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2011/03/03

サナトリウムとライと(前編)

 サナトリウムというのは、(広辞苑によると)林間とか海辺とか高原といった、いい空気と日当たりの恵まれた場所にある療養所。主として結核症など慢性疾患を治療する施設、と説明されている。

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← 梶井基次郎/著『檸檬』(新潮文庫) 病(結核)が重くなり、初めての創作集『檸檬』刊行の翌年、郷里大阪にて逝去。享年31。

 少なからぬ文学好きが思い浮かべるのは、トーマス・マン(1875‐1955)の『魔の山』だろう。
 小生も学生時代にやっとの思いでこの長編を読了した記憶がある。但し、一度きりである。ドストエフスキーの小説は全てどれも最低でも3回は読んでいるから、当時の小生は体質的に(?)マンの世界に没入できなかったのだろう。

 主人公(語り手)ハンス・カストルプが平凡で、退屈した記憶しか残っていない。カストルプはスイスのアルプス高原にあるサナトリウムで療養することになる。彼はこの病気と死が日常である療養所で7年間も過ごすことになるのだ。

 マンは何故、主人公を平凡な人間に設定したのだろうか。
(中略)

 結核は一昔前までは死の病だった。死にいたる業苦だったのである。日本でも結核をテーマにしたり、背景になっている作品は沢山ある。
 堀辰雄、横光利一、島木健作、樋口一葉、正岡子規、石川啄木、宮沢賢治、作家ではないが、画家の佐伯祐三、作曲家の滝廉太郎、もう、枚挙に遑のないほどだ。
 昔は、結核に縁の薄い作家・芸術家のほうが少ないのではないか(一般の方にも身近な病だったわけだし)。その希有(?)な例外が武者小路実篤に代表される白樺派だったりして。

「サナトリウム文学」という言葉もあるほどだ。その終焉を飾った作家の一人に福永武彦がいる:
福永武彦研究『夢のように』(はじめに)

 逆に結核で死を覚悟しながらも、薬剤の登場にギリギリ間に合い生還し、長生きされた埴谷雄高のような例もある:
マン『魔の山』雑感

 海外で結核に苦しんだ作家はあまりに多いので挙げるのも面倒だ。
 そもそもロマン主義文学とは病者の文学と呼ばれたりする。病的な感受性に止まらず、自ら病に罹っていない文学者など肩身が狭かったりして。そのロマン主義文学の背景に、産業革命があることは常識だろう。そして、その産業の隆盛と人間の都会への密集が結核を蔓延させる土壌ともなっているわけである。

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← トーマス・マン/著『魔の山』(高橋義孝/訳 新潮文庫) 「カストルプ青年は、日常世界から隔離され病気と死に支配された“魔の山”の療養所で、精神と本能的生命、秩序と混沌、合理と非合理などの対立する諸相を経験し」……。「マン『魔の山』雑感」参照。

 結核と縁の深い外国の作家をいちいち挙げないが、ただ、小生が最高に傾倒している作家・カフカだけは挙げておきたい。
 但し、カフカは、これで仕事をしなくて済む、文学に打ち込めると歓んだようだから、苦しんだ作家の事例からは外れるのかもしれないが。

 日本で最初にカフカを評価した作家と言われる中島敦も、結核に苦しんだ。
 今、小生は中島敦の『南洋通信』を読んでいる。きっと転地療養を兼ねて南洋で働いたのだろうが、湿気と暑さに苦しめられ、任に堪えられず帰国し、帰郷したその年に倒れている。

『南洋通信』には、日本を遠く離れた南洋の地から彼の妻や子供たちへ当てた手紙や葉書の文章が集められているのだが、妻や子には良くなりつつあると空元気を示しながらも、自身は死を強く予感している文面には胸を締め付けられてしまう。当然のことながら、中島敦は南洋の地にあっては回復を諦めていたわけでは決してない。
 
 ちなみに、中島敦はカフカのアフォリズムを訳している。一説には、中島敦の『山月記』において、主人公が虎に変身してしまうのだが、もしかしたらカフカの『変身』にヒントを得ているのかもと言われたりもする。
 勿論、『山月記』が中国の文献に基づいた創案小説であることは言うまでもないことととして、なんとなく納得したりして。

 ああ! 中島敦! そしてカフカ!
 『変身』は幾度、読んだだろうか。とうとう原書でも読んだほどなのだ。

 忘れてならな作家に梶井基次郎がいる:
松岡正剛の千夜千冊『檸檬』梶井基次郎

 
 彼も結核に苦しみ倒れた作家なのだ。結核は時間との戦いを若者に意識させる。人生は、まさに時間との戦い、砂時計の砂の落ちるよう、蝋燭の焔の風に揺れ燃え尽きていくのを見守るようにして我が人生を凝視する若き作家。固く握ったはずの手の平から砂が、時間が、命が、汗が、愛が、無情にも零れ落ちていく。

 息をすることは生きることのはずである。それが、息をすることが苦しみであるとは。息とはプネウマであり、命であり、魂なのだ。その気息を取り込むことが業苦とイコールであるとは、何という責め苦であろうか。

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← 中島敦著『南洋通信』(中公文庫) 「中島敦『李陵・山月記』雑感」参照。

  結核は死の臭いの濃厚にする病だ。性病や癩と並ぶ人類最初の病なのかもしれない。
 医学の父と呼ばれるヒポクラテスの『古い医術について』(岩波文庫刊)は名著だ。小生の学生時代の愛読書でもあった。お医者さんたちにも愛読してもらいたい本でもある。記憶ではその中にも結核と思われる病気が記述されていたと思う(ちょっと自信がない)。

 ちなみにヒポクラテスの「金言集」の中の有名な言葉、「Vita brevis, ars vero longa」は「人生は短し、されど芸術は長し」と誤釈されている。医師であるヒポクラテスは、医学の技能を学ぶには人生はあまりに短い=つまり、一所懸命勉強しろ、と言っているのだ。

 そう、小生も馬齢を重ねて、人生の短さを、というより怠慢すぎた我が人生をつくづく今になって感じている(遅すぎるっちゅうねん!)。

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