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2011/03/31

久しぶりの、でも憂鬱な連休(後編)

 ある後輩(といっても、年齢は数歳上)は、営業のノウハウがある。
 人に接するのが非常に上手い。

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→ 黄水仙(ラッパ水仙?)が、庭のあちこちで咲き始めている。何の世話もしないのに、強い植物だ。梅や山茶花やアセビ以外、ほとんど花の咲いていない、やや陰気な我が家の庭を紅一点のごとく、にぎわせてくれている。これからも!

 タクシードライバーとして車内でお喋りはしないことになっているが、それでも、新米として道が詳しくない時(個人の家など分からない!)、お客さんに不快な思いをさせないよう、それどころか愉快な気持ちにさせてまで、上手く聞き出して、営業する。
 こういう人は指名が増えるはずである(実際、指名があった。小生には、今のところ、ない)。

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2011/03/30

久しぶりの、でも憂鬱な連休(前編)

 久しぶりの連休だった。
 先々週までは、朝の八時(ただし仕事の準備が必要なので、七時半までには会社に)から夕方四時半(大概は五時過ぎ)までの日勤
 週に一日の休み。
 普通の人の土曜日みたいな半日で仕事が終わることはない。

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→ 玄関の生け花を生け直した。カーネーションっぽい花を追加した。

 それが、先週からは(言うなれば)終日勤のような勤務体系に
 朝の八時から夜中過ぎまでの拘束時間。朝は仕事(車)の準備があるし、終わったら、仕事の片付け(主に洗車と乗務報告)があり、約18時間ほど会社(営業所)にいることになる。

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2011/03/29

想定内とか想定外とか

[以下は、あるSNSでの小生の昨日の日記(呟き)

阪神淡路大震災のときも、高速道路が倒壊した際、想定を越える震度とかで、壊れたことの弁解・弁明していた。

福島原発も、想定を超える津波という言い訳。

      外部電源が壊れるなんて想定外。
      万が一にも炉心溶融は起きない。
      事故があっても、四機同時になんてありえない。
      原子炉格納容器は頑丈にできている……。

      などなど。

みーんな、良心的な有識者は想定していたじゃない:
発信箱:すべて想定されていた=福岡賢正(西部報道部) - 毎日jp(毎日新聞)

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子供と魔法の世界(後編)

 親(大人)の言葉や仕草も、家の柱も天井も壁も、立ち木も、木々の葉っぱも、あるいは天の青い空も白い雲も、すべて、鮮やか過ぎる、新奇なる感動の種なのである。
 そう、驚きの連続なのだ。

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← プランターの花の寄せ植えをそっくり植えた花たちは、今日も元気。ちょっと殺風景な筋状の花壇を紅一点のようににぎわせてくれている。

 車という物体がある。なんだか知らないが、それに乗せられると、居ながらにして、当人は座っていながらにして、親に肩を抱かれているだけで、世界をすっ飛んでいく。
 窓の外の風景が流れていく。道端の、普段は自分を追い越すか、自分を見下ろし睥睨していたはずの無数の人々を、あっという間に追いつき追い越し、後に置き去りにしていく。

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2011/03/28

子供と魔法の世界(前編)

 道を歩くと、子供を連れた親御さんと幾度となく擦れ違った。やけに親子連れに行き会うなと、思ったら、今日は、他に用件があったので、昼間の外出となっていたからなのだった。

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→ 裏庭の隅っこにあった高さ1メートル余りの梅の木を表の庭に移植した。すぐ目の前に車道がある。そう、人の目に触れる。日向でもある。一応、肥料は与えたし、水もたっぷり注いだ。育ってくれるだろうか。

 そんな中、外出の帰り、2歳か3歳の子供を抱いている若いお母さんを見かけた。何処となく変な印象を感じてしまった。実は、そのお母さんは、子供を斜めにして、しかも、子供のお腹に手をあてがっていた。ちょっと見かけない恰好である。

