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2011/03/13

押し潰された蛙を見よ

 その時を境に私は変わった。昨日の私は消滅し新しい私は居場所を天に変えた。

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 私は全てを見ようと決心した。私とは非在の焔。それとも存在の無。
 違う! 私とは、地上世界を厭悪する天の破壊的衝動。

 裸の女を見た。着衣を剥ぎ取られ心どころか肉までが剥き出しだった。肉の塊となった女は私をそそった。私までもが肉の塊となっていた。
 そうだ! 元始のお前になるがいいのだ! 元始の私がお前を奪ってやる。見ろ! 天覧する奴がいる!

 水を呉れだと。水はたっぷり注いでやったじゃないか。何も涙の川と洒落ているわけじゃない。地上世界を殲滅した光は、大地の水を干上がらせ、天へと巻き上げた。
 あの黒い雲が見えないのか。今にも洩れ零れそうなほど、今にも溢れそうなほど、水を満々と湛えているじゃないか。
 あれこそが、水の塊だ。渇望の的だ。さんざん今まで湯水の如く垂れ流しておきながら、この期に及んで何を我が儘を吐くのだい。

 そうだ、湯水の如く愛情を撒き散らしてきたじゃないか。愛情を降り注ぎあう機会は、嫌って言うほど与えてやってきたじゃないか。なのに、今頃になって。
 魂が剥き出しだ。赤子の魂だ。赤裸の肉の心だ。裸の肉となった心どもが地上世界をうろつき回っている。六道の闇夜の川を渡ろうとしている。火の川だというのに。水を求めて。

 でも、渇いた骨と筋の骸には熱さなどどうってことないだろうが。
 慌てるんじゃない。今に黒い雨がうんざりするほどに降って来るって。涙の川になるほどに土砂降りの雨の日々が続くんだってば。

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 浮腫する肉体。血肉の蒸発する風船玉。まるで癇癪玉だ。ああ、涙が出るほど滑稽な光景だ。ゴロゴロ転がっている。
 衣服さえも天に召し上げられたのだ、髪など熱風と共に蒸発するのは当然じゃないか。髪は天へと揮発し、あるいは肉の底へと巻き込まれ縮こまっていった。天が地上世界をのし歩き睥睨して回る時、髪の毛など屁にもならぬ。
 私は哀願する若者を見た。懇願する娘を見た。平然と。お前達だって地を這いまわる蟻の命を思いやったことがあったか。さんざん、踏みつけにしておいて、今度、自分が踏みつけにされると怒る。我が儘な奴等だ。
 呪詛の声が響き渡る。呻く声が、髪の蒸散するように空しく白い闇に溶けていく。
 天はお前達のことなど、これっぽっちも相手にしていない。悪魔の玉手箱を落として成り行きを見守るやつ等ほどにも見てはいない。今頃は快哉の声をあげているに違いない。銀色の祝盃を傾けているに決まっている。

 やったー、実験は大成功だ! 同盟国は早々と降伏してしまって、落とす機会が失われてしまうと、冷や冷やだった。黄色いサルどもの上に落としてやったのだ。こうなったら、予定通り、次は違う種類の玉手箱を投下してやるぞと、虎視眈々なのだ。
 そんなやつ等に比べれば、天は無情だ。ただ、眺めている。否、眺めてさえ、いない。ただ、風が吹き、ただ、晴れ渡り、ただ、雨が降り、ただ、塵が舞うだけなのだ。

 閃光の炸裂した世界。全てを投げ打っている…に違いないと思ったのに、生活は続く。何もかもがうんざりのはずなのに、明日の為になのか、ただの惰性なのか、それとも無縁仏となって処置に困るのを恐れているだけなのか、横たわって息も絶え絶えの魂の骸に番号を打っている。
 その意志たるや!

