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2011/02/09

『中世の秋』 それともメメント・モリ(前編)

 メメント・モリという言葉は有名なので、敢えて説明するまでもないだろう。「memento mori」というラテン語の言葉が原語である。一般には、「死を想え」とか「死を忘れるな」と訳されている。でも、もう、「メメント・モリ」という言葉そのものの形で広まっているのではないか。

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← 奥座敷の屋根から滑り落ちた根雪。この数日の晴れ間などで幾分、融けてくれた。なのに、今夜半からは雪の予報。もう、雪はゴメンだ。

 小生が初めてこの言葉を知ったのは、オランダの歴史家ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を読んだ時か、それとも『中世の秋』を読んだ時だったか(『中世の秋』は掘越孝一訳で、箱入りのハードカバーの本で、世界の名著シリーズとして公刊されたものだ。懐かしいな)。
 いずれにしても学生時代のことで、四半世紀の昔のことだ。その頃、この言葉をどれほど切実感を以って読んだか…、むしろ、何か死をロマンチックにさえ捉えていたのではないか…、そんな気さえして何となくむず痒い。

 正月明けであり、まだ年頭だというのにこんな無粋な言葉を採り上げるのは、特に昨年以来の読書傾向と無縁ではないようだ。労咳(結核)で死んだ中島敦の諸著を改めて読み、吉野秀雄の『良寛』を読み(良寛ではなく、吉野秀雄が結核で死んだのだ)、年末からは、トーマス・マンの『魔の山』を読み始めている。

 最後の本は、今月中に読み終えられるか覚束ない。
 しかし、本書も学生時代に読んだのに、ただ意地で読んだという記憶しかないのに、今、ようやく半分ほどを読んで、実に面白く読めている。
 何故だろう。
 ささやかながらでも読書体験、人生体験を重ねたということがあるのか。自分なりに文章を虚構作品から、エッセイ、コラムなどと書き綴った苦労の積み重ねがあるからなのか。哲学に関しても今に至るも、齧る程度には触れつづけているからか。とにかく、昔、面白くなかったというのが不思議なくらいに、何か身につまされるようにして読んでいる(『魔の山』の読書感想については、読了後に気が向いたら書いてみたい)。

 正月には、この数年マイブームとなっている島崎藤村の『春』を読んだ。藤村の初めての自伝風小説ということになっているらしい。この小説の中には、藤村の若き日の友人であり、強い文学的・人間的薫陶を受けた北村透谷が、重要な人物として登場している。
 自伝なのだから、自分の周辺のことを(藤村が教師をしていた学校の女子生徒との恋愛事件がメインである)書くのは当然のこととして、むしろ、読んでみて感じるのは、その恋愛に絡む辛い体験もそうだが、ある意味でそれ以上の比重を以って透谷の生と死が描かれていることだ。

 天才・北村透谷! あまりに若い死である(享年27):
北村透谷 - Wikipedia

 透谷もまた、結核で苦しみ、死と背中合わせに生き、愛する妻を傍に、将来!を悲観して縊死して死んだのである。非業の死と言うしかない。

 小生は、既に結核やサナトリウムに関連する小文を幾つか綴っている何故、こうした方面に関心が向くのか自分なりに分析もするが、そのことはあまりに個人的になるのでやめておく)。その自分は、田舎に帰るたびに、メメント・モリを意識する。東京では、ほとんど浮き草暮らしなので、何処か生活の現実感が失われがちなる。

Totentanz

→ ハンス・ホルバイン(Hans Holbein der Jüngere)作『死の舞踏(Der Totentanz)』(版画 1526) (画像は、「Hans Holbein der Jüngere – Wikipedia」より)

 だが、田舎では、父母の話から葬式とか結婚・出産とか、病気の話が日常的に交わされる。
 毎月のように知り合いの誰彼の通夜だ葬式だ、脳溢血で病院に担ぎ込まれた、命は取り留めたけれど寝たきりの生活になった…といった類いの話が出てくるのである。
 父母も老いているし病を抱えているし、かくなる自分も、ちょっと危うい。

 冒頭付近で紹介したホイジンガの『中世の秋』の中に、以下のような印象的な言葉がある:

ベッドに横になるとき、想うがよい、
いまこうしてベッドに横たわっているように、
じきにこのからだは他人の手で、
墓のなかに横たえられることになるのだと

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コメント

こんばんは。
ドコモでノートパソコン買いまして、快適です。
メメントモリ、実感しますね。
しかし現実は、死にたいと思っている人がなかなか死ねずに、死にたくないと思っている人が死んでしまう、不条理。ラテン語ですが、弥一さんはラテン語学ばれましたか。
坂部恵さんも、なくなったけど坂部さんによると、シェリングあたりまでは、ドイツ語で書いていても、頭の中はラテン語で思考していたとか。あのダヴィンチはラテン語の正式教育受けてないんですよね、研究者泣かせ。
中世とは中間の時代ということですから、この言葉を使うのをやめようとも坂部さん言ってましたね。
さてさて遺産相続、土地ですが小規模宅地は八割軽減するという意味を、たとえば一億の評価なら、八千万になることかと思ったら、二千万になるということですね、なんかほっとした。
弥一さんは相続まだ終わってないとか、分割協議書ができないのでしょうか?

投稿: oki | 2011/02/10 23:01

okiさん

パソコン、買ったんですね。羨ましい。快適でしょう。
ドコモで買ったとすると、通信料が高い?

我輩のパソコン、時折、不気味な音がします。寿命が来たのかな。
帰郷や上京の際、デイバッグに詰め込んで、旅したから、遅かれ早かれ、その日が来ると思っているけど、もう少し、持ってほしい。


大学では、哲学科なので、古典語が必要。数学が好きだと得意になると誰かに言われ、ラテン語を選びました。
結構、熱心にやって「優」をもらった。
でも、以降、使う機会がなくて忘れたけど。

ラテン語をやった以上は、一緒にフランス語をやればよかったのに、フランス語が(その発音が)嫌いで、ドイツ語を選んだ。
ちぐはぐ。

相続の件、前にもらったコメントへのレスに書いたような事情で、放置プレー中です。

投稿: やいっち | 2011/02/11 21:24

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