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2011/04/30

久しぶりに楽しく営業したよ(後編)

 滅多にない繁忙なので、前稿続いて、その報告である。

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→ 草むしりや庭掃除をしていたら、意外な樹木に花を見つけた。ツツジだろうか。小花が一杯、咲いている。

 小生は飲み屋街へは、お客さんを求めてであっても、あまり向かわない。
 自分が飲めないこともあって、飲兵衛さんの相手が苦手なのである。

 酒飲みの気持ちが分からないのだ(これが小生の営業上の致命的な欠点の一つだと認識している)。


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2011/04/29

久しぶりに楽しく営業したよ(前編)

 昨日(木曜日)は、久しぶりにタクシーの営業で(特に夜に)とても忙しい時間帯を過ごした。
 28日の木曜日は、翌日の金曜日が祭日であり、その後も、土曜日を挟んで休日が続く。

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→ 山茶花じゃなく、ボタン? とにかく、豪奢な花びらだ。

 給料日の直後の日でもある。
 忙しくなる条件は整っていた。
 しかし、一昨年来の不況がなかなか回復しないなか、この震災での相変わらずの自粛ムードである。

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2011/04/28

朋あり遠方より来る(後編)

 庭掃除や草むしりをしていたら、近所の方が通りかかった。
 我が家とは親戚関係にある。
 その方と、四方山話に花が咲いた。
 我が家もだが、その方のお母様も昨年、亡くなられた。

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← 雨の中、車道沿いの垣根の様子を見て回った。雨に濡れて、薔薇の木も、元気に。

 小生が、仕事柄、夜、父や母が入院し、あるいは亡くなった病院の傍を通りかかることがある。
 夜だから、当然のこと、窓の明かりは漏れるはずもない。
 真っ暗な部屋。

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2011/04/27

朋あり遠方より来る(前編)

 昨日は日中、晴れてはいたが、ややひんやりした空気。
 それが、夜の九時ごろ、不意に暖かな風が吹き始めた。

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← ナナカマドに咲く小花たち。可憐だ。雨に降られて、一層、風情が感じられる。

 仕事の最中で市街地にいたが(お客様の待機中)、同僚が南風が吹いてきたんですかね、なんて言っていた。
 そうか、南風が吹き出して、富山の空気も一気に入れ替わったのだ。

 夜中過ぎに帰宅して、空腹を卵豆腐で軽く満たし、お茶を喫しながら、パソコンに向かう。
 いつものパターンである。

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2011/04/26

一人暮らしの地震対策(後編)

 では、ラップが何故、意外にも役に立ったというのか。

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→ 内庭のカエデ。ついこの間まで枯れ木のようだったのが、若葉が一斉に育って、毎朝、玄関の戸を開けるのが、あるいは帰宅の際に内庭を覗くのが楽しみである。

 それは水に関係する。
 地震が生じた時、絶たれるのは電気でありガスであり情報の伝達手段であるが、最も困るのは水である。最悪の場合、給水が可能になるまで三十日の断水が考えられるという。

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2011/04/25

一人暮らしの地震対策(前編)

 先の、というべきか、福島原発の事故もあり、行方不明者も一万人以上だし、被災者の避難所生活もまだ当分、続きそうなこと、何にもまして余震が続いていることを鑑みると、現在進行形の東北地方太平洋沖地震がもたらした「東日本大震災」。

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← 今日(25日)、雨上がりの晴れ間に自転車で買い物へ。その帰り、近所の大きな公園の脇を通った。綺麗に整備された公園。樹木もよく手入れされている。我が家の庭も、かくありたいのだが…。

 そう、やはり、今も東日本大震災の只中にいるし、東北や関東地方だけじゃなく、日本の広い地域の人々が東北地方太平洋沖地震の余波そのものに怯えている。

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2011/04/24

田中好子さんの死と『黒い雨』と(後編)

 彼女の突然の訃報にも驚いたが、もっと驚いたのは、以下の事実だった:

