「イニシエーションの旅―マルセル・ブリヨンの幻想小説」の周辺(前編)
村上 光彦著の『イニシエーションの旅―マルセル・ブリヨンの幻想小説』(未知谷)図書館の新入荷本のコーナーにあった本。
→ 遠く福島で自衛隊や警察が懸命の作業を行っている。遠く…しかし、心理的には直近に感じられる。昨日、帰宅直後に庭を歩いてみた。眼下の梅の小さな木の花は、世の喧騒を知らず、ただ静かに可憐に咲くばかり。
借りるかどうしようか迷っていて、三週間目になってもまだ同じテーブルの上に置いたまま。
たまたま他に借りる本が見当たらないし、久々にブリヨンの世界に触れてみるかと、敢えて借りてきた。
敢えて、というのは、小生の乏しい知識(思い込み)の中では、ブリヨンというと、学生時代に、確か古書店で入手した『抽象芸術』(瀧口修造・東野芳明・大岡信訳)や『幻想芸術』(坂崎乙郎訳)などに尽きるのだった。
つまり、小生の興味の範囲に関わりはするが(その意味で上掲の美術書は面白かったが)、だからこそ、ずっと今まで彼は学者(美術評論家)という認識しかなかったのである。
その美術評論家が小説にも手を出していたのか、という情けない理解。
← 村上 光彦【著】『イニシエーションの旅―マルセル・ブリヨンの幻想小説』(未知谷) 「マルセル・ブリヨンの幻想小説のエッセンスを豊富な引用と共に紹介」。「人の意識の辺境に潜む幻想世界へ辿りつくために貴方にも必要な一書」とか。
ところが、本書での村上氏の紹介で、ブリヨンは、「広範な知識から美術評論家、考古学者、伝記作家、歴史家、小説家と多様な場面で活躍し、1964年アカデミー・フランセーズに入会」という。
しかも『幻影の城館』や『砂の都』(村上光彦訳)などは、本格的な幻想小説だというのだ(「村上光彦 著『イニシエーションの旅 マルセル・ブリヨンの幻想小説』(未知谷 刊)の内容詳細」参照)。
悲しいことに、『抽象芸術』(瀧口修造・東野芳明・大岡信訳)や『幻想芸術』(坂崎乙郎訳)などを繙(ひもとい)た当時の記憶は薄れている。
数々の興味深い絵を見させてもらったのに。
もしかして、学生だった当時は、瀧口修造や坂崎乙郎らの名前に引きずられて読んでいた…のかもしれない。
幸いにして二冊とも我が書斎に残っている。引越し(や東京を引き払う際の大量の書籍の処分)にも関わらず、死守していたのだった。
→ 今朝早く、目が覚め、ふと外を見たら雪景色。天気予報に雪とあったけど、ホントに銀世界に一変すると、やはり驚いてしまう。きっと、梅の木も。
瀧口修造や坂崎乙郎らの本は、その後も多少は続けて読んでいったが、ブリヨンとは、上掲の二冊だけで園が切れていた。
小生の絵画などの嗜好は、案外とブリヨンに影響されていた可能性も否定しきれない。
上掲の二冊は、近い将来、再読を試みたくなった。
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