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2011/02/02

屋根の傾斜を実感する(後編)

(「屋根の傾斜を実感する(前編)」の続き)

 雪さえ降らないのなら、屋根は工場のように、平らでもいい。
 でも、雨(降雨)を効率的に流すためにも、大概は、雪国でなくても、屋根に勾配がついている。
 問題は、降雪量と建築上の経済性、住居としての住みやすさ、建物としての外観、などなどとの按配である。

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← 前日に続き、昨日も屋根の雪下ろし。昨日(火曜日)は日中、薄日が差したので、雪が新たに降り積もらないうちにと、できるだけ下ろそうと頑張った。月曜日に懲りて、作業開始の時間も早めに。万が一、屋根から滑り落ちたら、誰かが見ていてくれる…可能性を信じて。実際には、隣家や納屋や母屋が小生の作業場所を死角にしてしまうのだが、まあ、せめてもの気休めである。

 積雪量が最低でも冬のピークには2メートルとか3メートルになるという、雪国なら、屋根の勾配を合掌造りの家のようにすれば、少なくとも屋根への雪の堆積は防げる。
 が、容易に想像がつくように、家が(横から見ると)細長い二等辺三角形となり、居住面積が減ってしまう。


 その地域の経験則などから、屋根はほどほどの傾斜に設定(設計)し、うまくいけば雪が滑り落ちる。
 落ちない分は、屋根に上って雪下ろしする、ということになる。

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→ 作業を終えて(というより、中途で断念して、というべきか)、台所の屋根の直下から作業場所を撮ってみた。まだ、雪が大分、残っている。が、庇から手の届く範囲は限界。台所の屋根の右には母屋の屋根。そして積もって固まっている根雪。あの雪の塊の本体に取り掛かるべきか否か…。

 無論、前提として、屋根の面を陽光を可能な限り、長時間、浴びられる向きにする。
 しかし、家の構造からして、屋根は三角形になるしかなく、太陽は東から西へ、というわけで、陽光の恵みを存分に得るというわけにはいかない。
 そもそも、雪の季節となると、晴れ間など望めなくて(だから、毎日、雪が降り積もる)、せいぜい曇天で、今日は新たに雪が積もらなくてよかったね、っていうくらいのものである。


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← 作業を終えて、汗だくの体を玄関脇の縁側の下で休ませる。見上げると、一メートルに及ぼうかという氷柱(つらら)。万が一、直下で直撃を食らったら、一発でアウト。この縁側の上の屋根(瓦)の上にも、雪は積もっている。ただ、日差しを浴びやすいので、晴れ間にさえ恵まれたら、融けるし、うまくいくと、塊のままに一部は滑り落ちることもある。

 技術的な原理にこだわるなら:

陸屋根の場合、雪は屋根に積り、風等で押される等のことがない限り、自ら滑落することはない。
勾配屋根の場合は、経験的な一般論として、60°以上の勾配だと雪は積らず、それ以下だと積もる。積もった雪は、日射・降雨・気温・建物からの熱等により融解するが、これが屋根との接触面に融解水として滲み出ると雪が滑りやすくなる。
これに屋根の勾配や材質(摩擦抵抗に関係)、積雪量等の要素が加わり、これらの組み合わせが一定の条件に至ると滑落につながるが、それを数値的に表すのは難しく、もっぱらその地域の経験値に頼らざるを得ない。(「北海道日建設計 北海道の建築」より)

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→ 週に二度、仏壇にご飯を供える。というか、週に二度、3合ずつご飯を炊くので、其の都度、仏飯器にご飯を盛るわけである。お花も供え、蝋燭に火を点し、仏壇に安置した両親の遺影や遺骨、仏様にお祈りする。いつも、一人で。

 実際、屋根の雪下ろしを経験してみて、(といっても、まだ、屋根の上じゃなく、庇にへばりついて、へっぴり腰で、雪庇を引っ掻いた程度なのだが、それでも)、屋根の傾斜をつくづく実感させられた。

 古来からの経験則で屋根の傾きを割り出したのだろう。
 ある程度は、屋根の雪が(晴れ間が恵まれた時には)滑り落ちることを期待し、それが空しい期待に終わり、屋根の上の積雪が一メートルともなると(しかし、表層は新しい雪で柔らかいし軽いのだが、その下は根雪になっていて粗目(ざらめ)状、時には凍ったように固まっていたりする)、根雪の重さはまさに水に匹敵するほどになり、家の倒壊が懸念されるようになる。
 となると、登って、雪下ろしをしないとならない。

 屋根に上ると、斜面だけに、そして雨はもちろんだが、雪が滑り落ちやすいように、屋根瓦がツルツルで、滑りやすいことを実感する。
 雪下ろし作業をやってみて初めて、屋根の傾斜を実感するのである。

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← 工藤佳久/著『脳とグリア細胞』(知りたい!サイエンス 092 技術評論社) 副題が、「見えてきた!脳機能のカギを握る細胞たち」とある。図書館の新入荷本のコーナーにあった。脳科学の本となると、つい手が出る。「脳の情報処理に関わる細胞といえば、ニューロンだった。ところが、ニューロン以外にも情報処理に関わる細胞群があることがわかってきた。グリア細胞である。人の脳には、ニューロンの約10倍もグリア細胞が存在するといわれている。最近の研究により、グリア細胞がニューロンとは違う方法で脳機能の発現に関与していることが分かってきている」ということで、脳の機能は、ニューロンだけじゃないってことが、研究に実際に携わる方によって縷々、説かれている。神経変性疾患や精神疾患との係わりでも、近年、グリア細胞に注目が集まっているという。

 昔の人の経験則から割り出した、屋根の傾斜なのだろう。
 しかし、昔の人は、今の時代、少子高齢化社会となり、そもそも雪下ろしの担い手が六十代、七十代、八十代(あるいはそれ以上!)の方々が一人でやるしかない、そんな惨状までは、どう知恵をめぐらせても想像がつかなかったことだろう。

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