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2011/04/09

早く来い、老眼鏡(後編)

 何年前からだろうか、健康のための特集番組があると、特に肥満と老眼に関係する際は、見逃さないようになった。
 目にはブルーベリーがいいと知ると、早速、ブルーベリーのヨーグルトやらゼリーやらを冷蔵庫に欠かさないようにする。外出の際も、どうせ呑むならブルーベリーの成分の入った飲み物を選ぶ。

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← これも水仙なんだろう。なんだって、我が家の庭や畑には、こんなに方々に水仙が咲くんだろう。それも、種類がいろいろある。

 目が悪くなったということで、健康診断は、この数年、ビクビクもので受けている。で、小生がとうとう、自分でも老眼なのだと認めざるを得なくなったのは、一時は(若い頃は1.5だった視力が)1.0にまで落ち込んでいた視力が、検眼の結果によると、この数年は1.2とか1.5という数字を示すことだった。


 つまり、遠くのものは、比較的はっきり見えるのである。これは、運転を仕事する小生には助かる。遠くが見えないと商売にならない(尤も、この場合だって、つまりは眼鏡のお世話になれば、それで済むことだが)。
 が、日々感じているように細かな活字が追えない。これは、老眼以外に理由はありえないはずである…。

 そう、内心では、とっくに気付いていたのだ。でも、敢えて自分で<老眼>という言葉を口に出すことは、なかなかできなかったのだ。何も自慢にできることがない小生にとって、目がいいというだけが自慢だったのだ。
 友人連や家族らと歩いても、誰よりも遠くの看板の文字が読めると鼻高々だったのだ。「わぁ、あんな文字、読めるの。凄いね。羨ましいね」が、密かな心の支えでもあったのだ。

 それが、目(視力)だけはいいという自慢というか、最後のプライドの拠り所がなくなってしまったのだから、意気消沈以外の何物でもない。

 車中で地図など細かな活字を追う必要がある。その際には、数年前から拡大鏡を使っていた。それで大概は間に合っていたのだ。


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→ 裏の畑の隅っこに咲いている水仙。この種類の水仙だけは、お花屋さんで球根を買って植え、育てたもの。


 今日、夕方のこと、近所に買い物に行くついでに、自宅で使う拡大鏡を求めに眼鏡屋さんに寄ってみた。日曜日だし、どうせ休みだろうと高を括っていたら、なんと営業していた。これでは入店せざるをえない。
 仕方なく店に入って、主人に拡大鏡はないかと尋ねた。通販のカタログで見た、頭にヘッドギアで被せて使用する拡大鏡をイメージしていた。
 が、店にはなくて、カタログを見せられるだけだった。

 そして、とうとう、自分でも恐る恐る口に出してしまった。
「最近、老眼が始まってるみたいで…」
 店の人は、さすがに商売上手である。小生の躊躇いをものともせず、さっさと検眼の準備をし、さも当然のごとく、自然に小生を検眼の席につかせ、気がついたら検眼している自分がいた。
 真っ青というか紺碧の海にヨットらしきものが浮かぶ画面が眼前にある。その絵柄に目の焦点が合ったり合わなかったりしている。最初は左、次は右。

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← この種類の水仙は、買った記憶がない。それとも、混じっていた? まあ、多彩な水仙が畑や庭をにぎわすのは悪くない。

 店の人は無言のままである。片目を閉じてくださいとも、絵に焦点が合ってますかとも、何も小生に聞いたりしない。
 店の主人が最初に言った言葉は、さらに意外なものだった。
「乱視が入ってますね」
「乱視? あの、細かいのがよく見えないのは乱視のせいなんですか?」
「いや、乱視と老眼は別ですよ」

 何の事はない、老眼の前に、あるいは老眼の度の検査と同時に他の検査もされていたのだ。
 それから試用の眼鏡が提供された。

 早速、使ってみることに。
 目の前には新聞や辞書の一部を並べたラミネートされたシートが示される。
 新聞の文字は、なんとか読める小生である。
 が、右端にある辞書の活字が、ルビも含めて実によく識別できるではないか。感激すらしてしまった。今までの苦労は何だったのだ!

