アクゼル著『神父と頭蓋骨』(後編の追加)
→ さびしくてたまらない気持ちで帰宅した日のことだった。ひとりを実感させられていた。誰とも分かち合うことのない心と体。家に帰れば、真っ暗で寒い部屋の数々は、もっとひとりを思い知らされる。いつものことで、慣れっこのはずだったのに、その日は妙に、心がままならないのだった。ふと、寝室のカーテンを開けたら、隣家のブロック塀の上に二羽の小鳥たちが止まっているのが見えた。思いっきり開けたカーテンの音や気配に気づかなかったのだろうか、じっとしている。雨も雪も降らない日。そして風のない日だった。枝葉の陰で寒さを凌ぐ必要もなかったのだろう…。二羽の小鳥たちをずっと、ずっと眺めていた。帰宅した時間は五時前。真冬の頃より幾分は日が長くなったとはいえ、段々、外は薄暗くなってくる。二羽の小鳥たちは、付かず離れず、止まっている。小生が眺めていることに気づいているような、気づいてこちらの様子を伺っているような、そんな気もする。まさか、さびしい気持ちの小生を慰めようと、気づいているのに逃げようとしないでいた? あなたは一人なんかじゃないよって? 小生は身動きもならずに、彼らを眺めていた。番(つがい)の小鳥たちなの? それだったら、小生を慰めてるんじゃなくて、二人の熱いところを見せ付けていることになるじゃないか! 違う? 二人でいてもさびしいんだって、教えてあげてるんだって? 小生は、窓の傍から離れたかった。家の中の暖房の傍に行きたかった。当てにならない人の温もりより、灯油ストーブの暖房のほうが、確かなはずなのだから…。やがて、ようやく小鳥たちは、一羽、そして一羽と、その場を離れ、近くの山茶花の葉群の中に移っていった。小生も、カーテンを閉め、まだ凍て付いている部屋の中へ閉じ篭ったのだった。
本書アクゼル/著『神父と頭蓋骨』では、テイヤールの人柄、勇気(戦争の際、最前線へ赴いて負傷者の救助活動などに携わった)、愛情(司祭として女性との肉体関係は一生、断つのだが、テイヤールと心身ともに結びつきたいと願う女性ルシール・スワンとの悲劇)、カトリック(イエズス会)による執拗な仕打ち、そして、無論のこと、北京原人(の頭蓋骨)の発見の持つ意義について詳しく且つバランスよく、面白く書かれていて、(肩の凝らない読み物として)秀逸の本である。
ただし、科学の啓蒙家であるアミール・D.アクゼルの通弊(だと小生は思うのだが)だろうが()、本書において、ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの思想の一番の機微に渡る部分には、ほとんど全く、触れていない。
(余談だが、数学が題材の本でも、一般読者が理解が及ばないだろうという部分は、思いっきり省いたり、あっさり触れるだけで素通りに近かったりして、隔靴掻痒どころの騒ぎじゃないほどの気分になる。人間ドラマや関連する周辺の事情が書き込まれてあって、それはそれで面白いのだが…。アクゼルの本の売れる、テクニックなのだろうが、何かずるいというか、はぐらかされた気分は、各書を読み終えた後、必ず味わうものなのである! いや、時には面白かったなーと読了したあとで、ふと気づかされたりして、何か悔しかったりする(のは、小生だけじゃないかもしれない)。)
← 山茶花は、今冬も、雪が降ろうが積もろうが、日々、蕾が成り、花を咲かせ、花びらが散っていった。冬が終わろうという今も、また新たに蕾がはち切れんばかりになっている。
小生が学生時代、ほとんど嫌悪感に近い拒否感を覚えたのも、まさにその微妙な部分、神秘思想的な記述なのだった:
宇宙は、生命を生み出し、生物世界を誕生させることで、進化の第一の段階である「ビオスフェア(生物圏、Biosphère)」を確立した。ビオスフェアは、四十億年の歴史のなかで、より複雑で精緻な高等生物を進化させ、神経系の高度化は、結果として「知性」を持つ存在「人間」を生み出した。
人間は、意志と知性を持つことより、ビオスフェアを越えて、生物進化の新しいステージへと上昇した。それが「ヌースフェア(叡智圏、Noosphère)」であり、未だ人間は、叡智存在として未熟な段階にあるが、宇宙の進化の流れは、叡智世界の確立へと向かっており、人間は、叡智の究極点である「オメガ点(Ω点、Point Oméga )」へと進化の道を進みつつある。「オメガ」は未来に達成され出現するキリスト(Christ Cosmique)であり、人間とすべての生物、宇宙全体は、オメガの実現において、完成され救済される。これがテイヤールのキリスト教的進化論であった。
ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの人生を以前よりは知った今、小生は、彼の『現象としての人間』を最後まで読み通すことができるだろうか。
なかなか微妙なところである。
→ テイヤール・ド・シャルダン著『現象としての人間』(美田稔 みすず書房) ガイア思想なんて、メじゃないって!
それにしても、本書にも、一章を設けて周辺事情が書かれているが、「日中戦争の激化により、化石は調査のためにアメリカへ輸送する途中に紛失した」という北京原人の頭蓋骨は、どこへ行ったのだろう。
「イエズス会ないしキリスト教」関連拙稿:
「歌舞妓人探しあぐねて木阿弥さ」
「ザビエルや死して大分走らせし」
「「茶の湯とキリスト教のミサ」に寄せて」
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