死去直後の記者会見において、結婚翌年の1992年(平成4年)に乳がんが見つかり、幾度か再発を繰り返したが、いずれも早期発見で治療を続けながら芸能活動を続けていたことなどが夫の小達一雄によって初めて公式に明らかにされた。闘病の事実はごく一部の親しい関係者にのみ伝えられ、共演者には一切明かされていなかったという

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→ 同じく、裏の畑の隅っこの花壇に咲き誇る水仙たち。他の場所の水仙たちは、既に萎れかけているが、こちらはまだまだ元気だ。

 ところで、スーちゃんの訃報を報じるなかで、彼女が「1989年(平成元年)に公開された『黒い雨』で、主役・「高丸矢須子」役を演じ、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報賞・毎日映画コンクール・報知映画賞などで主演女優賞を受賞」していたことを思い出させてくれた。

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2011/04/23

田中好子さんの死と『黒い雨』と(前編)

 昨日(22日)の朝、仕事に出かける用意や食事の準備に取り掛かる前、ニュースを見ようとテレビのスイッチを入れたら、びっくりするニュースが飛び込んできた。
 キャンディーズのメンバーの一人として活躍し、アイドル歌手であり、女優として存在感を増していた、田中好子さんが亡くなった、というのである。

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→ 裏の畑の隅っこの花壇に育つチューリップも、いよいよ見ごろに。今日の寒さや雨に耐えて、明日には満開かも。

 田中さんの突然の逝去。
 愛称はスーちゃんで親しまれていた。

 驚き。
 55歳だった。もっと若いと思っていたけれど、それにしても、若すぎる死である。
 彼女のことは、テレビに限らず、あれこれ伝えられていて、小生などが何を言うこともないだろう。

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コロンブスの赤い月(後編)

 本書についての感想は今はしない。
 いきなり余談めいた話だが、ちょっと気になる話題があったので、その話をメモっておきたいだけである。
 
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← 桜の花びらが路上に散在。散るまでが桜の木の花びらの命なのか。命を軽視する(一般民衆は戦争の捨て駒なので、命に恋々としていてもらっては困る)明治維新の権力者がパッと咲いてパッと散る(潔い?)桜を推奨したのもむべなるかな、である。

 禅は万象が、意識するにせよ無意識にせよ、自己の真の本性、己れの仏の本性を求めていると教えている。仏とは本来の自己に目醒めた者のことである。彼は「家なき家にくつろぐ」。多くの仏の中で、太陽の顔の仏と月の顔の仏がいる。太陽の顔の仏は、自分自身に関する真理の光の中に長い間暮らすのに対して、月の顔の仏は、ほんのわずかしかそこにいない。
 わたしは慎重な夜の巡礼者であり、星の中をためらいがちに歩く放浪者である。宇宙のわが家に関する意識は、はかなく不完全である。太陽の顔の仏の家なき家へ、わたしはほんおわずかの間しか足を踏み入れていない。わが探求はその程度でしかないが、それでもほのかな光と痩せこけた鳴き声、そこここに点在する兆候、無限へのヒントと脊椎の疼きによって報われるのだ。「些細な細目」の中に進んでいこう。だからどうかわたしに月の顔を与えたまえ。わたしに血のように赤い月の顔を与えたまえ。 (p.225)

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2011/04/21

コロンブスの赤い月(前編)

 営業の車中での待機中、今は、チェット・レイモ著の『夜の魂』(山下知夫訳 工作舎)を読んでいる。 
「天文学逍遥」というサブタイトルに示されるように、専門的な事柄の啓蒙書というより、随筆の本、天文学を想像の種にしての、瞑想の書といった本。

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← 「月下独酌」劉旦宅(りゅう たんたく)・画 (画像は、「十年一たび覚む 揚州の夢」より)

 本書は、「1988年4月」の刊行。
 一応は天文学(サイエンス)の書なのに、今も絶版になっていない。

出版社からの内容紹介」では、「夜空を見つめながら<夜の形>に思いをはせ、星々の色彩の甘い囁きを聴く--サイエンス・コラムニストとしても評価の高い天文・物理学者が綴る薫り高い天文随想録」となっている。それだけ、単なる専門書(の普及書)じゃなく、文章(随筆)として読ませる本だということなのだろう。

