは17~18世紀にかけての約1世紀。もちろん敗北した理論だが、顕微鏡の発明などで生物学が大転換期を迎えつつあるなか、生命の誕生という神秘をめぐってさまざまな議論が交わされた。いわば進化の過程で絶滅した恐竜のような学説、前成説。それが本書のテーマである。著者はハーバードでS.J.グールドに師事した発生生物学の大学教授。小説の執筆やポップスの作詞もこなすポルトガル出身の美貌の才媛である。本書は時系列ではなく、「卵子対精子」の闘争を軸に構成されている。まだ細胞の存在さえ知られていなかった当時、議論の中心は卵子や精子そのものだった。前成説が支持された時代の思想的背景をあぶり出しつつ、古代エジプトから現代生物学までを縦横無尽に行き来して、科学革命期における科学、宗教、哲学の本質を深くえぐり取る著者の手腕は、さすがというほかはない。
現代からみれば極めて珍奇な発見、学説はもとより、どんな説明でも可能な状況下で私たちがどのように思想を作り上げるかという点が興味深い。
一層いいのは、本書の訳者が末尾で書いている解説。
ある意味、内容の膨らみを別にすると、濃厚な本書の全体像を上手く掴ませてくれる。
さすがに、転記は控えるが。
← せっかくなので、本書の帯を解いた画像を(画像は、「Amazon.co.jp」より)
本書を読んで(まだ読み止しなのだが)、圧巻な章は(どの章も興味深い)、たとえば、精子を巡る研究と、聖書などの教えからの解釈や理解の制約との戦い。
あのひょろ長いおたまじゃくしのような精子の正体を突き止める、長い紆余曲折の研究史。
おたまじゃくしの頭の中にすでに人間の原型を見たという思い込み。
しかも、顕微鏡を通して観察したにも関わらず、(苦虫を潰したような表情の)顔やら、時には超ミニサイズの人間をさえ垣間見てしまう。
無数(数え切れないほどの)精子がなぜ、必要なのか、それとも必要ないのか。
神が結局は一匹(一人?)しか卵子と結びつかないのに、どうしてそんな多数の精子を常時、生み出すのか。
精子の(卵子との合体を目指す)生存競争という解釈。
神の似姿としての人間というのなら、なぜ、奇形が生まれるのか。
奇形の生まれるような精子(精液、精巣)や卵子(子宮)があるのか。神の悪戯、試し?
(まさか本書の中で奇形の話をたっぷりと読む機会を得るとは思いもよらなかった。)
もしかして、奇形が生じてしまうのは、卵子との結びつきのゆえなのか。
(つまり、不完全な人間に過ぎない女との結びつきのゆえに奇形が生じるのではないか、という古来からの男尊女卑の観念の延長にある、抜き差しならない疑念。)
→ 「ホムンクルスを作り出す錬金術師」 学生時代の一時期、ユングに凝ったこともあり、その流れでパラケルスス関連の本を読み漁ったものだ。(画像は、「ホムンクルス - Wikipedia」より)
そもそも、卵子の正体は何なのか。
精子が男性の体から生まれるものであり、神の似姿が男性であるなら、精子だけで十分のはずではないか。
しかも、精子の中に人間(男子)の原型(雛形)が封じ込められているのなら、卵子は、精子が育つための、ただの栄養体に過ぎないのか。
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