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2011/02/28

ヒポクラテス『古い医術について』(前編)

 ヒポクラテスの『古い医術について』(小川政恭訳、岩波文庫)を四半世紀ぶりに読み返した。
 悲しいかな、内容の大半を忘れている。

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← ヒポクラテス著『古い医術について』(小川政恭訳、岩波文庫) 「ヒポクラテスは,観察と経験と合理的な推論にもとづいて,初めて医学を経験科学の座に据えた人」だとか。

 念のため、ヒポクラテスについて、簡単な紹介を:
ヒポクラテス - Wikipedia

 まあ、ヒポクラテスという人物は、古代ギリシアの医者で、「「医学の父」、「医聖」、「疫学の祖」と呼ばれる」こと、彼にちなんで、「ヒポクラテスの誓い」ってのがあることを知っていれば、とりあえずは、いいか(もしれない)。
「人生は短く、技芸(芸術)は長い」がヒポクラテスの言葉だと知っていたら、何かのお喋りの際に、役立つかもしれない。

 章立ての最初に、いきなり「空気、水、場所について」とあり、何? 地水火風という哲学の根源から始めるの? と、いぶかしみつつ読むと、正しい仕方で医学に携わるには、諸々の季節がどんな影響を体に及ぼすのか、各土地柄の水がどんな種類の水なのか(山場や岩場、沼地、河川、湧き水などなど)、日当たりのいい場所の水なのか、軟水か硬水か、人がどんな場所に住んでいるかが、病と深い相関関係にあるのだという指摘なのである。

 本書から冒頭付近の幾つか印象的な文章を少々引用しておく。

「水についてそれがどんな状態にあり、人々は沼地の軟性のものを使っているのか、それとも硬性で高地の岩山から来るものを使っているのか、それとも塩辛くて粗い水を使っているのかを考慮しなければならない」(p.7-8)

「次に有害なのは、その源泉が岩場から出ているものである。これは必然に硬質だからである。また熱い水や鉄、銅、銀、金、硫黄、明礬、瀝青、曹達を含む土から湧く水。なぜなら、これらはすべて熱の力によって生じるのだから。このような土から湧く水は良水では有り得ず、硬質で、催熱的で、尿となって排泄されにくく、排便には妨げとなる」(p.14)

「雨水と融けた水がどのようなものかを述べよう。雨水の方は、もっと軽く、もっと甘く、もっと希薄で、もっと明澄である。そのわけは、まず太陽が水中のもっと希薄で軽い部分を上昇させて奪い取るからである。塩(の製造)がこのことを明らかにする。すなわち塩水は濃厚で重いから残されて塩になり、もっと希薄な水は軽いから太陽はこれを奪って行く。太陽はこのような水を沼の水からだけでなく、海からも、その他およそ水分のあるあらゆるところから上昇させる。水分はあらゆる物体の中にある。そして人間の身体からさえも、そっと希薄な、またもっと軽い水分を運んでいく。」(p.16)

「雪と氷からできる水は、すべて有害である。なぜかといえば、いったん凍結すれば、もう最初の性質にはもどらず、その明澄で軽くて甘い部分は分離されて消失し、もっとも濁ってもっとも滓(おり)になった部分が残るからである。」(p.17)

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← 三木 成夫 (著) 『胎児の世界―人類の生命記憶』(中公新書) 医学関連の本はいろいろ読んできたが、一番、感動的な本は、本書だった。四半世紀以上も前の本だし、当時としても、まして現代においては、批判的に読まれるべき箇所は多々ある。が、本書は、「我々の生命は、この地球上で数十億年前に生まれた最初の生命から、途切れることなく続いてきたものだ。その間、地形や気候の大変動など、絶滅に瀕する危機と度々戦いながら受け継がれてきたのだ」という、メッセージの書として読んだほうが無難だろう。その前提の上で、実にすばらしい本である。本書や三木成夫については、拙稿「三木成夫著『人間生命の誕生』」などで、縷々書いている。

 ちょっと驚いたのは、上に引用したように、雨の水は上質の水であり、雪や氷となった水は劣悪な水だという指摘。
 つまり、太陽に照らされて蒸発するのは、大地の水の中の軽やかな純粋なものが真っ先に蒸発する、だから雨の水は上質であり、雪や氷となるのは、蒸発しきれないような劣る水なのだという。

 人が住む場所が飲む水に左右されることは、洞察力の富む古の人は見抜いていた。ただ、そのからくりは、今の我々には首を傾げたくなるような洞察だったりする。しかし、観察(肉眼による注意深い観察)と経験と先人からの知識に拠るしかない以上、他にどうしようもないわけである。当時としては、深い洞察ということになるのだろう。

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コメント

水の話面白いですね。その性質は今でも使われる分類かと思いますが、当時の雨水はどうだったのでしょう?やはり酸性雨の傾向はあったかと思いますが、火山などが爆発していない限りあまり汚れもなかったのでしょう。雪解け水や岩清水が、石灰やミネラルの含有量が多いので、胆石になり易いかどうかは別として、炭酸の取り過ぎなど健康に良くないと近年は医学的に「ほどほどに」と指摘されてます。

なかなかこうしたマクロの観察では因果関係はハッキリせず、「過ぎたるは及ばざるごとし」からパラケルススの「全ては毒である。毒でない物はない。ただ適量こそが、それを毒としない。」に至るまでにまだ二千年ほど掛かってます。また中世人として「マクロの世界を捉えるには宇宙を構築しなければならず、人智を越える事がない」と言っているようですが、それからすればホーキンズの宇宙論なども一神論を補う無神論の中での把握でしかないのかと思われますが、どうでしょう。

投稿: pfaelzerwein | 2011/03/01 01:11

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