「仰げば尊し」の原曲判明
過日、夕食の後、何気なくテレビを見ていたら、昔は卒業式では当たり前のように歌われていた、「仰げば尊し」の原曲が判明したというニュースに接した:
「“仰げば尊し”米で原曲楽譜 NHKニュース」
← 昨日の晴れ間、今日は曇天と、降雪を免れて、山茶花もゆったり咲いているみたい。
「楽譜のタイトルは「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」、日本語で「卒業の歌」という意味で、1871年にアメリカで出版された音楽の教材に収められてい」たという。
「仰げば尊し - Wikipedia」によると:
「Song for the Close of School」という楽曲が、1871年に米国で出版された楽譜『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』に収録されていた事実を、桜井雅人一橋大学名誉教授が2011年1月に発見した。同書が基本的に初出の歌曲を載せていることと、旋律もフェルマータの位置も同曲と同一であることから、恐らくこれが原曲であろうと思われる。同書によれば作曲者はH. N. D.、作詞者はT. H. ブロスナンと記載されているが、どのような人物であったかは明らかではない。
昔は…。今も、中学や高校などの卒業式で歌われているのかどうか、分からない。
少なくとも小生が中高生の頃は、「仰げば尊し」と「蛍の光」の二曲は、校歌などと共に、必ず歌わされていた。
歌わされていた…。
そう、君が代斉唱と国旗の掲揚は、保守王国の富山では昔(から)当たり前に行われていた。
公立の学校だったからなのかもしれないが、自分の狭い常識では、それが全国的なものだと思い込んでいて、疑いもしなかった。
我が高校には、日教組の組合員たる先生は、確か一人しかいなかったはずだ。
当然のように、その先生は学校(の教師たちの間)では(も)、仲間はずれである。
まあ、富山というのは、昔からそんな土壌があるし、そんな風潮のど真ん中にいた。
小生はというと、中学の2年の頃から妙に政治への関心を抱き始め(七十年の安保の改定(延長)の論議が高まりつつあった)、同時に日本の15年戦争への関心も深まり始めていた。
君が代や日の丸の元に、300万人もの日本人が犠牲になり、それに増すアジアなどの人々を死に追いやった。
その反省が戦後、徹底して成されているなら、過去の失敗は繰り返さないという、過去の反省の上に立って、改めて日の丸を式の場においても素直に誇らしく仰げるのだろうが、情けないことに、日本(の圧倒的大多数の国民)は戦争責任を突き詰めることを怠り、吉田内閣、特に池田内閣のもと、高度経済成長路線を選んだ。
つまり、アメリカの核の傘の中に入ることで、軍事国家路線を回避した代わりに、エコノミックアニマル国家たることを選んだ。
戦争の反省、真摯な問い掛けより、生活の豊かさを選んでしまったのである。
→ 雪の日々にもめげずに山茶花の花は次々と咲いていた。この蕾もはち切れんばかりで、今にも開花しそう。
小生には(特に若かった頃はなおさら)、日本のそんな歪んだ一面が許せず、それゆえ、君が代や国旗(日の丸の旗)への違和感を拭えずにきたのである。
当然ながら、当然のように歌わされた「仰げば尊し」へも違和感が強烈にあった。
別に先生方への反発というより、師への尊敬を強制されること、上からの押し付けへの反発だったと思う。
その分、「蛍の光」は、素直に歌えていた、かもしれない。
かもしれない、というのは、自分はどうみたって、蛍雪の元で勉学に励んだ、そんな立派な生徒ではなかったからで、内心忸怩たる思いなしに歌えるはずもないから、である。
それでも、やや感傷的なところもある小生のこと、先生が小生の存在を意識しているはずもないのに、勝手に思い入れして、目がウルウルしつつ「蛍の光」を歌い、高校を卒業したことを覚えている。
保育所は覚えていないが、なぜか小学校も中学校も高校も、大学も、卒業(式)の日は、たった一人で校門を出たことを覚えている。
友達を作れない自分、(親も何かの事情で式には来れなかったのだろうが)一人きりの自分を持て余してきたのだった。
一人ぼっちは今もだが、それでも親を始め、多くの友や知り合い、先生らの恩を被っていることを決して否定はしない。
というより、人一倍、多くの友たちのことを思う(し、思っている)。
存在感が薄いから、一緒にいた当時から相手からは関心の対象の外だったろう、としても。
今になって、遅ればせながらだが、結構、素直に「仰げば尊し」を歌えるし、歌いたい気持ちでいっぱいだったりするのだ。