 子供は、気のせいか、ちょっと苦しげな表情をしている。

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2011/03/27

寺田寅彦著『柿の種』あれこれ

 車中で寺田寅彦著の『柿の種』(岩波文庫刊)を読んだ。
 読み終えてから言うのも今更だが、こんな本を慌しく車中で読むんじゃなかったと、読み終えて後悔しきりである。

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← 26日、昼前後に小雪が舞った。お風呂場の壊れたボイラーや煙突も震えてた。ところで、旧稿であるこの小文をアップしたのは、今も営業の車中で寺田寅彦の随筆集を読んでいるからである。十年前と同じようなことをやっている。当時とは、身辺に大きな違いが生じているが、やっていることは似たり寄ったり。

 小生は科学者の随筆を読むのが好きである。最新の情報を与えてくれる今、活躍中の科学者の随筆は、勿論、目配りをしておく。
 けれど、科学ものとはいっても、新しいものがいいとは限らない。古くてもいいものはいいのである。古いほうでは岡潔や朝永振一郎、湯川秀樹といろいろいる。

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2011/03/26

季節外れとは思うけど雪のことなど

 雪の研究というと、誰しも思い浮かべるのは中谷宇吉郎であろう。小生も高校時代からの彼のファンだ(同じく公明な科学者(物理学者)であり、且つ名随筆家である寺田寅彦のファンでもあるけど)。
「中谷は、世界で初めて人工的に雪結晶を作ることに成功」した人として有名だろう。

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→ 今日26日は、母の月命日。庭の花々を丹精篭めて育てていた母なので、プランターを買ってきて、通り沿いの帯状の花壇に植えた。花々を眺めながら、一人で参っていた。

 彼の「雪は天からの手紙である」という言葉は、寺田寅彦の「天災は忘れた頃にやってくる」と並んで、科学者が生んだ名言として有名である。
 初めて彼の『雪』を読んだ時は、こんなことを研究する科学者がいるんだと感激したものだった。 もっと言うと、こんなことを研究してもいいんだと驚いたのだと言うべきかも知れない。

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2011/03/25

車中での読書タイムが増えそう ? ! (後編)

 タクシーの魅力は、自分の経験や勘で町を流す中でポイントを見出し、営業の実をあげていく。
 釣りに近い感覚もあったりする(お客さんを魚で喩えるのは失礼だが)。

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← 穴の中の様子を伺っている。穴の中に鳥の巣でもあるのか。餌を見つけたのか。それとも、これから巣にするのに相応しいか、確かめているのか…。小生、思わず息を呑み、固唾を呑んで様子を見守ることに。

 それに、先月の(タクシー業界に飛び込んで間もない頃の)日記で書いたように、迎車でお客さんの元へ行って、お客さんに対面して、というのが苦手なのである。


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2011/03/24

車中での読書タイムが増えそう ? ! (前編)

 富山に帰郷し、富山においてタクシー業務に携わり始めて、約一月半となる。
 面接、研修、乗務員証受領、見習いとしての実務開始。
 先週で、日勤が終わり、いよいよ今週水曜日(23日)、つまり昨日からA勤となった。

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← 「CENTRAM(セントラム)」 富山駅北口から岩瀬浜(北の方角にある)へ向けてのポートラムに続き、駅の南口(というか表口)から富山市の市街地を周回するセントラムが運行している。これも車体のデザインや乗りやすさもあって、人気。開業して一年余りとなる。いずれは、ポートラムとセントラムが繋がり、さらに延伸の計画もある。たまたま自転車で市街地へ出かけた際、見かけたので撮影した。小生も早く一度は乗りたい。

 日勤は、朝の8時から夕方の4時15分までが拘束時間。
 一方、A勤となると、朝の8時から夜中の零時半が拘束時間。

 ただし、まだ見習い期間が終わったわけではない。
 勤務の時間帯が、東京在住時代の勤務体系にやや近いものになったというだけである。

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2011/03/23

最近のつぶやき集(順不同)

東日本大震災:「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110314k0000m040103000c.html
 本当に緊急の場合、録音テープを流すとか、手段を講じておけなかったのか? 悲劇だ。

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→ 「Parthenon Moon」 更地のように成り果てた地に立つ廃墟に上がる赤っぽいスーパームーンの月影。どこかフェイド・アウトしていく日本を象徴するようでもある。同時に、天も月も日本の復興を見守っているようでもある。(画像は、昨日も紹介した「スーパームーン写真集」から)

