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2011/03/27

寺田寅彦著『柿の種』あれこれ

 車中で寺田寅彦著の『柿の種』(岩波文庫刊)を読んだ。
 読み終えてから言うのも今更だが、こんな本を慌しく車中で読むんじゃなかったと、読み終えて後悔しきりである。

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← 26日、昼前後に小雪が舞った。お風呂場の壊れたボイラーや煙突も震えてた。ところで、旧稿であるこの小文をアップしたのは、今も営業の車中で寺田寅彦の随筆集を読んでいるからである。十年前と同じようなことをやっている。当時とは、身辺に大きな違いが生じているが、やっていることは似たり寄ったり。

 小生は科学者の随筆を読むのが好きである。最新の情報を与えてくれる今、活躍中の科学者の随筆は、勿論、目配りをしておく。
 けれど、科学ものとはいっても、新しいものがいいとは限らない。古くてもいいものはいいのである。古いほうでは岡潔や朝永振一郎、湯川秀樹といろいろいる。

 が、ほとんど枕頭の書となっているのは、六巻本の寺田寅彦の随筆集(岩波書店刊)であり、中谷宇吉郎の八巻本の随筆集(岩波書店刊)である。

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→ 昨日(26日)、茶の間の窓からふと外を見たら、裏庭の中で何かがゴソゴソやっている気配。もしかして、あの鳥か! 庭で何を漁っている(啄ばんでいる)のだろう?

 彼らを特に偏愛するのは、(茶碗の割れた皹の形、樹木の枝の枝分かれの仕方、などなど)彼らが「かたち」や「質」に拘る(当時としては異質な)繊細の精神の持ち主たちだからである。
 『柿の種』の解説を担当している池内了も述べているように、近年、ようやく科学がその触手を従来は例外や汚れや役立たないものや趣味的だとして排除してきた世界に伸ばしつつある(池内了氏については『科学は今どうなっているの?』(晶文社刊)が今年読んで面白かった)。

 科学は「転回」の時代に入っているのである。
 これらについては、敢えて、年に一冊か二冊しか読まないようにしている。それも読むのは秋も深まってから、大概は冬の夜長に読む。

 が、随筆集は単行本であり、車中には不便である。

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← あの鳥…。大きさはハトほど。でも、ハトよりスマートな体型。もしかして、3年前、集団で何処かから脱走したインコの集団の残党なのか。

 すると、たまたま近所の書店で寺田寅彦の随筆『柿の種』があるではないか。上掲の随筆集の中にも入っていないようだ。早速、買い求めた。
 さて、寺田寅彦については(中谷宇吉郎についても)敢えて紹介するまでもなく、多くの方が御存知であろう。
 そこで、小生が下手に『柿の種』について説明するより、少し、一節を引用してみたい。

 脚を切断してしまった人が、時々、なくなっている足の先のかゆみや痛みを感じることがあるそうである。
 総入れ歯をした人が、どうかすると、その歯がずきずきうずくように感じることもあるそうである。
 こういう話を聞きながら、私はふと、出家遁世の人の心を想いみた。
 生命のある限り、世を捨てるということは、とてもできそうに思われない。
                          (大正九年十一月)

 風呂桶から出て胸のあたりを流していたら左の腕に何かしら細長いものがかすかにさわるようなかゆみを感じた。女の髪の毛が一本からみついているらしい。右の手の指でつまんで棄てようとするとそれが右の腕にへばりつく。へばりついた所が海月(くらげ)の糸にでもさわったように痛がゆくなる。浴室の弱い電燈の光に眼鏡なしの老眼では毛筋がよく見えないだけにいっそう始末が悪い。あせればあせるほど執念深くからだのどこかにへばりついて離れない。そうしてそれがさわった所がみんなかゆくなる。ようやく離れたあとでもからだじゅうがかゆいような気がした。
 風呂の中の女の髪は運命よりも恐ろしい。
                          (昭和十年九月)

 別に特に典型的なものを例示したわけではない。特に後者は、寺田寅彦の随筆としては、やや異質な部類に入るだろう。
 でも、読み終えてもずっと後を引くので、つい挙げてみたのである。かなり艶かしい。早くに亡くなった奥さんへの思いが篭っているのだろうが。

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→ 3年前(20年)の二月末に帰郷。間もない三月の終わりか四月初めの頃、近所庭木でインコの集団を目撃した。まさにパステル調というのか、水彩風の色合いというのか、淡い透明感のある青や黄色や緑の体毛の鳥たち。彼らの姿は、その年は何度か、我が家の庭先でも見かけた。翌年(21年)も見かけたが、集団の数も減っているようだし、何より体毛の色が褪せているようだった。それでも、地の色は判別できていた。それが、昨年(22年)は、一度、早春の頃に、もう、すっかり色褪せた…というよりハトのような色合いの体毛に成り果てていた。まさにこの画像の鳥の色。昨年の半ばからは、インコの集団は一切、見ていない。この一羽が、もしかしてあの集団の残党、最後の一羽なのかもしれない。

 ちなみに寺田寅彦は昭和十年に亡くなっている。
 最後に寺田寅彦の句を『柿の種』から紹介しておこう。

 哲学も科学も寒き嚏(くさめ)哉

 粟(あわ)一粒秋三界を蔵しけり


                                 (01/09/27 原作)

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