アクゼル著『神父と頭蓋骨』(後編)
先に進む前に、「ピエール・テイヤール・ド・シャルダン - Wikipedia」を参照してもらったほうがいいかもしれない。
← ジャン・シメオン・シャルダン「銀のゴブレット」 「シャルダン」という名を聞いただけだと、思想家・宗教思想家のピエール・テイヤール・ド・シャルダンではなく、フランスの有名なロココ調の画家ジャン・シメオン・シャルダンを思い浮かべる人も少なからずいるのでは? この画家については、「ジャン・シメオン・シャルダン-主要作品の解説と画像・壁紙」がとても参考になる。小生自身、画家シャルダンに絡んで、「プルーストとシャルダンと…」なる拙稿を仕立てたことがある。ぶっちゃけ、シャルダンブランドの香水も有名らしいが、小生などは、消臭剤のシャルダン(の宣伝)が耳に付いて離れないのだが。 (画像は、「アート at ドリアン 西洋絵画史」の中の、「シャルダン」より)
「テイヤールは、1881年、フランスのオーヴェルニュ地方に生まれた。この地方は火山性地質で、テイヤールの地質学や古生物学への関心は少年時代に育まれた」。「1899年、イエズス会の修練院に入」り、「1911年、イギリスにおいて司祭に叙階される」。神父となったわけである。
生地であるフランスにおいて学者(兼司祭)として活動したかったが、「上長より彼の思想に問題があることを指摘され、中国」へ左遷(島流し)の憂き目に遭う。
実は、イエズス会自身、宗教に過敏だったフランス当局により追放されたことがあり、ローマカトリックは異端(聖書の字義とおりの解釈からの離反)には過敏だったのである。
その島流しの地・中国(北京)において、「1929年10月、テイヤールとカナダ人研究者ブラックは、パリ博物館に電報を打ち、北京原人の発見を報告する」。
「周口店で発見された旧石器時代の石器を鑑定して、北京原人がこれらの石器を使用していたと判断した」わけで、北京原人の発見に際して、テイヤールは大きな役割を果たしたのである。
フランス(ヨーロッパ)から遠くへ左遷すれば、テイヤールの言動は目立たなくなるというイエズス会当局の思惑は、全く逆へという、まことに皮肉な結果を招いたのである。
→ 「1929年に周口店で発見された最初の北京原人の頭蓋骨(レプリカ)」 (画像は、「北京原人 - Wikipedia」より)
テイヤールはヨーロッパのみならず世界的な科学者・思想家・宗教人と見做されるようになる。
このことがまた、イエズス会の逆鱗に触れ、テイヤールは、親の不幸(葬儀)の際など、短期のものを除いて、一生、生地であるフランスに戻れなくなる。
中国、戦後はアメリカへ島流しされ、「1955年、ニューヨークにてテイヤールは逝去する」のだ。
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