一人暮らしの地震対策(後編)
つまり雨水など、最低限の水で窮乏生活を耐え忍び生き延びなければならない。あっても僅かな水で、その水をいかにうまく使うかが喫緊の課題になる。
その際、ラップが役に立つ。というのは、仮に瓦礫の下などから皿などを得られたとして、その皿でなんとか食事をしたとしても、普通なら皿を洗う必要がある。そうでないと汚れたままでは、一度しか貴重な皿を使えない。さりとて飲める水も不可欠のもので、皿を洗うのに水を使うのは勿体無い。
その時、皿にラップをして、ラップの上に食事を盛るわけである。そうすれば、食事が終われば汚れたラップを廃棄するだけで済み、皿は綺麗なままというわけだ。
ビニールの袋も、やはり水に関係する。
つまり、例えば給水車が来たとして、水をどうやって受ければいいのか。まさか素手というわけにはいかない。何か適当な容器、バケツとか洗面器とかがあればいいが、瓦礫の下から、上手い具合に使える容器が引っ張り出せるという保証はない。運良く開いている雑貨屋さんがあっても、とっくに必要な容器類は売り切れになるだろう。
そんな時に、ビニールの袋があれば、その袋に水を溜めることができるというわけである。
それを見て、テレビではゲストのタレントの方が、使い捨ての容器類(紙コップなど)を避難袋に用意しておけばいいという話をしていた。
なるほど。でも、避難袋には最低限の容量のものしか詰め込むことができない。紙コップ類を詰め込む気になれるものかどうか。小生には判断が付かない。
さらに、地震に伴う緊急事態の場合、特に災害地への外部からの電話が通じにくくなる。その場合、どのように連絡を取ればいいのか、その手段についても話をしていた。
そして、もっと大事なこととして、番組の最後にメッセージ風に特集されていたことは、近所付き合いの大切さだった。
阪神淡路大震災の時、その震災での死亡年齢をグラフで表すと、基本的に若い人より年齢の高い人の死亡の数が多い。それはなんとなく予想できる。体力などが最終的には物を言うのだろうし。
← 「立山大鳶山抜図」(画像は、「日本地震学会:なゐふる:vol.29 (5-8) 絵図から情報を汲む 第4回 飛越地震と大鳶崩れ」より) 拙稿「飛越地震から150年」参照のこと。
ところが、死亡した人の数を表すグラフでは、高齢者を中心に山が高くなっているのは当然として、他に、意外にも二十歳前後の辺りがちょっと突出しているのである。
何故、若いその年代の人たちの死亡の数が、飛びぬけているのか。
それは、若い人たちが学生だったりして一人暮らしをしているケースが多いことが理由として挙げられていた。このことは、アパートなりマンションなりに暮らしていても、若い人は、多くは近所付き合いどころか、隣の部屋の人とも付き合いがないし、顔さえ知らないというケースが多いことが関係している。
だから、その人の生活パターンなど分からないので、災害があったその人がその時間帯に部屋にいたのかどうかさえ、周囲の人には分からない。
まして、災害の際は、誰しもが逃げたり、生き延びるのに必死で、仮に生き延びたとしても、次に気遣うのは家族だろうし、隣近所に住む顔見知りの誰彼なのだ。あの時間帯だったら、あの人は必ず在宅していたはずだ。あの人は無事だったのだろうか。ちょっと確かめてみよう。で、生き埋めの状態だと分かったなら、生き延びた人たちが協力して、誰か当局の人を呼ぶとか、仲間で協力して助けるとかするわけである。
まさに顔見知りであり近所付き合いが日頃からあったればこその話である。 住んでいるのかどうか、災害時に居たのかどうかさえ分からない他所の人を助けるのは、余程、余裕が生じてからの話となるのは、仕方のないところだ。
このことをちょっと敷衍すると、年代の高い人に死亡する人が多いということは、そうした年代の人の中に実際には一人暮らしの人が多いのであって、体力がなかったり病気持ちだったりして、ただでさえ体が災害には耐えられないということもありえるが、一人暮らしで近所との付き合いも侭ならないし(子供がいて、余儀なく付き合うという事情もありえないし)、一人、空しく瓦礫の下で座して(埋まって)死の時を待った人も多かっただろうということを予想させる。
悲しい現実、でも、大いにありえる現実である。
→ 表の蔵前の庭に咲くチューリップ。自前の球根を昨年の晩秋に植えておいたものが育ち、咲いてくれると、嬉しいものだ。
小生としては身につまされる話だった。冴えない風体の中年男で、近所付き合いもないし、この部屋に小生が住むとは、集合住宅である事情を鑑みると、知らないだろうと考えるしかない。小生も隣りどころか、何十人も同じ住宅に居住するのに、顔見知りはいないも同然である。こんな人間が実際には多いのだろう。今更、近所付き合いといっても、胡散臭く思われるのが関の山である。
小生のような人間は、やはり運を天に任せて、座してその時を待つしかないのだろうか。
これが小生の地震対策だとしたら、ちょっとお話にもならない。でも、これが現実なのだ。なんとなく最後は侘しくなってしまったものだった。
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