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2011/04/20

チェルノブイリの赤い森

 つい先日、営業所の休憩所で、福島原発のことが話題になった。
 原発のことが話題に上るのは日常茶飯事だが、その日は、ちょっと違う話題に話がチラッと及んだ。

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→ 表の庭の隅っこの葉群も開花。

 それは、チェルノブイリの魔の館、あるいは魔の森といった話だった(正確には、どんな言葉(表現)が使われたか、小生の記憶が曖昧)。
 生憎、すぐに仕事が入ったので、その話題を持ち出した人に詳しく話を伺うことはできなかった。

 放射能の漏出を抑えようする石棺ならぬコンクリートの<館>の中で、放射能に汚染された動植物たちが、奇異な姿に変貌を遂げ、既存の耐性を超えた体を持ち、やがて彼らが棺という縛りを解いて、世界へ広がっていく…。

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2011/04/19

起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる(後編)

 それでも、過日は、新入荷本のコーナーに面白そうな本を見つけた。
 それは、ジェイムズ・D・スタイン著の 『不可能、不確定、不完全 』(熊谷 玲美/田沢 恭子/松井 信彦(訳) 早川書房) である。

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← 表の庭の松の木の根元に、謎の植物。「ほうき草」だろうか。

 著者のジェイムズ・D・スタインは、本書によると、「カリフォルニア州立大学ロングビーチ校の数学教授を長年務める」という方。それ以上の情報は分からない。

 
「本書は、「整備工場に預けた車はなぜ決して約束の期日に戻ってこないのか」、という問題を数学的に検討することからスタートし」ていて、読み始めからびっくりの話題。
 でも、実際、読んでみて、修理の過程(ステップや段取り)を考えると、なるほどと思わせられる。

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2011/04/18

起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる(前編)

 最近は仕事もだが、家での畑や庭の草むしり作業で忙しく、一月ごろまでのように、週に一度、図書館へ足を運び、本を二冊ほど、CDを3枚、返却し、新たに借りるということができなくなった。
 せいぜい、二週間に一度、図書館へ行ければいいほう。

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→ 春の暖かな雨が降って、表の謎の葉群が開花。名前は分からないけど、とにかく雑草じゃなかった。

 特にCDの返却に窮している。
 本は、夜間でも返却ポストに投じればいい。
 困るのはCD。

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2011/04/17

日の下の花の時(後編)

 さて、緑の葉っぱは、まさに陽光を浴びるべく進化を遂げた。紫外線に耐性を持ち、あるいは万が一、紫外線により遺伝子が損傷を受けても、修復する遺伝子も備わっていたりもするという。

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← せっかくなので、ナナカマドに咲き始めた小花を接写してみた。やはり、アセビっぽい小花だ。今朝の雨に濡れて、愛おしさの念が高まってしまう。

 それは、葉っぱだけではなく、花びらだって、そうした耐性などのメカニズムを備えているのだろうという。
 そうでなかったら、そもそも咲きはしないのだろうし。

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2011/04/16

日の下の花の時(前編)

 道路上で車中などから容赦ない直射日光を浴びる街路樹やグリーンベルトの花々(ツツジ)を間近に見て、そもそも書きたかったのは、別のことだった。

 緑なす葉っぱや幹などはともかく、花々に何か強烈な印象を受けていた。それは何だろうと思い返してみたら、あまりにも呆気ない理由がそこにあった。

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→ 日当たりのいい場所(道路沿いの花壇)に咲くチューリップがいよいよ咲き綻び始めた。…のはいいが、この花、目一杯、満開。開きすぎじゃないの?

