季節外れとは思うけど雪のことなど
雪の研究というと、誰しも思い浮かべるのは中谷宇吉郎であろう。小生も高校時代からの彼のファンだ(同じく公明な科学者(物理学者)であり、且つ名随筆家である寺田寅彦のファンでもあるけど)。
「中谷は、世界で初めて人工的に雪結晶を作ることに成功」した人として有名だろう。
→ 今日26日は、母の月命日。庭の花々を丹精篭めて育てていた母なので、プランターを買ってきて、通り沿いの帯状の花壇に植えた。花々を眺めながら、一人で参っていた。
彼の「雪は天からの手紙である」という言葉は、寺田寅彦の「天災は忘れた頃にやってくる」と並んで、科学者が生んだ名言として有名である。
初めて彼の『雪』を読んだ時は、こんなことを研究する科学者がいるんだと感激したものだった。 もっと言うと、こんなことを研究してもいいんだと驚いたのだと言うべきかも知れない。
小生にはその頃は未だ、雪は神秘の塊のように思えていたのだ(今以て!)。
雪が水の違う相なのだとは信じられなかった。仮に水が、あるいは凍って雪になるのだとしても、そこには天の意思とか、あるいは神の見えざる手が加わっているに違いないとしか思えなかった。
小生の生まれた富山は、小生がガキの頃は冬ともなると、これでもかというほどに雪が降って、家の手伝いなどしない甘ったれの小生だったが、雪掻きだけは大好きだった。疲れ、湯気の立ち上る身体を堆く積まれた雪の小山の天辺に横たえ、何処までも深い藍色の夜空を眺め入った。
雪は小止みなく降っている。あっという間に身体は雪に埋められていく。顔にも雪が降りかかる。頬に辿り着いた雪は、次々に溶けて雫となり流れ伝っていく。仰向けになって雪の空を眺めていると、段々、不思議な錯覚に囚われてくる。自分が天底にあり、大地に横たわっているのではなく、白いベッドに乗ったまま、天に吸い込まれていくような感覚を覚えてしまうのだ。雪の花びらが中空を舞っている、その只中を自分の身体が漂っている。上昇していく。藍色の闇の海の底から雪が生まれる、まさにその現場にいつかは辿り着いてしまいそうに思えてくる。
文科系の学生となった後年、物理の試験で、何かの問題が分からず、仕方なくというわけでもないが、答案用紙の裏側に、問題から連想した物理現象の不思議さへの思いを中谷宇吉郎の『雪』に絡めて長々と書き綴ったことを覚えている。そんな答えを書いたのに、試験に通ったのは、中谷宇吉郎の御蔭かもしれない。
中谷宇吉郎については、下記のサイトが素晴らしい:
「雪は天から送られた手紙 中谷宇吉郎 雪の科学館トップページ」
余談が長くなったが、雪の結晶が六角形という形を取ることの必然性が証明されたのは、つい最近のことなのである。
デカルトも、大方の先入見とは違い、雪の結晶を研究した人の一人。
彼は、自然の観察家でもあったのだ:
「雪結晶研究の歴史」
デカルトというと、『方法序説』などの哲学者として有名だが、実は彼も自然観察家の一人なのだ。
高校時代に中央公論社の『世界の名著』シリーズの中で彼の諸論文を読み、これまた思考の繊細さと徹底振りに単純に感激したものだった。同時にまた、彼が緻密な自然観察家なのだと知って、昔の哲学者って、みんな徹底した自然観察を元に思索を重ねたのだと知って、哲学とはこうでなければと思ったものである。
その彼の観察と研究の対象の一つに、雪の結晶の研究があることを知った。
デカルトが雪を観察しつつ、瞑想に耽っていたのだと思って、勝手に親近感を抱いていたりもしたものである。
多くの心有る人が、雪を眺めて雪の結晶の不思議さに心を奪われてきた。小生も、雪の花びらの不思議さと美しさと、しかし、ふと触れたりしようものなら呆気なく消え行く儚さにたまらない愛おしさのようなものを感じた。
そして無能な小生は感じるだけだった。神秘は、その秘密を探るのではなく、その形のままに触れることなく、そっとしておけばいいのではと思ったりもした。
← 旧稿である本稿を今日、アップしたのは、三月も終わりという今日の昼前後、季節外れにも小雪が舞ったからである。午前中は、晴れ間もあって、自転車で買い物に行けるかなと思っていたのに、一気に真っ白に雪化粧。植えたプランターの花たちも震えていた…ような。
中谷宇吉郎は、雪の結晶を研究し、人工の雪を作ったりもしたが、実は他方ではものの形を大切にした科学者でもあった。同時に科学にできることとできないことを繊細な神経を持って考えた。彼の『科学の方法』(岩波新書刊)も『雪』と相前後して読んだものだが、人工衛星の軌道の計算はできても、一枚の薄っぺらい紙切れを落としただけなのに、その行方を計算するのは難しい。実は身近な現象であっても、科学の手の全く届かない世界が実に多いことを実感させてくれた本であった:
中谷宇吉郎著『科学の方法』(岩波新書)
そして小生は勝手に雪もきっと、そうなのだと思っていたのである。ここに小生の限界があるのかもしれない。雪の結晶が六角形になる必然性が証明された今に至っても、やっぱり雪の結晶は美しいし、手の平に気軽には受け止めることの出来ない雪の花びらの命の儚さも変わらないように思えてならないのである:
「新庄における雪結晶観察」
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