スーパームーン写真集
http://t.co/ShVJA8X
 素敵な月写真集。画像を使いたくなる。


放射線でガンになるのが嫌ならまずタバコをやめれば良いんでないかって、誰かが言ってた。納得。


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2011/03/22

もう一つの『デューン』それとも『砂の女』?(後編)

 マルセル・ブリヨンは、「美術評論家、考古学者、伝記作家、歴史家、小説家と多様な場面で活躍」した人物。
 学者として中央アジアなどを学術調査し、知見を広め、深めもしただろう。
 が、(考古)学者としては、遺跡などを前にしても、語りえることには制約がある。

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← 3月19日の夕刻、玄関前から月影を撮った。小生の腕前では、せっかくの月の姿も、みすぼらしい。その代わり、「スーパームーン写真集」を紹介しておく。「2011年3月19日は、満月と地球が最も近づく特別な日で、その日に見える月を「スーパームーン」と呼」ぶ。

 一方、伝記作家、歴史家、作家としての彼の想像力は、砂漠の世界、砂の海に埋もれた、発掘も叶わぬ世界を前にして、想像と創造の翼は羽ばたいてしまうことをどうしようもない。

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2011/03/21

もう一つの『デューン』それとも『砂の女』?(前編)

 日記「「イニシエーションの旅―マルセル・ブリヨンの幻想小説」の周辺(後編)」の中で、村上光彦氏の解説を読んでいて、自分はブリヨンの幻想小説の世界とは肌が合わないのかもしれない。

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→ 山茶花? 我が家の樹木なのに、名前が分からない。

 でも、評論はともかく、「肝心のブリヨンの小説を読んでいない」し、「図書館で物色したら、本書でも紹介されていたブリヨン著の小説『砂の都』(村上光彦訳 未知谷)が見つかった」ことでもあるし、「ブリヨンの幻想小説の世界に自ら触れてみて、その上で小生自身の資質を改めて確かめてみたい」と書いている。

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2011/03/20

『富山県の歴史散歩』の周辺(後編)

 要は富山の道も知らなければ、そもそも富山の名物・名産・観光地の類は、全くとは言わないが、ほとんど知らないし、そもそも富山県内(市内)を観光もドライブもあまりやっていないのである。

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← 『復刻版 越中安政大地震見聞録』(富山県郷土史会校注 ケイエヌビィ・イー) 「安政5年(1858)2月26日に発生した越中安政大地震の全貌を伝える「立山大鳶崩れの記」待望の復刻」。「安政飛越地震から149年を経て、中越地震、能登半島地震、中越沖地震と富山県周辺で立て続けに大地震が発生している今日、本書は、なおも安全神話にすがりつきたくなる北陸の人々の心情を厳粛に諌めるものである」(富山大学大学院教授 竹内 章) [本書帯記より]。父の蔵書の一冊。貴重な文献なので、そのうちじっくり読もうと思っていた…ら、この度の大震災である。近いうちに、心して読みたい。本書が復刻されたのは、平成19年だが、奇しくも小生は、偶然にもその前の年、つまり平成18年に、「飛越地震から150年」と題した拙稿を書いている。この地震は、「安政飛越地震」と呼称されることもある。相前後して発生した関東などでの「安政大地震」と区別するためだろう。この地震の際、富山には20メートルを越す津波が襲ったという記録も本書に見出される。

 時折は帰省の際に、知り合いの方に誘われ、ドライブをしたことがあるし、家族で黒部近辺、相倉の合掌村などをドライブしたことがある。
 ただ、高岡も氷見も城端も砺波も滑川(小学校の遠足で行っただけ)も小矢部も立山(友人らと一度、学生時代、バス旅行したことがあるだけ)も行ったことがないも同然なのである。

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2011/03/19

『富山県の歴史散歩』の周辺(前編)

 富山(市)にてタクシー業務に携わるということで、地図を買いに行った。
 各タクシー車両には地図が備わっている、という話だが、なぜか小生の乗る車には見当たらない。

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← 富山近代史研究会歴史散歩部会=編『富山県の歴史散歩』(歴史散歩 16 山川出版社) 「本書の構成は,「新川路を歩く」「富山路を歩く」「射水・高岡路を歩く」「砺波路を歩く」」。営業所での待機中、読了した。十日ほどで。