 そう、花というのは、端的に言って性器なのであり生殖器なのだということ。

 が、それだけでは言い足りない。それは分かる。えげつなさ過ぎる表現だということもあるが、では何故、本来は単なる生殖器のはずの花が、少なくとも我々人間の目には美しく、あるいは可憐に見えてしまうのか。

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2011/04/15

ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」(後編)

 この『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』(酒井武志訳、早川書房刊)は、まさに難問に若き日より挑んだペトロス伯父の不遇の人生を描いたものである。
 小説中には実名がドンドン出てくる。クルト・ゲーデルやラマヌジャンやらチューリング、ハーディ(歴史上の人物として言及されている人々=ユークリッド、フェルマー、ゴールドバッハ、オイラー、ガウスは除いての話だ)らだ。

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← たぶん、近所の飼い猫だと思うが、近所一帯を縄張りにしているらしい。もう一匹、黒っぽい猫も一帯をうろついていて、縄張りが重なっているみたいだが、さて。

 そうした傑物にペトロス伯父は、会ったり、関わったりしていることになっている。つまり、ペトロス伯父は虚構の人物なのである。
 その伯父に、語り手であるペトロスから見れば甥に当たる私が狂言回しの役を演じている。

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2011/04/14

ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」(前編)

 小生は本書を、昨夜から今日の昼過ぎに掛けて一気に読んで、今、興奮冷めやらぬ状態でいる。小説(そう、これは「ゴールドバッハの予想」などと厳めしいが、れっきとした小説なのだ)を、久しぶりにワクワクドキドキする思いで読んだ。

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→ 我が家の庭の片隅にある小さな木。何の木か分からない。一昨日(12日)、芽吹きが艶やかで、つい撮影。

 この小説はアポストロス・ドキアディスという大学で数学を専攻して、後に映画などの政策・監督・脚本などに携わるという変わった経歴の持ち主が1992年にギリシャで発表した作品である。
 彼は「1953年にオーストリアで生まれ、その後ギリシャで育ち、15歳の時、コロンビア大学で数学を専攻、後にパリの高等学院で数学を本格的に学んだ」と本書の説明にある。結構、本格的に数学を学んだのだと分かる。

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2011/04/13

謎の頭痛事件(後編)

 その謎の頭痛につい先日、再会してしまった。
 再発!

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← 今日(12日)、花壇の雑草をせっせと毟っていた。車道に面するその花壇に育つチューリップ。一本だけ、逸早く開花した。気が早いんじゃない?

 例によって、ロッキングチェアーに体を埋めて老眼鏡を架けて、読書し始めると、ジワジワと、しかし着実に増していく頭痛、そして吐き気の予感…。
 ようやく、ほんの少し、仕事に慣れて(一人前には程遠いが)、ゆったり読書でもしようなんて、思った矢先のことだった。

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2011/04/12

謎の頭痛事件(前編)

 昨年の夏の終わり頃、それとも秋口の頃だったろうか。
 突然、奇妙な頭痛に見舞われるようになった。
 まだ日中の暑さが夕方になっても色濃く残っている日々が続いていた。

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→ 昨日(11日)の雨の中、庭先のアセビに咲き誇る小花を撮影。花より雨の雫のほうが大きく感じられる。

 昨年七月、父母が相次いで亡くなった。
 七月はもちろんだが、八月も家の内外での所要で慌しい日々が続いていた。

 そんな中でも、忙中閑ありではないが、時間があると、居間にあるロッキングチェアーに腰を埋めて読書するのが唯一の楽しみ。

 その読書が妙に悩ましい営みになろうとは。

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2011/04/11

富山の難読地名あれこれ

 仕事柄、富山の地名に敏感にならざるをえない。

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← 玄関の花瓶の花を入れ替え。来客の少ない家だけど、気分だけは晴れやかに。

 最初に情けない、恥ずかしい話を一つ。
 富山市には、「東田地方」という地名がある(そういった交差点もある)。
 この地名をどう読むか。

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2011/04/10

「早く来い、老眼鏡」後日談

 前回は、老眼鏡を思い切って注文したというところまで書いた。
 その老眼鏡を本日、とうとう入手した。

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→ 昨日の雨に濡れてアセビもしっとり。今日、庭先のアセビを見たら、雨に埃を流されたからか、小さな花の白が際立って、見違えるようになっていた。

