病院で眺めた風景(後編)
今日(23日)は日曜日。幸いにも、昨日に続き、晴れ間にも恵まれ、降雪はなし。
ただ、気温が低いので、屋根の雪も、日陰の根雪も、それほど溶けてくれない。
灯油を買ってきた帰り、庭の門前の樹木の剪定を思い立った。
← 昨日(22日)、図書館へ行った帰り、富山寺(ふせん・じ)へ向かった。この富山寺(普泉寺とも江戸時代、称していた)こそが、「富山」という地名の由来となったとも言われると知って、一度は覗いてみたかったのだ。富山市で一番、古くからあるお寺だというわりには、小さなお寺だし、檀家の方のお参りもほとんどないみたい。
晩秋には、かなり思い切って剪定や刈り込みをしたつもりだが、それでもまだ全く不十分だと気付かされたからだ。樹木の枝葉の上に雪がドンドン降り積もる。雪の重みで木々が撓む。
これは、枝葉の刈り込み不足だなーと痛感していたから、せっかくの晴れ間を有効に生かそうと、一月の下旬というのに、思いっきり時期はずれの剪定作業と相成ったのである。
どれほどの効果があるわけじゃないが、まあ、気休め程度でも、やるだけはやったんだと納得したかったのだ。
さて、「病院で眺めた風景(承前)」からの続きをどうぞ。
→ 前日の日記でも掲載した画像について、さらに。テーブルの左端に見えるピンク色の洗面器。手術した当日の午後、全身麻酔が切れ始めた頃、二度三度と吐いた。食事は摂っていないので、吐くものは、血糊ばかり。ところで、94年の2月の手術の際も、今回同様、全身麻酔(ゼンマ)だったのだが、麻酔の効き方の状況が、今回と94年当時とは、まるで違った。今回は、手の甲に差し込まれた点滴口から麻酔薬が投薬されたのだが、気が付いたら、その時はもう病室で、実に呆気なく麻酔が効いてしまった。しかし、94年の時は、もう、恐怖体験だった。その模様の一端は、「懐かしき(?)ゼンマ明けの朝」にて、ややドキュメント風に書いている。ここでは書かないが、94年当時と、今回の全身麻酔で、大きく違う点がもう一つある。
← 入院したのは正月四日。手術は五日。術前検査は、昨年12月7日に済ませてあり、その結果も、手術には支障ないという内容だったらしい。結果についての説明はなかった(麻酔科の方に手術の前の日、過去、麻酔などでの問題などはなかったかと聞かれた際、検査は問題なかったと、簡単にコメントがあっただけ。そんなものなのか。質問しない小生に踏み込みが足りなかったのか。
手術は、病室から歩いて同じ四階にある手術室へ。これも94年当時とは違っていた。当時は、病室にてストレッチャー(?)に載せられ、ナースに引かれて向かったものだったが。
麻酔が解けた時、既に手術は終わっていて、自分が病室にいることに気付いた。手術した部位はともかく、体には異変は感じなかった。点滴は、やはり鬱陶しい。ただそれも、経過が順調ということで、翌朝には点滴の針も抜いてもらえた(その際、手の甲の針を抜いたところから、ピューという感じで血が流れたのには驚いた。ナースは慌てず騒がず、血がサラサラ、なんて、ことさら患者を驚かせないためか、気をそらすような呟きをする)。
夕方から点滴の台を引きずりつつ、自分でトイレへ。朝から食事は何も摂っていないのに、オシッコがたくさん出て驚いた。朝までに約2リットルほど。点滴の液がたっぷり体に注入されているから、だろうか。
→ 手術の翌朝には、点滴も終了し、あとはひたすら傷口の快癒を待つばかりとなった。することといえば、読書のみ(あとは、ナースウオッチングしたかったけど、自制!)。ベッドのカバーがずれている。ベッドを起こして凭れて読書するものだから、どうしても、シーツがずれて、青いマットレスが剥き出しになっちゃう。
手術した翌日には、売店へ行って、新聞やヨーグルトを買ってきた。
その日だけはエレベーターを使ったけど、あとは、体力を回復・維持させるため、上り下り共にずっと階段を使った。まあ、94年の時は8階だったのに、階段だったのを思えば、今回の4階から地下一階の売店などへ往復するのは楽勝である。
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コメント
「術前の不安を取り除いたり、術中の有害な自律神経反射を抑制する目的で行われる投薬」 - これも吐き気を催させる要因なのかもしれませんね。
「血がサラサラ」だから健康ですって、病院に居るなら怪我人か病人でしょう。
麻酔に関しては興味があったので友人の外科医に尋ねたことがありました、結局はその麻酔成分 ― 天然の薬草などがそもそもですね - によって、効き方の早さや長さが異なるので、その手術の戦略に合わせて選択するようです。今回の場合はどんと一瞬で来て、数時間で早く切れるタイプだったようですね。強い痛みも早く取れたのかな?