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→ これも水仙。我が家で今、咲いているのは、水仙だけ。

 もう、小生に抵抗する気力はなかった。そして老眼鏡を使って、また、読書を楽に楽しくできる自分の姿が髣髴としていた。この魅力、この誘惑に勝てるはずもないのだ。

 店の人は、「新しいタイプの老眼鏡が出ているんですよ」と、小生が試用した眼鏡が新しいタイプの老眼鏡であることに注意を喚起する。従来のタイプの老眼鏡は、視野が狭く、視野を外れると途端に映像がぼやけてしまう。
 その点、新タイプの老眼鏡はかなり広い視野に渡って活字がクッキリと識別できるようになっているというのである。
 店主の顔を誇らしげである。もう、こっちの気持ちが見抜かれている。
「分かりました。お願いします」

 小生に、他の選択肢は考えられなかった。後は、どんなフレームなりレンズの形なりを選ぶかという趣味だけの問題である。
 そういう問題には全く(無頓着ではないが、選ぶことに関しては)苦手な小生は、適当に柄などを選ぶ。店の人があれこれ出してくれるが、小生はもう、直感で選ぶだけである。要は、ちゃんとした老眼鏡であればいいのだ。それ以上は、あまり望まない。

 老眼鏡は外出の際には、使用しない。普段は使うと危ないというのである。あくまで手元や目の前の細かな文字や人の表情などを見る際に必要なだけなのだ。
 つまり、自分に関しては自宅で(車中で)使うだけということ。
(正直言うと、眼鏡を試着した小生は、なかなか雰囲気がいいじゃないか、似合うじゃないか、と自惚れていた。これは、内緒だ)

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← 「カエデ」などのも芽吹き始めた。晩秋から葉っぱをすっかり落として裸木になっていた樹木もいよいよ緑の季節へ。

 注文を終えて店から出る小生は、年を忘れることさえできるなら、スキップしたいくらいの気分だった。数日しないと発注した商品が入荷しないというのが、待ち遠しいのだった。昔、欲しくてたまらない玩具を注文したような気分だった。

 早く来い来い、我が老眼鏡!

                               (02/08/25 原作

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コメント

おお、老眼ですか。
僕も眼鏡屋にあと何年かすると老眼が入るといわれました。
今は近視と乱視のためめがねがないとどうしようもないですが、それに老眼が加わるのかー。
しかし弥一さん、本とかを読みづらいとは困りますね。
石原の再選が決まりました、馬鹿大臣とか上から目線で相変わらずー。
石原はめがねしていませんね。

投稿: oki | 2011/04/10 21:08

okiさん

末尾にあるように、9年前の日記です。
老眼鏡歴、9年目となりました。
メガネ(ガラス)つながりで、旧稿をアップさせました。
ちょっと懐かしい日記です。

今は老眼鏡で読書するので、面倒なのは、メガネの着脱(と、置いたメガネ探し)かな。


石原さん、タカ派節、絶好調でしたね。

パチンコや自動販売機などの電力で一千万キロワットだって。
彼の嫌いなもの、不要なものをターゲットにしている。自宅など空調の効いた部屋でワインを嗜む彼には、街中で自販機で飲み物なんて買う必要、ないんだろうなー。

投稿: やいっち | 2011/04/10 21:53

それは失礼しました、良く読んでいませんでした。
しかし余震、まだまだ続きます。いい加減にしてくれといいたくなります。
被災地では被災者同士のトラブルも目だっているようですね。
ところで、浦安では選挙の投開票が行なわれなかった。
これは、想定内?

投稿: oki | 2011/04/11 19:00

oki さん

今夕も強烈な余震がありましたね。
被災地を初め、東日本は大変。

被災者同士のトラブルは、具体的にどんなものか分かりませんが、立ち直る意欲がある限り、そこに異論・反論が沸き起こるのは自然かもしれないですね。

浦安の投開票、現実の実態の反映でしょうね。

投稿: やいっち | 2011/04/11 22:00

弥一さん、歯はいかがですか。
僕は眼と歯が悪いのは父の遺伝なんですね、歯はうがい薬アズノールというので収まっています。
被災者のトラブルは要はプライバシーとか、隣は何でおにぎり二個なのにうちは一個なのかという問題と聞いてますが、赤坂憲雄さんも言われるように東北には「緩やかな「有縁」のネットワーク」がある。われがわれがの東京とは違い、通りすがりの人にもおすそ分けをあげるような文化がある、それが東北の底力だと。
おそらく中央が考えるような自治体の枠を超えて新しい東北の文化が生まれるように思うのです。

投稿: oki | 2011/04/16 21:35

okiさん

小生、目だけはよかったんです。
視力、ずっと1・5だった。

それがやや悪くなると同時に(視力1・2)、老眼に。

老眼の度が進むと同時に、最近、(たぶん、タクシー稼業を再開したから)、視力が良くなって、また視力1・5に。

歯はダメです。口の中を手術したから、歯並びが悪いのが大きな要因。


東北の人間関係は厚いものがあるようですね。
というか、都会じゃない、山村など古くからの町だと、近隣関係が濃厚だったりする。
そんな人間関係が敬遠される傾向もあったのが、震災があったりすると、見直される。

やはり、人間は、人と人の間(和辻哲郎風な?)ですね。

投稿: やいっち | 2011/04/16 22:15

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