 そのうち用意してくれるものと、過日、簡易な市街地地図を購入している。
 が、一向に他の車には備わっている立派な地図が準備される様子がない。

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2011/03/18

「イニシエーションの旅―マルセル・ブリヨンの幻想小説」の周辺(後編)

 余談続きだが、村上光彦氏についても、「村上光彦 著『イニシエーションの旅 マルセル・ブリヨンの幻想小説』(未知谷 刊)の内容詳細」に記されている。

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← 昨日の早朝、一面の銀世界。風呂場の壊れたボイラーの煙突も、寒そうである。

 小生は、同氏の訳でヴィーゼル『夜』、レイン『好き? 好き? 大好き?』、モノー『偶然と必然』などを(これらもたぶん、学生時代か)読ませてもらっている。

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2011/03/17

「イニシエーションの旅―マルセル・ブリヨンの幻想小説」の周辺(前編)

 村上 光彦著の『イニシエーションの旅―マルセル・ブリヨンの幻想小説』(未知谷)図書館の新入荷本のコーナーにあった本。

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→ 遠く福島で自衛隊や警察が懸命の作業を行っている。遠く…しかし、心理的には直近に感じられる。昨日、帰宅直後に庭を歩いてみた。眼下の梅の小さな木の花は、世の喧騒を知らず、ただ静かに可憐に咲くばかり。

 借りるかどうしようか迷っていて、三週間目になってもまだ同じテーブルの上に置いたまま。
 たまたま他に借りる本が見当たらないし、久々にブリヨンの世界に触れてみるかと、敢えて借りてきた。

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2011/03/16

立川昭二から翁草へ(後編)

(本稿は、「立川昭二から翁草へ(前編)」からの続き。)

 ところで、この「江戸中期の随筆集「翁草」考」のトップページに飛んでみて、ちょっとビックリした。
 このサイトは、元来が、幻の野草オキナグサを愛好する方のサイトであり、オキナグサに関連するあらゆる事項を網羅せんとしたサイトだったと知れたのだ。

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← 立川昭二 著『足るを知る生き方 神沢杜口「翁草」に学ぶ』(講談社) 「知足は不足の中に在り。人生後半をどう生きるか!老いの生き方を説く人生の達人・神沢杜口」。ちなみに、「杜口とは口をふさぐの意」であるとか。 「『足るを知る生き方』神沢杜口という人」が参考になるかも知れない。

 どんなものにも愛好する方はいるのだが、さて、オキナグサに魅了されるとは、一体、オキナグサの何処にそんな魅力があるのだろうか。

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2011/03/15

福島原発の半径30キロ飛行禁止に

 国(首相)によって、「東京電力福島第一原子力発電所2号機の事故で放射性物質が屋外に放出されたとして、同原発の半径20キロ以内からの避難」が呼びかけられ、さらに、「20~30キロの圏内では屋内に退避するよう要請」されている。
 これらの情報はテレビなどで盛んに伝えられている。

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→ 我が家の杉の木の惨状。別に被災したわけじゃない。疲弊しているのである。

 一方、以下のような情報は、目新しいかもしれない。
 一般の方には、直接には関係ないから、当然(?)なのかもしれないが。

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2011/03/14

立川昭二から翁草へ(前編)

 10月10日付け朝日新聞夕刊に、立川昭二氏へのインタビュー記事が載っていた(聞き手は宮代栄一氏)。

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← 「オキナグサ(翁草、学名: Pulsatilla cernua )」 (画像は、「オキナグサ - Wikipedia」より)

 その中で、立川氏はいま、江戸時代中期の文人だった神沢杜口(かんざわとこう)に関心があると述べている。京都町奉行所の与力だったが、40代半ばで現役を退き、『翁草』という200巻の見聞録を残したという。森鴎外はこの翁草から「高瀬舟」や「興津弥五衛門の遺書」などの題材を得たとか。

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2011/03/13

押し潰された蛙を見よ

 その時を境に私は変わった。昨日の私は消滅し新しい私は居場所を天に変えた。

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 私は全てを見ようと決心した。私とは非在の焔。それとも存在の無。
 違う! 私とは、地上世界を厭悪する天の破壊的衝動。

 裸の女を見た。着衣を剥ぎ取られ心どころか肉までが剥き出しだった。肉の塊となった女は私をそそった。私までもが肉の塊となっていた。
 そうだ! 元始のお前になるがいいのだ! 元始の私がお前を奪ってやる。見ろ! 天覧する奴がいる!

