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2011/04/23

コロンブスの赤い月(後編)

 本書についての感想は今はしない。
 いきなり余談めいた話だが、ちょっと気になる話題があったので、その話をメモっておきたいだけである。
 
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← 桜の花びらが路上に散在。散るまでが桜の木の花びらの命なのか。命を軽視する(一般民衆は戦争の捨て駒なので、命に恋々としていてもらっては困る)明治維新の権力者がパッと咲いてパッと散る(潔い?)桜を推奨したのもむべなるかな、である。

 禅は万象が、意識するにせよ無意識にせよ、自己の真の本性、己れの仏の本性を求めていると教えている。仏とは本来の自己に目醒めた者のことである。彼は「家なき家にくつろぐ」。多くの仏の中で、太陽の顔の仏と月の顔の仏がいる。太陽の顔の仏は、自分自身に関する真理の光の中に長い間暮らすのに対して、月の顔の仏は、ほんのわずかしかそこにいない。
 わたしは慎重な夜の巡礼者であり、星の中をためらいがちに歩く放浪者である。宇宙のわが家に関する意識は、はかなく不完全である。太陽の顔の仏の家なき家へ、わたしはほんおわずかの間しか足を踏み入れていない。わが探求はその程度でしかないが、それでもほのかな光と痩せこけた鳴き声、そこここに点在する兆候、無限へのヒントと脊椎の疼きによって報われるのだ。「些細な細目」の中に進んでいこう。だからどうかわたしに月の顔を与えたまえ。わたしに血のように赤い月の顔を与えたまえ。 (p.225)

 チェット・レイモは、ある章において、以上のように前置きした上で、以下のような話題を持ち出している(念のために断っておくが、レイモの素晴らしい文章の例として転記を試みるのではない。あくまで好奇心のためにメモするだけである)。

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→ 桜の木の根元には、散り果てた桜の花びらが散在している。誰も見向きもしない。川面にも花びらが流れ行く。花いかだなんて風雅な名前は、桜の満開の時期のもので、葉桜の季節となると、ただのゴミなんだろうな。

 一五〇三年五月、新世界への四度目の旅で、多くの試練と冒険を重ねた後、クリストファー・コロンブスは、パナマから二艘の船で船出した。予定では船の修繕のためにヒスパニオーラ島に寄ってから、スペインへ帰るつもりであった。小さな艦隊は嵐で難破、虫食いだらけとなって、ジャマイカ島の北岸に乗り上げてしまった。コロンブスは一二人の船乗りをカヌーで、二〇〇マイル東のヒスパニオーラ島へ救助を求めに派遣した。そして彼は何ヶ月も、残留組の乗組員とともに救助を待った。スペイン人たちは、食糧を得るためにロザリオや鏡などを土地のインディアンと交換した。しかし原地の人々も、そのうちこうした小間物に飽きてしまい、座礁した船乗りに生活物資を提供するのを渋るようになった。コロンブスはこの問題の解決法を見出した。彼はレギオモンタヌスの『天文暦』を一冊持っていたが、そこには一五〇四年二月二九日の晩の月の出に、月蝕が起こることが予言されていた。コロンブスは土地の酋長を招集して、もし食糧を提供しないならば、月が「天罰の炎に燃えて」昇ってくるようにしてみせると脅した。そして彼の言う通り、月は昇ってくる間に早くも血の色を呈していた。
 一五〇四年二月二九日の閏(うるう)日の晩、月は日没と同時に昇り、地球の影の中に滑りこんだ。他の影とはちがって、地球の影は赤い。地球の影が血の色に染まるのは、地球曲線の周囲の大気によって屈折した、長い波長の太陽光線のせいである。コロンブスとインディアンが見つめている間、地球の赤く染まった影は満月の面上を横切り、月は黄金色の金貨から、薄暗い深紅色に変貌した。わたしは何度も月蝕を観察した。その効果は薄気味悪く、神秘的でさえある。もし夜の円錐(太陽光線に照らされた地球が作る影の形)について知らなかったら、わたしもジャマイカのインディアンのように、懲らしめを受けていただろう。 (p.225-7)

 以下、レイモは、詩人シェリーを話題の遡上に採り上げるのだが、これはまた別の話である。

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← 裏の畑の隅っこのお花畑。チューリップがいよいよ満開へ。奥には水仙が咲き誇っている。母も水仙やチューリップなどを丹精篭めて育てていた…。

 古代(や中世において)、日食や月蝕がいかに驚異的な出来事であったか、それは我々には想像を絶するものだっただろう。
 時に(もし飢饉などの天災が伴っていたなら)政変をも呼ぶ、それほどに不吉で異常な出来事だった。
 例えば、一時期、卑弥呼が祭祀者であった最後の時期、「北部九州で皆既日食が起こったことを求め、これが卑弥呼の死に関係すると唱」えられたことがある:

天文学者の斎藤国治は、248年9月5日朝(日本時間。世界時では4日)に北部九州で皆既日食が起こったことを求め、これが卑弥呼の死に関係すると唱えた。井沢元彦も『逆説の日本史』でこの説を支持している。さらに、橘高章と安本美典は、247年3月24日夕方にも北部九州で皆既日食が起こったことを指摘し、247年の日食が原因で卑弥呼が殺され、248年の日食が原因で男王に代わり壹与が即位したと唱えた。これらの説は、邪馬台国北九州説や卑弥呼・天照大神説と密接に結びついている(ただし不可分ではない)

 ただし、この説は、「現在の正確な計算では、いずれの日食も、邪馬台国の主要な比定地である九州本島や畿内の全域で(欠ける率は大きいが)部分日食であり[5]、部分日食は必ずしも希な現象ではないことから、日食と卑弥呼の死の関連性は疑問視されている」ようだが。

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→ カエデの木の幹の中途にできている奇妙な穴。そこから芽が、若葉が出ている。カエデの若葉? それとも、穴に溜まった土ぼこりに苗が育ってきた?


関連(?)拙稿:
野間宏著『暗い絵 顔の中の赤い月』
青い月 赤い月
月の魔力?
月影を追って
葉桜の散り残っての落ち零れ
葉桜の季節も過ぎ去って

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コメント

満開の桜は、誰もが美しいと愛でますが、私は散り始めた桜のほうが好きです。
風が吹くと、花びらがいっせいに落ちてくるんですね。
桜吹雪とはよくいったもので、昔から絵になる光景だと思われていたのでしょう。
ちょうど、桜吹雪が舞っていたとき、大きな蜂が飛んでいました。
風がないときは、あまり動かず、ひとつところで羽を動かします。
ひとたび風が吹くと、舞い踊る花びら目指して突進していくんですよ。
遊んでいたのでしょうか。
日食も月食も、神秘的な現象です。
単なる自然現象ととらえることは味気ないけれども、神の意思と受け止め、殺されてしまったとしたら悲しいですね。
それもまた運命…。

投稿: 砂希 | 2011/04/23 11:50

砂希さん

桜吹雪に蜂が飛びかかっていく。
不思議な、でも、興味深い光景ですね。
理由は何であれ、宙を自在に飛べる蜂ならではの振る舞い。
少し、羨ましくもある。


桜は散り始めがいいってのは、同感です。

小生が一番、記憶に残っている桜の光景は、72年の四月。
大学生になって、間もない四月の17日だったか、学生生活に落ち着きを感じ始め、一人、瑞巌寺を訪れた。

その日は仙台の桜のピーク。
晴天に桜が映えて。
瑞巌寺の桜が小生の学生生活を祝ってくれているように感じたものでした。

投稿: やいっち | 2011/04/23 21:40

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