 残念ながら、今日は月末ということもあり支払いなどの雑用に終われ、また、スクーターがバッテリー上がりで動かなくなるというハプニングがあったりして、肝腎の読書で老眼鏡の具合を確かめるという目論見が、時間がなくなって、じっくりとはできないでいる。

 それでも、数十頁だけは、この従来のものより視野の広いという老眼鏡を使って読み進めてみることができた。

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2011/04/09

早く来い、老眼鏡(後編)

 何年前からだろうか、健康のための特集番組があると、特に肥満と老眼に関係する際は、見逃さないようになった。
 目にはブルーベリーがいいと知ると、早速、ブルーベリーのヨーグルトやらゼリーやらを冷蔵庫に欠かさないようにする。外出の際も、どうせ呑むならブルーベリーの成分の入った飲み物を選ぶ。

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← これも水仙なんだろう。なんだって、我が家の庭や畑には、こんなに方々に水仙が咲くんだろう。それも、種類がいろいろある。

 目が悪くなったということで、健康診断は、この数年、ビクビクもので受けている。で、小生がとうとう、自分でも老眼なのだと認めざるを得なくなったのは、一時は(若い頃は1.5だった視力が)1.0にまで落ち込んでいた視力が、検眼の結果によると、この数年は1.2とか1.5という数字を示すことだった。


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2011/04/08

早く来い、老眼鏡(前編)

 一昨日昨日と、眼鏡(顕微鏡や天体望遠鏡)に無縁でない話を書いた。
 レンズつながりというわけではないが、今日と明日の二回に分けて、眼鏡に絡む旧稿を温める。

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→ 富山も久しぶりの雨。雨の中の水仙も乙なもの。

早く来い、老眼鏡

 小生が目の衰えを感じ始めたのは、何時の事だったろう。
 最初は、自分でも現実に進行している事態に戸惑うだけだった。というより、現実を現実として認めたくなかった。
 辞書を開くのが億劫になった。新聞の活字も追うのが辛い。文庫本も、旧来の新潮文庫や角川文庫など、古いものは、読みづらい。一頁に活字がこれでもかというほどにギッシリ、詰まっている。

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2011/04/07

「イヴの卵」とホムンクルスと(後編)

 むしろ、卵子こそが生命の母体ではないのか。

 いや、その前に精液って何?
 卵子(女性)と合体するのは、精液の持つ霊力のようなものではないか。
 このこと自体を確認するのに、どれほど膨大で且つ緻密な実験が積み重ねられたことか。

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← 我が家は今、水仙の花盛り。3年前に畑の一角に植えた水仙の球根。それが土の移動に伴って、庭中に水仙が広まることになったようだ。

 一時期にしろ、前成説が持て囃されたのは、宗教的制約(アダムとイブとの生まれ方に由来する男性優位の思想)もあった。
 同時に、17世紀のヨーロッパで(天体望遠鏡と併せ)顕微鏡というツールが駆使され始めたことが大きい。

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2011/04/06

「イヴの卵」とホムンクルスと(前編)

 我が家の梅は今までが旬。でも来週辺りから、桜に主役の座を譲りそう。
 梅と桜は共存できない。
 ということで、一句:

春寒や梅と桜の泣き別れ   (や)

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← クララ・ピント-コレイア 著『イヴの卵―卵子と精子と前成説(THE OVARY OF EVE)』(佐藤 恵子【訳】 白揚社) 8年前に出された本で、「奇怪な発生理論「前成説」はなぜ人々の心をとらえたか?多様な生殖観が花開いた科学革命期を鮮やかに描き出す」といった本。でも、テーマ的にもだが、類書がないので、少なくとも小生には新鮮な話が多かった。それにしても、「イヴの卵」とは、意味深な題名だ。

 もう、二週間以上も以前のこと、図書館で好奇心を掻き立てる題名の本を見つけた。
 新刊じゃない。
 この本に今までなぜ、食指が動かなかったのか。

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2011/04/05

「日本の電力政策を問う」の周辺

今、BSフジLIVE のプライムニュースを見ていた:
BSフジLIVE PRIME NEWS

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← 山茶花だろうか、ピンクの花と黄色い雄しべとがマッチングしている。