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2011/03/12

福島原発の事故を日本のエネルギー政策の転換の契機に

 この度の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で、地震そして津波による被害は甚大である。
 関連の報道は一日を経過した今日、一層、事態の深刻さを示している。
 一方、今日の報道で重みを増してきたのは、福島第一原発(および第二原発)関連。

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← 野暮用があって、富山市郊外にある知り合いの家まで遠出。その家の庭から立山連峰を遠望、そして撮影。

 福島第1原子力発電所1号機で、爆発事故があった。
 不幸中の幸いとして、原子炉(内部)ではなく、建屋が水素爆発(空気中の酸素と反応しての爆発)のため、損壊したもの。
 放射能の大規模な漏れという事態は、確認されていないもよう。

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2011/03/11

国内史上最大級M8.8の地震が発生した!

 今日午後、震度7を記録した地震が発生した。震源地は三陸沖で、震源の深さは約10キロ。マグニチュード(M)は8・8。関東大震災のM7・9を上回り、気象庁によると国内観測史上最大級
 地震の震源は牡鹿半島の東南東130キロ付近だという。
気象庁は、マグニチュードについて、3月13日になって、8・8から9・0に変更した。「マグニチュードが0.2大きくなると地震のエネルギーは2倍になる。今回の地震のエネルギーは、関東大震災の約45倍、阪神大震災の約1450倍になる」という。]


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→ 「立山大鳶山抜図」 (画像は、「日本地震学会:なゐふる:vol.29 (5-8) 絵図から情報を汲む 第4回 飛越地震と大鳶崩れ」より)

 小生は、待機のため営業所の休憩室にいたときに、地震の発生を知った。
 ソファに腰掛け、同僚らと共にテレビを見たり、歓談したりしていた。
 そのうち、敏感な方が、あれ、揺れてる、地震? と呟き始めた。

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2011/03/10

2007年つながり、という話

 偶然なのだろうか、図書館で本を借りる際、可能な限り、新刊(新入荷)本の中から、読みたい本を物色する小生なのに、このところ、二冊、続けて2007年刊行の本を読んでいた。

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← アン・ギボンズ/著『最初のヒト』 (河合信和/訳 新書館.) 「現在ただいま進行中の、最古のヒト化石をめぐる熾烈な発掘競争物語」。発掘競争が、ここまで熾烈だとは! 数学(者)の世界も、生物学の世界も、研究者らの一番乗り競争は、苛烈を極める。一番手だけが歴史に残り、二番手以下は、エピソードを書き連ねる本の、刺身のツマ程度になれればいいほう。


 一冊は、ジョージ・G.スピーロ著の『ポアンカレ予想』であり、もう一冊は、アン・ギボンズ/著の『最初のヒト』 である。
 どちらも、いつかは読みたいと思いつつ、どういうわけか、借りるまでには至らずに来た本。
 書架で何度となく、手にはしていたのだが、なぜか、最後のところで借りるのをためらってしまった。

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2011/03/09

心を自傷する肉体(後編)

 では、心より自分の肉体が確かだと思っていたのか。

 まさか! である。肉体ほど訳の分からないモノがあるだろうか。自分って何? この身体? でも、周りの誰にも相手にされない肉体って悲しいだけじゃない? どれほど自傷しても、誰も振り返らない肉体など存在する価値がある? ただ一人の女にも関心を持たれない男にプライドを保つどんな道がある? 

