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2011/03/18

「イニシエーションの旅―マルセル・ブリヨンの幻想小説」の周辺(後編)

 余談続きだが、村上光彦氏についても、「村上光彦 著『イニシエーションの旅 マルセル・ブリヨンの幻想小説』(未知谷 刊)の内容詳細」に記されている。

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← 昨日の早朝、一面の銀世界。風呂場の壊れたボイラーの煙突も、寒そうである。

 小生は、同氏の訳でヴィーゼル『夜』、レイン『好き? 好き? 大好き?』、モノー『偶然と必然』などを(これらもたぶん、学生時代か)読ませてもらっている。

 村上 光彦【著】『イニシエーションの旅―マルセル・ブリヨンの幻想小説』(未知谷)を手にした際、村上光彦氏どこかで聞いた名前だな、なんて、とんでもないことで、何冊も同氏の訳にお世話になっているのだ。

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→ 昨日、内庭のモミジなどが雪で薄化粧。その雪も、今日、すっかり融けてしまった。

 情けなくも、それから三十年以上を経過して、誰の訳だったか、完全に失念してしまっていたのである。

 本書を読んで、村上光彦氏のブリヨンへの傾倒ぶりが実感させられる。
 本書では、ブリヨンの小説からの引用も多いが、村上氏によるブリヨンの小説の要約も多く、それがまた読ませてくれる。

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← R・D・レイン著『ひき裂かれた自己(THE DIVIDED SELF)』(阪本健二/志貴春彦/笠原嘉 訳 みすず書房) 「世界との間でひき裂かれ、自分自身の間に亀裂を生じた分裂病質者と分裂病者の実存的―現象学的考察は、比類のない鋭さで読者に訴えるであろう」……。少なくとも若かりし日の小生には、鋭く強く、魂を震撼させるほどに訴えた。拙稿「レイン『引き裂かれた自己』再読/「廃園にたつ影」とは」参照。


 ただ、今回、本書を読んで、小生の資質なのだろうか、幻想小説の世界には馴染めない自分を感じさせられた。
 ブリヨンの、いかにも自然に幻想の世界に分け入る資質、当たり前のようにしてその世界に浸る資質は、小生には全くないのだと思い知らされたのだ。
 若い頃は、抽象芸術だけじゃなく、幻想芸術にも自分は馴染めるし、理解する資質があると思っていた。
 しかし、冷静に振り返ると、思いたかったのかもしれない。

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→ 梅の小さな木の蕾。

 小生は、ブリヨンの幻想小説のある意味での豊穣なる世界より、たとえば、レインの『ひき裂かれた自己』に描かれる廃墟の世界にこそ、親和する。
 そんな世界に親和するというのも、奇異な表現だと承知しつつも、自分の心の世界のあまりの貧しさ狭隘さをこの期に及んでは認めざるを得ないのである。


 ブリヨンの美術書は一度、読んだ(眺めた)だけに終わっているが、レインの『ひき裂かれた自己』は(ブランケンブルク著の『自明性の喪失』と共に)分裂病(今は統合失調症と呼称されているようだが)関連の本として、何度読んだか分からない。

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← ウォルフガング・ブランケンブルク著『自明性の喪失 分裂病の現象学』(木村敏/岡本進/島弘嗣 訳 みすず書房) 「疑問をもつということは、われわれの現存在を統合しているひとつの契機である。ただしそれは適度の分量の場合にかぎられる。分裂病者ではこの疑問が過度なものになり、現存在の基盤を掘り崩し、遂には現存在を解体してしまいそうな事態となって、分裂病者はこの疑問のために根底から危機にさらされることになる」。拙稿「W.ブランケンブルク著『自明性の喪失』」参照。

 このことだけでも、小生の資質の一端が知れようというもの。

 しかし、肝心のブリヨンの小説を読んでいない。
 幸い、図書館で物色したら、本書でも紹介されていたブリヨン著の小説『砂の都』(村上光彦訳 未知谷)が見つかった。
 ブリヨンの幻想小説の世界に自ら触れてみて、その上で小生自身の資質を改めて確かめてみたい。

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