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2011/01/30

リョサ『チボの狂宴』あるいは独裁者の葛藤

 先々週末(22日)、図書館へ返却に。
 当然、CDや本を新たに借りる。
 CDもだが、できるだけ聴いたことのない曲を聴こうとする。
 本も可能な限り、新入荷本を物色、なかったら返却された本の棚を一瞥して、書庫へ向かう。

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→ アンブロージョ・ロレンツェッティ(Ambrogio Lorenzetti)作『悪政の寓意』 以下に紹介するマリオ・バルガス・リョサ 著『チボの狂宴』(八重樫 克彦/八重樫 由貴子【訳】 作品社)の表紙に使われているフレスコ画。(画像は、「アンブロージョ・ロレンツェッティ - Wikipedia」より)


 しかし、今回は、新入荷の本を並べてある平棚で足止めされた。
 そう、マリオ・バルガス・リョサ 著『チボの狂宴』(八重樫 克彦/八重樫 由貴子【訳】 作品社)が棚の上にデーンとあったからだ。

 いざ本書を手にしながら、借りるのに躊躇いがまったくなかったとは言い切れない。

 というのも、昨年11月に買って読んだバルガス・リョサの『緑の家』(木村 榮一 訳 岩波文庫)に感心はしたものの、でも、どうしてノーベル賞作家なんだろうという疑問がわかなかったと言えば、嘘かもしれないなーという思いが過ぎっていたからだ
 それでも、棚の上にある三十冊余りの新入荷本の中では傑出している。
 こうして目の前にあるのは、縁に違いない、なんて訳のわからない屁理屈も立ててみたりして、パラパラ捲っただけで、すぐにカウンターへ向かった。

 借りてよかった。読んでよかった。
 本書を読んで初めて小生はリョサが文句なしにノーベル賞文学賞に値すると実感・痛感させられた。
(本書を読了したのは、日本vsオーストラリア戦が始まる直前だった。)

「1961年5月、ドミニカ共和国。31年に及ぶ圧政を敷いた稀代の独裁者、トゥルヒーリョの身に迫る暗殺計画。恐怖政治時代からその瞬間に至るまで、さらにその後の混乱する共和国の姿を、待ち伏せる暗殺者たち、トゥルヒーリョの腹心ら、排除された元腹心の娘、そしてトゥルヒーリョ自身など、さまざまな視点から複眼的に描き出す、圧倒的な大長篇小説」で、史実と虚構を綯い交ぜになっている。
 文学手法としては、リョサが畏敬するフローベール(の『ボヴァリー夫人』)の影響を受けている…というより取り入れている。
 実際、リョサは、『果てしなき饗宴 フロベールと「ボヴァリー夫人」』(工藤庸子訳 筑摩叢書)といった評論があるほどにフローベールに傾倒している。

 予断だが、折りしもチュニジアに端を発する、長期独裁政権に対する反政府デモが活発化している。

 そんな中で、偶然とはいえ、ドミニカ共和国において31年に及ぶ圧政を敷いた稀代の独裁者、トゥルヒーリョの身に迫る暗殺計画をめぐる物語を読むのは、ある種のリアリティを覚えたりした。
 作家は、史実を徹底して調査したというが、実際に独裁者の真実をどこまで描きえたのか。
 
 それはそれとして(ネタ晴らしになるから敢えて詳細は書かないが)、本書の物語の結末部は、圧巻である。
 独裁者の孤独と、誰も知らない、知らせてはならない秘密(恥部・弱み)をとことん描いて、人間として独裁者増を描ききっている。
 リョサの迫真の描写が真実なのか、独裁者のリアルなモノローグがあるわけではないし、読み手が現実にかくあったかと思うしかないのだろうが、断固、読むに値するとだけは断言しておこう。

4861823110

← マリオ・バルガス・リョサ 著『チボの狂宴』(原書名:LA FIESTA DEL CHIVO(Vargas Llosa,Mario) 八重樫 克彦/八重樫 由貴子【訳】 作品社) 「31年に及ぶ圧政を敷いたドミニカ共和国の稀代の独裁者、トゥルヒーリョ」の史実と虚構を織り交ぜての物語。「「チボ」は山羊の意だが、山羊というのは好色漢の隠喩でもある。実は「チボ」とは女好きなことで知られるドミニカ共和国36代大統領、ラファエル・レオニダス・トゥルヒーリョ・モリナのあだ名である」。小生は史実云々より、あくまで作家リョサの創出した物語として読んだ。本作品は、ルイス・ジョサ監督の手により映画化されている:「The Feast of the Goat」(2005)  


 本書への理解(書評)としては、下記が秀逸だった:
『チボの狂宴』 マリオ・バルガス=リョサ - marginalia

 本書の訳者解説で、リョサが現代社会における文学の役割をどう主張しているか、訳者が教えてくれている:

 小説のなかで異なる文化や価値観の出会いとそこから生まれる葛藤を表現することで、読者の人間性に対する理解を深め、良識や感性を養い、現実に起こっている問題を自身の問題として受けとめられるようにうながし、”自分の主張のみが正しい”とする狂信主義へと人々が傾くのを阻止する――それが、現代に生きる作家としてのみずからの使命であると著者は考え、作品を通じて世界中の読者に訴えつづけている。

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