← 昨日今日のやや暖かな日和で、屋根の根雪も随分と溶けてくれた。お陰で今日は屋根の雪下ろしをしなくて済んだ。この土蔵の屋根の根雪は、決して滑り落ちない。なので、ある程度以上の堆積となると、雪下ろし作業を余儀なくされるのだ。
せっかくなので、「仰げば尊し」の一番だけ、歌詞を示しておこう:
仰げば尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾年
思えばいと疾(と)し この年月
今こそ別れめ いざさらば
(全くの余談だが、この歌詞の「思えばいと疾(と)し」を学生時代は、「愛(いと)おしい」の意味と思い込んで歌いっていたってのは、オフレコにしておく。)
参考:
「蛍の光 窓の雪 そして富山の雪」
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コメント
もうひとつ余談、
「今こそ別れめ」を「分かれ目」と思っている人は多いはず。
係結びなのですね。
投稿: 青梗菜 | 2011/02/05 21:26
青梗菜さん
童謡・唱歌などの歌詞って、簡潔だし昔の表現だし、なんといって時代・風俗・世情が違うから、若い時代の人間には、理解が及びがたいものがありますね。
誤解もしやすい。
(「うさぎおいし」なんて、その典型)
「係り結び」なんて用語に接したのは、高校時代以来じゃないかなって。
昔の歌の歌詞は、雅だったりして情緒があります。
古語の言葉や表現は、(少なくとも小生には)今更、使いがたい。
それになんといっても、情があるのに簡潔。
(以下、話が逸れますが…)
紙などの材料が貴重だった時代においては、だらだらと書き綴るなんて、贅沢の極みだったでしょうし。
時折、古語表現を取り入れる評論家・文学者がおりますた(おりましたが)、どうも気に食わない。
読みづらい。
現代人には、使いこなしきれないし、それ以上に、読み手に素養が足りなくて、すんなり読めない。
投稿: やいっち | 2011/02/06 21:00
こんにちは。
ご無沙汰をしていました。
仰げば尊しの原曲が発見されたのですか。面白いですね。この曲は日本だけで歌われているのでしょうね。良い曲だと思います。わたしも昔は君が代が嫌いでした。今は違います。
投稿: シゲ | 2011/02/07 12:05
シゲさん
良い曲は、誰でもが素直に歌えるものであってほしいですね。
「蛍の光」や「仰げば尊し」は、メロディもほどよく叙情的で、歌詞と相俟って、いい曲だと思います。
「君が代」は、やや???です。
投稿: やいっち | 2011/02/07 15:13
古文文法ならお任せを。
過去の助動詞、き、は、せー○ーきーしーしか、と変化します。
さて今日は親戚のお通夜でした。
うちは地味にやったけど、この親戚は派手に歌のグループまで呼んでやりましたよ。
僕はあまり好きではないなあ。こういうやり方。
五反田の斎場ですが帰りタクシーが客待ちしていた、弥一さんもつけたことあるかな?
弥一さんの葬式はどんな感じでしたか?
ちなみに僕は一人っ子、遺産分割の必要ありませんが、今日話した別の親戚はまだ相続で揉めているそうです。
投稿: oki | 2011/02/07 23:38
okiさん
古文文法に限らず、いろいろ頼りにしています。
葬式は、地元の大手に、オークスとベルコがあります(ほかにもあるかも)。
お寺や自宅などでやる方もいるかも。
我が家は、父が会員になっていた関係で、オークスを使いました。
派手っていうわけじゃないけど、そこそこに賑やかな飾りつけ。会場も立派なホール。
富山市は高岡市ほどじゃないけど、外聞を重視します(世間体に弱い)。
業者は明らかに高い価格設定の飾り付けをあれこれ売り込んできます。
小生は、地味に質素に、ということじゃなく、実質を重んじたいけど、そうもいかない。
葬儀会場は、決して狭くはなかったのですが、席がいっぱい、埋まって、びっくりしました。
連絡が行き届いたわけじゃないのに(葬儀後、連絡がほしかったという方や団体が少なからずありましたっけ)。
五反田の斎場、仕事では行ったことがありますが、付けたことはないです。
あまり、施設の類に付けなかったし。
遺産は、それほどなかった(相続税のハードルのはるか下)ので、相続そのものは苦労しないと思うのですが、土地のトラブルが多かった(いつの間にやら公道になっていたり、他人の庭(敷地)になっていたり)。
まだ、トラブルの途中です。
投稿: やいっち | 2011/02/08 21:14