テーマは、『日本の電力政策を問う どうする?原発の今後 太陽光・風力の可能性

中長期的に日本の電力・エネルギー政策をどうしていくべきなのかを議論する」というもので、まさに、この度の福島原発事故を受けて、これからのエネルギー政策をどうするか、という議論。

より詳しくは、「菅首相は3月29日の参議院予算委員会で、原発見直しの代替案として、太陽光やバイオマスなど、クリーンエネルギー推進の検討を示唆した。果たして、それで日本のエネルギーの安全保障は担保されるのか? 今後の原子力発電をどうするのか? 太陽光や風力などの再生可能エネルギーの可能性、さらに新エネルギーなど、今後の日本のエネルギー政策をどうしていくべきかを議論する」というものだった。

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2011/04/04

「無限」に魅入られた天才数学者たち(後編)

 そもそも、西欧人ではない我々日本人でも、無限への憧れや好奇心がなかったわけではなかろう。しかし、あまりに安易に「自然」に親和する心性のせいか、無限を論理的に構築的に探求することはほとんどなかったようである。

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→ 我が家の庭には、何本かの山茶花がある。そのうちのこの一本は、今頃になって開花し始めた…。と思ったら、おやっ、背後にちらっとピンク色の花が ? !

 木の葉の裏を伝い降りる一滴の雫。その小さな雫の中に、汲めども尽きせぬ豊かなものを予感することは、古代の人も我々も共通するようである。
 が、何処か明晰なる自然探求ではなく、情緒に流れる心性を養ってきたようである:


 我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを(万葉集)

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2011/04/03

「無限」に魅入られた天才数学者たち(前編)

 本書の著者であるアミール・D・アクゼルを、フェルマーの最終定理を扱った『天才数学者たちが挑んだ最大の難問』の著者として御存知の方も多いだろう。訳は、これまたベストセラーとなった『フェルマーの最終定理』の翻訳者としても知られる青木薫氏である。

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← 買ってきたプランターの花々を土ごと、そっくり車道沿いの花壇に植えたが、今のところ、元気に咲いている。気がかりなのは、雑草も目立つようになってきたこと。

 本書の帯には、「数学は無限をいかに手なずけたか」という題のもと、「数学者として「無限」を初めて直視し、その構造の探求に賭けたラディカルな天才の驚くべき業績とは?」と銘打たれている。

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2011/04/02

エイプリル・フルール(後編)

 昨日の続編をお送りする。
 ここに紹介するほかにも、チューリップやバラ、石楠花、などなど。

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→ 数日前、移植した梅の木。隣家のブロック塀などをバックに撮影。今のところ、元気に育っているし、数日前より開花が進んでいる。元のところから土を追加し、土壌を固めた。すぐ近くには、我が家が当地に移ってきた当時に植えられたという、我が家で一番古くからある梅の木がある。ただ、元気がなくて、咲いた花は疎ら。世話を怠ったからなんだろう

 ところで、先日買ってきた、赤シソや一本ネギ、千日紅、サルビアなどを畑に植えた(種を蒔いた)。
 順調に育ってくれたら、夏には一層、我が家の庭が賑やかになるはずである。

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2011/04/01

エイプリル・フルール(前編)

 花はフルール(fleur)。四月は花が一杯になる。なので、エイプリル・フルール!
 それが訛って「エイプリル・フール」になった…。

 もっとも、我輩に関しては、エブリデー・フールな気もするが。

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← 車道沿いの細長い花壇に咲き始めたムスカリ。ここに植えたつもりはない。裏の畑に3年前に植え、育っていたもの。その畑から土を移動させた際、種も一緒に移ったらしい。小生には、「ムスカリの花」と題した短編がある。もう7年も前の作品。そんなこともあって、3年前に球根を植えたのだった。

 なんてのは他愛ない冗談として、でも、ついこの間まで殺風景だった我が家の庭も少しずつ彩り豊かになってきたのは事実。

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