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 見ろ、天はお前達を見捨てはしない。悪魔の玉手箱を磨いてほくそえんだりはしない。石段の下に早くも水が湧いているじゃないか。天と地とは繋がっているのだ。満タンの天の貯水槽から溢れ出した水が、雨となって降り注ぐ前に、つい、地上世界にオモラシしてしまった。慈悲だって。何とでも言うがいい。天の思惑などこの際、関係ないだろう。

 水を汲め。水を嘗めろ。地の底に湧く水を吸い上げるんだ。ほら、あそこにも水に飢えている奴がいるじゃないか。ああ、つい、天にある我、地上世界の不在の私が口を挟んでしまった。私も堪え性がないのだ。お前達と同罪だ。
 糞塗れの肉体。水たまりはなくとも糞尿の池は数知れない。それだって地という名の天が濾過してくれるというもの。地に染み込んだ糞尿を土壌に変え、尿を水に変え…。そう、汚物も世界を循環していく。この世に輪廻の定めを逃れられるものなど、寸毫ほどもありはしないのだ。

 念仏とは地獄を忘れんとしたものたちの呪文。地獄ではなく天国を夢見る祈り。現実を見ることを拒むものたちの合唱。一団となって地獄へと三途の川を渡河する喜劇のテーマソング。
 だからこそ、喇叭の音が似合う。念仏と喇叭とが藍色の空で合奏している。滑稽なほどの真剣。酷薄なほどのコント。
 握り飯を喰らう。土を喰らう。草を喰らう。虫を喰らう。なんだって喰らう。人の不幸だって喰らってきたじゃないか。

 まずい、まずい、思わず人だって喰らってきたじゃないか…などと正直なことを口走ろうとしてしまった。
 私は地上世界の不在者、天へと蒸発した肉、存在の無、全てを見るもの。見たくないものをこそ目にしてしまう性(さが)を生きるもの。誰もが目を背ける光景をその行末に至るまで見尽くす宿命を負ったもの。
 胸のむかつきなど、屁でもない。私とはむかつきの果てに吐き出された魂の骸なのだから。

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 あの死骸は誰か。そんなことが意味あるというのか。そうかもしれん。無縁ではありえない。目印がある限りは、誰であり彼であるのだろう。
 その実、無縁仏として捨て去られた骸の多いこと。生きている間は、毟れるだけ毟り取って、甘い汁を貪って、そうして魂の抜け殻となった骸を無縁墓地の前に捨て去ってきたのは、誰か。
 ふん、何も、因果応報だなんて言うつもりはない。そんなちっぽけな了見で天では居られない。私は存在の無なのだ。無に因果など通用するはずもない。縁(えん)も縁(ゆかり)もない。

 あるのは、ただ、殺伐たる光景。見飽きた、昨日と似たり寄ったりの今日の惨状。死に至る生への執着という病に駆られる飢えたる魂たちを、哀れに眺めるのみ。
 徒手空拳で何を掴もうというのか。何を握り締めようとしたのか。誰かに縋ろうとしたのか。それとも、ただ、肉が縮こまっただけなのか。融けた皮が冷えて固まっただけのことなのか。
 あられもない姿。この世で見るほどのものは見たのだ。お前にも、ほんの少し、お裾分けさ。

 人は闇から来たって闇に還っていく。この世に生きてあるものの道筋は、誰にも平等なのである。ただ、誰もが闇の中でこっそりと末期を迎えるから、目を背けて居られるだけ。来る時が来たら、肉は殺げ、肉は腐り、肉は焼け、心は焦がれ、心は涸れ、心は妬ける。
 心の肉に蛆が湧き、命が自然発生する。そう、えげつない命の営みが己が肉のうちで繰り広げられる。悪魔の玉手箱は地上世界の枠も囲いも塀も壁も覆いも仕来りも取っ払ってしまった。人が営々と築き上げてきた世間体という体裁をもあっさりと吹き飛ばしてしまった。

 薄闇の奥でこっそりと処理されていた、偽善をも奪い去ってしまった。人の肉は地の底にあって燐と成り果てることを暴露してしまった。人の尊厳など、塵ほどにも意味を持たなくさせてしまった。
 夜は人魂が燃えていると云う。違う、夜も昼も人魂は燃えているのだ。お前達の目は節穴だからそれが見えないだけなのだ。今も燃えているぞ。見えないのか!

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 遠い昔、広島の地は森の地だった。それを剥げさせて、田となし、畑となし、町となした。今、灰燼に帰って、その遥か遠い昔をお前達は思い出すか。思い出すまい。そんなものなのだ。
 だから、天もお前達を見はしない。塵ほども気にかけない。風が吹くに任せるだけ。鳶(とび)の舞うに任せるだけなのだ。

 押し潰された蛙を見よ。かのごとく生き、死ぬのがいい。この世を這いまわって、力尽きて死ぬがいいのだ。他に何をすることがある?

        (「日蔭ノナクナツタ広島ノ上空ヲトビガ舞ツテヰル」より)

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