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← 昨日(8日)、つかの間の晴れ間に恵まれ、自転車で買い物へ。途中、こんな地蔵尊(?)を見かけた。ちゃんと花も水も供えられている。

 なのに心が傷む。胸が張り裂けそうになる。気が狂いそうなほどに孤独の刃が自分を苛む。

 流れる血が乾ききるほどに、世界が蒼白になるほどに、眩暈がして意識を失ってしまいそうなほどに、吐き気がするほどに、でも吐くものなど何もないのに嘔吐感だけが我が物顔になるだけなのに、それだけの肉体に過ぎないのに、肉体が確実なわけがないのだ。
 

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2011/03/08

心を自傷する肉体(前編)

 ガキの頃、あるいは物心付いたかどうかの頃、地獄絵図の夢をよく見たものだった。立山曼荼羅に描かれる世界が、小生の夢の中では現実だった
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宝泉寺蔵地獄極楽図から我が地獄の夢へ
三途の川と賽の河原と
富山……佐伯有頼そして立山
地獄絵をよむ…美と苦と快と

 幾度となく炎熱地獄、無間地獄の世界を逃げ惑った。目が醒めて、ああ、夢だったのかと安堵の胸を撫で下ろすのだったけど、目覚めというのは、眠りの間の束の間の猶予に過ぎず、夜ともなると、また、元の木阿弥へと突き落とされていく。

 その地獄では、同じ場面が繰り返された。ある男(自分?)の脛(すね)の肉が殺ぎ落とされる。
 血が噴出す。肉片が何処かへ行ってしまう。男は、取り戻そうと駆け出すのだが、炎熱に阻まれて追うことは侭ならない。

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2011/03/07

行き方が分かりません!(下)

 営業所にいて、配車室へ呼ばれて、司令員に地図を見せてもらいながら説明を受けるのなら、さすがに間違えないようにはなった(それでも、間違えないか、とドキドキしながら当該の箇所へ向かっている)。

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→ このところ、寒さがぶり返している。夜中に雪、時には夕刻から雪に変わったりする。それでも、積雪は、せいぜい数センチ。春は、もう、そこまで来ている、はず!

 難しいのは、何処かの街中を走っている最中に、たまたま目的地に一番近いか、あるいは他の車が実車中で他に選択肢がなくて新人たる小生に配車が回ってきた場合である。

 走行中の車の中で、無線のマイクを手にしながら、無線室からの指令を聞いて正確に理解する。

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2011/03/06

行き方が分かりません!(上)

(富山において)新米のタクシードライバーとしての、慌しい日々が続いている。
 十日間の研修を経て、2月21日から営業の実務に入った。

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→ 「第57回全日本チンドンコンクール」(4月8日(金)~10日(日)) 先週末、図書館へ行ったら、階段の踊り場の掲示板にこのチラシが張ってあった。富山での全国的なイベント。毎年恒例。拙稿「「チンドン大パレード」へ(1)」など参照。…それにしても、今年のポスター、なんだか地味すぎないか ? !

 といっても、実際には見習い扱いで、まずは営業所を中心とした営業である。
 地元密着型の営業を中心としているので、営業所の周辺の常連さんを覚えるのがまず先決なのだ。
 そういった常連さんの自宅などへ、無線情報に基づき、大至急(ないし指定された時間までに)向かうことになる。

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2011/03/05

『日本滞在日記』…日露交渉の夜明け前

『日本滞在日記』(レザーノフ著、大島幹雄訳、岩波文庫刊)を今日、読了した。
 これはロシアの全権大使レザーノフが日本に通商を求めてやってきた際の、交渉ドタバタ劇とも言うべき本である。

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← ニコライ・レザーノフ著『日本滞在日記 1804‐1805』(大島幹雄訳、岩波文庫刊) 「本書は長年出版が禁じられ、1994年に初めて公刊された」。

 彼、レザーノフが日本にやってきたのは、1804年 9月であり、長崎に長い航海の末到着した。彼は半年余り日本に滞在し、すったもんだの交渉の挙句、通商は拒否されるのだが、この日記は、この間の日本側の役人とレザーノフの長い、先の見えない交渉の舞台を日記の形で綴っている。

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2011/03/04

サナトリウムとライと(後編)

