『中世の秋』 それともメメント・モリ(後編)
[本稿は、「『中世の秋』 それともメメント・モリ(前編)」の続き]
生きているとは不思議なことだ。実に不思議なことだと思う。自分を構成する物質たち、細胞たちは、ことによったら、どこかの土か植物か、海の生物の餌か、あるいは他の動物の細胞どもであってもよかったのに、何故かこんな自分の体の一部として健気に生き働いている。60兆もの細胞!
→ 「豪農の館 内山邸」 「内山邸」は、金岡邸・森家・浮田家と共に、富山でも有数の旧家・豪邸・名家のひとつ。観光スポットである。国登録有形文化財。「内山家は大永・享禄年中(1521~31)にこの地に土着すると新田開発を推し進め大地主となり」、「江戸時代に入ると歴代十村役(大庄屋)を勤め大きな影響力を持ち1千石地主と呼ばれ」た。現在でも3759坪の敷地という豪農だけに、書院や茶室がある。富山でも有数の梅園があるし、桜の名所でもある(夜桜の名所)。水琴窟があったりする。晩秋ともなると、雪吊り(大概は古都・金沢のものだが、例外的に内山邸)の光景がテレビで流される。詳しくは、「内山邸のみどころ」や「内山邸の概要」へ。ひょんなことで、今日、木曜日、季節外れと知りつつ、近くへ。脚立が見えるように、工事中だった。有名な家だけに、一度は覗いておきたかった。
生きているとは、不思議だし、懐かしいことなのだ。抹香臭い表現を使えば、ありがたきことなのである。命があるということ自体が、摩訶不思議と言わずして何だろう。
昔、マンの『魔の山』を読んだ時、主人公であるハンス・カストルプが友人を訪ねる形で、ほんの数週間の予定のつもりで訪れたサナトリウムは、まさに別世界であり、魔の山という特殊な、ありうべからざる世界の話だと思っていた(多分、読書の印象があまりに薄い)。
が、そうではないのであって、要するにこの世は実は魔の山でありサナトリウムであり、死と物質とのっぺらぼうの時空、誰かが永遠の沈黙と呼んだ世界の中の、極めて限られた一角に僥倖としか思えない形でかろうじて存立している命の煌きの世界なのである。
命の煌きは、不可思議な命の揺らぎは、いつ、せいぜいお世辞に言ってダイヤモンド、実際のところはビーズ玉かガラス玉の光沢程度の輝きしかない物質の世界に戻るか誰にも分からない。我々の体が60兆の細胞たちの懸命の生きようとする活動の賜物であり、共生の結果なのだとしたら、その我々の体を支える大地は、それ以上に膨大な量の土と砂とバクテリアと水と光との混合体であり、しかもその大地さえ、永遠の孤独と沈黙の世界である宇宙に浮かび漂っているのだ。
東京という都会に暮らしていると、特にこの頃は摩天楼(なんて懐かしい言葉)の林立に驚かされる。周囲に昔ながらの住宅やマンションや古いビルが群生する中、ニョキニョキと背の高い超高層ビルが屹立している。まるで郊外の商店街や住宅街の精気を吸い取って、一人悦に入っているかのようだ。
ミラー風のガラス窓に覆われて、中から外は伺えるが、外からの眼差しは跳ね返す。ビルを設計した人間の心のありようが如実に現れている。エゴの塊、自分達さえよければ、周りの不幸はただただ冷徹に、冷ややかに見下ろすだけ。死も病も肉体も老いも人生さえも、絵空事なのだ。今を享楽できればそれでいい。
なるほど、これもまた一つの人生観だ。どうせ死ぬなら、どうせ死ぬのだから、せめて生きている今を享楽して何が悪い。この達観した(かのような)エゴイズム。「メメント・モリ」の対極を東京の一部の都心は表現しているのだ。
そんな新しい雲の上の磨きたてられた摩天楼の街を歩くには、歩く人間だって洗練されドレスアップされ病気とは無縁で(無縁の振りをして)颯爽と前向きに生きていないとならない。床には塵一つ落ちていてはならず、煙草は何処か限られた一角で肩身の狭い思いをしながら吸わねばならず、疲れたような生活感は漂わせてはならない。
あるのは健康と生活と薄っぺらな未来とビデオの中の過去。つまり、現在がないのだ。今を充実させるわけにはいかないのだ。今をリアルに見つめることだけはご法度なのである。自分を支える肉体の中の現実を直視するなど、繕いきれなくなった心の解れを想うことなど、無粋なのである。
← Charles Allan Gilbert作(September 3, 1873 – April 20, 1929)『All Is Vanity』(1892) アメリカのイラストレーター。メメント・モリからヴァニティへ、というありがちな連想で、アラン・ギルバートなど。同姓同名の指揮者とは別人。ある貴婦人が鏡に向かい、化粧それとも悪戯な夢を想う…。彼は、「Vanitas Vanitatum, Omnia Vanitas.」なる世界を描くイラストレーターとして有名。(画像は、「Charles Allan Gilbert - Wikipedia」より)
しかし、それにしても、やはり、生きているとは懐かしいこと、ありがたきこと、不思議なこと、なのではないのか。やがては自分も墓の中か、それとも土になるのか、灰になって風に舞うことになるのか、行く末は分かりきっている。
そして、それだからこそ、肉体を労わるのだし、心を癒すのだし、友を想うのだし、水の不思議を想うのだし、宇宙を想うのだ。
とにもかくにも、何が不思議って、なにもないと呟きつつも、しかし、現に何かがあるというそのことが不思議だ。我、想う、故に、我、在り、と昔、誰かが喝破したとか。
でも、小生のような愚か者は、まず、我が身があることを不思議に思う。身、肉体があるから心が揺らぐ、迷う、惑う、そしてメメント・モリするのだ。
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コメント
肉体、躰があることも不思議ですが、わたしは、心があることも不思議でなりません。
ロボットもだいぶ人間の躰に追いついてきましたが、「こころ」にはまだまだですね。
半永久的に生きるアンドロイドがメメント・モリの意味を追いかける……
SF小説にあるような、そんな空想もいつか現実になるときがくるのでしょうか。
投稿: 滝川 | 2011/02/11 19:15
滝川さん
ロボットと心。
心のことからは離れますが、アラン・チューリングによって考案されたある機械が知的かどうか(人工知能であるかどうか)を判定するためのテスト、つまり、チューリング・テストが鍵になると思っています。
そこにロボット(というか、外見はどこまでも人間に近づけられるので、ロボットか人間か分からないモデル)がいるとして、受け答えでは、人間かロボットか分からない以上は、そんな段階に達したならば、実質上、人間とどこが違うのか、という問題になってしまいます。
心は神秘的ですが、生命も神秘的。
ロボットがメメント・モリの夢想を巡らす、なんと魅惑的な想像でしょう。
小説のテーマになりますね(もう、何度もなっていたかな)。
そもそも、ヌイグルミや人形って、不思議な存在。
何度かブログでも書いたことがありますが、そもそも人間には、モノへの思い入れという心理があります。
あるいは遺品への思い入れ。
それが動かないもの、命のない物体であっても、人間の、その人の思い入れがある限りは、モノであってモノじゃない。
まして、ロボットでは…と、単純につながっていく話とはさすがに思っていませんが、人間の側の心の不思議を思うと、「こころ」にはまだまだですねとは言えないような、心配を小生はしています。
まあ、小生の心が貧しいから、ロボットへの脅威の念を抱いているのかもしれないけど。
投稿: やいっち | 2011/02/11 21:35