田中好子さんの死と『黒い雨』と(前編)
昨日(22日)の朝、仕事に出かける用意や食事の準備に取り掛かる前、ニュースを見ようとテレビのスイッチを入れたら、びっくりするニュースが飛び込んできた。
キャンディーズのメンバーの一人として活躍し、アイドル歌手であり、女優として存在感を増していた、田中好子さんが亡くなった、というのである。
→ 裏の畑の隅っこの花壇に育つチューリップも、いよいよ見ごろに。今日の寒さや雨に耐えて、明日には満開かも。
田中さんの突然の逝去。
愛称はスーちゃんで親しまれていた。
驚き。
55歳だった。もっと若いと思っていたけれど、それにしても、若すぎる死である。
彼女のことは、テレビに限らず、あれこれ伝えられていて、小生などが何を言うこともないだろう。
彼女は、「1973年(昭和48年)9月1日、キャンディーズとして「あなたに夢中」で歌手デビュー」した。
小生が大学生となり仙台で学生生活を送り始めたのは前年の四月。
その約一年半後に彼女(ら)が一気にブレイクし活躍し始めたわけである。
小生にとっては不幸なことに、当時は下宿生活を送っていて、小生の部屋にはテレビなどはなかった。
たまに、下宿の娘さんたちがいないなど、下宿の大家さんの茶の間がさびしいとき、夕食の際、下宿の仲間が茶の間に呼ばれ、テレビを見させてもらう。
あるいは、朝食と夕食の二食の賄い付きの下宿なので、昼食だけは外食。
そんなときは、(自分が一人の場合だが)漫画の本(少年マガジン)とテレビのあるラーメン店に行く。
← チェット・レイモ/著『夜の魂 天文学逍遥』(山下知夫/訳 工作舎) ずっと車中での待機中に読んできたが、残り数十頁となったので、残りは自宅で。今日、読了。23年前の本だが、文章の面白みは褪せていない。
そうタイミングよくキャンディーズが出てくるわけもなく、彼女らの活躍ぶりは、冬休みや夏休みに帰省した際、テレビにかじりついて楽しんだ。
ほぼ同年代(小生より二歳年下)の女性らの超ミニスカートでの踊りと歌に感激した。
歌ももちろん好きだし、ほとんどの歌は口ずさめるが、若い盛りの(付いた?)小生には、彼女らの姿格好は刺激的だった。
はずだが、上記したように、生憎、学生時代はテレビとはすれ違いの時代で(小生はテレビっ子である。事情が許されるなら一日中でもテレビを見ていたい、テレビをつけておきたい人間なのである!)、1978年(昭和53年)4月4日にキャンディーズは解散してしまうまで、彼女らの勇姿(?)を堪能することができなかった。
(そのすれ違いは、ピンク・レディー(Pink Lady)についても言えて、1976年にデビューし、1977年〜1978年の約2年間に絶頂期を迎え、1980年9月1日、ピンクレディーは二人揃って「解散宣言」し、1981年に解散するまでの時期は、やはりテレビがなくて、彼女らの超ミニスカートでの歌そして踊りをじっくり楽しむことはめったになかった。)
あの時代にテレビがいつでも視聴できていたら、刺激をたっぷり受けて、勝手にお世話にもなれて、もっと違う世界に行けていたかもしれない、なんて思ったりする。
彼女の訃報を特集するテレビ番組の中で、彼女についていろいろ初耳のことを知った。
「NHK「趣味悠々」出演を通じて墨彩画に出会い、俳優で墨彩画家でもある片岡鶴太郎に師事」とか、水谷豊が伊藤蘭の夫だとか、彼女は少女時代、ガキ大将だったとか、自由民主党政務調査会長の石破茂氏が長年のキャンディーズフリークだったとか…。
まあ、彼女を巡って書き始めると、止め処なくなってしまう。
今はただ、冥福を祈るのみである。
合掌!
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