 結核は忌まわしい病ではあったが、同時に多くの文学・芸術作品を残した。
 その一方、癌も業病なのに結核ほどには豊穣な文学世界を恵んではくれなかった(小生の印象に過ぎないのだろうか?)。

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→ 「ガルダ湖 (Lago di Garda) 」 「イタリアで最も面積の広い湖」。ジョイスや「ダンテ、ペトラルカやマキアヴェッリ、アリオスト、タッソーなど、この湖はイタリアの詩人や文人達にとってインスピレーションの源でもあった」。ゲーテもこの湖に魅せられている。「リルケ、トーマス・マン、ノーベル文学賞作家ハイゼ、ジイド、カフカ」もこの湖を愛した。「結核療養のためガルダ湖に滞在したヤコブセンやD.H.ローレンス、カルドゥッチ、など、この湖を愛した文人達は数え切れ」ないという。(画像は、「ガルダ湖 - Wikipedia」より)

 それは癌は一般的に、一旦、発病すると死の訪れが早く、ペンを執る遑も与えてはくれない場合が多いからだろう。つまり、癌は作家らが描いてさえも、ドキュメント的な作品になりがちなのである(ドキュメントも文学だというなら、癌は癌で芸術の母体にもなったと言うべきなのかも知れないが)。

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2011/03/03

サナトリウムとライと(前編)

 サナトリウムというのは、(広辞苑によると)林間とか海辺とか高原といった、いい空気と日当たりの恵まれた場所にある療養所。主として結核症など慢性疾患を治療する施設、と説明されている。

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← 梶井基次郎/著『檸檬』(新潮文庫) 病(結核)が重くなり、初めての創作集『檸檬』刊行の翌年、郷里大阪にて逝去。享年31。

 少なからぬ文学好きが思い浮かべるのは、トーマス・マン(1875‐1955)の『魔の山』だろう。
 小生も学生時代にやっとの思いでこの長編を読了した記憶がある。但し、一度きりである。ドストエフスキーの小説は全てどれも最低でも3回は読んでいるから、当時の小生は体質的に(?)マンの世界に没入できなかったのだろう。

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2011/03/02

pfaelzerweinさんコメントへのレス

ヒポクラテス『古い医術について』(前編)」なる記事にいただいた、御馴染みのpfaelzerweinさんのせっかくのコメント。
 当然ながら、レスをしたのだが、なぜか、小生のレスがスパム扱いになって、弾かれてしまう。

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← 先月末、うっすら雪化粧。今冬、最後の降雪かなと、しみじみ(余裕で?)眺めていた。が、なんと、今日(水曜日)も、積もることはなかったが、日中、霙や雪。夕方からは、もしかしたら本格的な雪となった。木、金と雪だるまマークが出てしまっている。しかも、寒い!

 よほど、小生のレスの内容が稚拙なのか、それとも、何か禁句のような言葉が混じっているからなのか、真相は分からない。
 このままコメントに対してレスをしないのは、心苦しいし、悔しくもあるので(自分のコメント(レス)がスパム扱いだなんて、不可解!)、小生のレスを一つの記事に仕立てることにする。

 あくまでレスなので、お喋り調になっていますが、ご容赦を。
(そもそも、pfaelzerweinさんのせっかくのコメントは、いつも含意が深いので、ピントがずれているだけじゃなく、まともにレスもできていないのは、見られる通りである。)

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2011/03/01

ヒポクラテス『古い医術について』(後編)

 神聖病という章がある。
 神聖病とは、今風な言い方をしたら精神病とか統合失調症、もっと広く心の病全般かもしれない。当然、現代では、原因の必ずしも特定されないものから、脳に腫瘍が出来て、機能障害を起こし、結果として精神の病かのような理解不能な行動になってしまうものもある。

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→ 「春のやよいの このよき日 なによりうれしい ひな祭り♪」には、まだ早いけど、我が家の庭先の梅の木は、今年もちらちら花を咲かせてくれた。近所の家の壁を背に今日の午後、雨の中、撮影。

 古代においては、そうした神聖病は治療など論外で、ただ、時に神がかりの状態になり、常人では考えられない何かを神の啓示の如くに示す(いや、神の啓示、お告げそのものだ)と思われたのかもしれない。

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