投稿: pfaelzerwein | 2011/01/23 22:29
pfaelzerwein さん
吐き気…。
全身麻酔のための麻酔薬(液)の投薬の効果が褪めかけた頃には、嘔吐の症状を起こすことがあると、先生にも言われました。
久しぶりの嘔吐に、びっくりしたけど、吐くものがないってことにも驚き。
普通、吐いたら、口の中などが(胃液で?)酸っぱくなるはずが、そうでもなかったのは、胃も含めての腸(お腹)もまだ動き始めていなかったからなのかな。
(余談だけど、便秘症ではない小生なのに、入院する前日である3日に排便して、次に排便したのは11日でした。便秘薬を投薬してもらって二日目に。八日ぶり! 嬉しかったものです。それだけ、腸などの動きの再始動が鈍かったのかな。)
>「血がサラサラ」だから健康ですって、病院に居るなら怪我人か病人でしょう。
小生の場合、体のほうは、異常があったわけじゃない。ただ、以前は、健康診断で高脂血症などの指摘をされたことがあって、自分では採血検査の結果について心配していたんです。
そうそう、麻酔薬。手の甲から投薬されたのが、たぶん、朝の九時ごろ。病室で目覚めたとき、時計を見たような記憶があって、正午前後でした。
pfaelzerwein さんの仰られるように、「どんと一瞬で来て、数時間で早く切れるタイプ」だったようです。
術部の痛みもそれほどではありませんでした。
94年当時とは随分違う。
違うといえば、抜糸。
94年も含めた過去の手術での抜糸は、痛かったし、今回も怖かったのですが、抜糸のことを問うと、先生曰く、「抜糸はしませんよ。溶ける糸ですから」って。
テレビなどの知識で、今は溶けるタイプの糸が縫合に使われていると聞きかじっていましたが、自らが体験したのは、初めてで、感激しました。
手術の怖さの一端は、薄らいだような。
投稿: やいっち | 2011/01/24 23:27
ある方に別のサイトでコメントを貰いました:
http://ameblo.jp/kyat/entry-10777584907.html#cbox
念のため、以下に小生のレスだけ転記しておきます:
富山の「富山寺(ふせんじ)」は、全国的に、どころか富山でも(!)、知名度が低いから、ちょっと検索では浮上しがたいでしょう。
実際、土曜日に訪れた際、境内は雪に埋もれ、しかも、全く誰も(お寺の方でさえ)足を踏み入れた形跡がない。
歴史的由緒がありそうなのに、この人気のなさは、不思議なくらいです。
体力維持は、今は、雪掻きだけです。
これだけで、汗だくになるし、体重も減ります。
まあ、北陸の人間は今の時期、みんな、そうですけど。
>病院のベッド、起こしすぎでしょう(笑)
病院のベッド、読書仕様です?!
(以上、転記終わり)
投稿: やいっち | 2011/01/24 23:29