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2011/01/11

陋屋 茅屋 廃屋 古民家

(前略)人里離れた山の中などを歩く。すると古びて腐り果てた板塀の陋屋を見たりすると、妙に胸が騒ぐ。何か戦に破れた落ち武者が隠れた小屋のなれの果てなのではないかと思ったりする。

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← 既に終わってしまっている向井潤吉展ポスター。古民家、陋屋というと、向井潤吉の名、そして作品を思い出す。東京には、「世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館」があって、小生の在住していた大田区からオートバイで十数分ということもあり、幾度となく世田谷美術館だけじゃなく、「向井潤吉アトリエ館」を訪ねに行ったものである。美術館の在する砧(きぬた)公園は、格好の癒しのスポット。その先の多摩川の土手沿いの道は、これまた絶好のツーリングコースでもあった。

 そうでなくても、人気が消え去って久しい民家の残骸に、遠い人の温もりや悲しみや喜びや退屈を思うのである。どんな家にも歴史がある。仮に歴史ということで、何かの記録か記憶に残ることを意味するなら、ただの経緯(いきさつ)、それともしがらみであってもいい。どんな山奥に住もうと、人はしがらみから逃れることはできない。

 むしろ、人の群れから離れれば離れるほど、逆に人の情念や愛憎が暗い影となり、澱(おり)となって、その人の背中に圧し掛かり張り付いてくることさえある。
 ただ、山の中の侘しい生活は、決して生活のゆとりを彼に与えないだろうから、少なくとも日中は考える余裕がないというだけのことである。薪を探し、食料を確保する日々が、果てしなく続く。今日の無事は明日の平安を約束しない。あくまで、今、とりあえず何事もなく暮らせているというだけの話なのだ。

 森の中の家には、板の透き間を縫って、無数の細かな虫が入り込んでくる。土間から屋根から、窓から、あるいは持ち込んだ木の切れ端から。
 細い灯りを頼りに短い夜を過ごす。夜長など夢の話だ。朝は早いのだ。
 そんな陋屋にどんな家族の風景があったのだろうか。怒りっぽい父親の威厳に怯える一家か、それとも、若い連中は早々と山を降りてしまって、残ったのは積年の労苦に背中を丸めた父と、ただ一人の行き場を失った娘だろうか。

 昭和の昔、大正の昔、明治の昔、江戸の昔…。ここまでだって先祖を辿れる家庭は少ないのではなかろうか。
 まして、戦国時代の昔、鎌倉の昔、平安の昔となると、気が遠くなる。
 それでも、そこまでだったら系図の上で辿れる家もあるのかもしれない。

Syukusetsu

→ 向井潤吉『宿雪の峡』([長野県下水内郡秋山郷] 1983年) 「世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館」では今、第3期展『雨後・雪意 向井潤吉が描いた雨の道、雪の村』展を開催中(12月4日(土)~3月21(月・祝)) (画像は、「世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館」より)

 では、奈良の昔はどうか。飛鳥の昔は。日本の歴史はその辺りで途切れるかもしれないが、記録に残らない過去はその前にも果てしなくあった。それとも、ある、というべきか。
 弥生の昔、その前には縄文の昔があったのだ。
 日本の山々や海の際を我々の先祖が歩き回ったのだ。恐らくはどんな山奥だって崖の果てだって、踏破されなかった箇所などないに違いない。少なくとも我輩如きが歩くような場所なら、御先祖さまは平気で歩き回ったことだろう。

 今、踏む大地の下に先祖の歩いた足跡がある。たとえ風波に消えていようと、あるいは黄砂に埋まっていようと、ほんの数メートルの下には万感の思いを抱いて歩き走った大地があるのだ。
 その象徴が陋屋なのである。

 無論、今、目にしえる陋屋など、せいぜい数十年か、遡っても百年の昔にさえ届かないことは分かり切っている。だから、象徴だと言うのだ。茅屋が朽ち果て、散逸し、腐敗し果てて、大地の肥やしに成り果てただろうことは、小生にも分かる。でも、その土壌の肥やしを栄養にして木々が育つのではないか。幾重にも重なった死骸のなれの果てを滋養にして、草木が生い茂り、動物が生き、人が暮らすのだ。同じことだ。

 ああ、でも、そんな山奥の道を歩くのが好きだと言いながら、ここ久しく歩いていない。歩くのに怠惰な人間に落ちぶれ果てたのだろうか。だから、心に潤いがなくなったのか。埋め立ての土地でないかぎり、人が歩ける道は、きっと全て先祖の歩いた道に違いないのだ。そんな道を今、自分もそれなりの思いを抱いて歩く。

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← 中国のとある古民家。水車小屋? 茅屋? それとも陋屋? 廃屋ではなさそうだが。(画像は、「茅屋特写图片」より)

 何処へなどとは、もう、問うつもりなどない。何処から来て何処へ向かおうと、いずれにしたって、きっとそれはこの世の道に違いないのだ。何も懸念を抱く必要などない。
 そうだ、たとえ、アスファルトやコンクリートで大地との間を遮られていても、そんなものはただの薄皮なのだ。命の熱さを思えば、何ほどのことがあろうか。

[「遠藤周作『よく学び、よく遊び』雑感(4)」(02/06/17)より抜粋]

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コメント

こんばんは。いつものネットカフェです。
向井潤吉、日本橋高島屋行きましたよ。
向井潤吉アトリエ館が耐震工事で休館中で、それで所蔵作品貸し出したんですよね。
先祖の記憶、最後はアフリカに誕生したという人類最古の人間にたどり着くようですが、そういう意味では人類すべてが共通の祖先を持っているんですよね。
殺し合いなんて馬鹿らしい、タイガーマスク運動の広がりのほうが素敵だ。
ちょっとした善意、いきなり500万とか贈られたら贈られたほうも困る、ランドセル、果物の詰め合わせ、そんなものだから広がるのでしょうね。
弥一さん、インフルエンザの予防接種受けられましたか?僕はいつもの医者に受けたほうがいいとすすめられました。世田谷もようやく月曜開館の図書館できるようでー

投稿: oki | 2011/01/14 20:51

okiさん

日本橋高島屋で向井潤吉展があったんですね。
見てこられた!
羨ましいです。
東京という地の利のよさを存分に生かされていますね。


人類の先祖をたどると、全て、必ずアフリカに行き着きます。
そうはいっても、多くの人々は、アフリカを出てさらに何処か別の地、インドだったり、アジアの何処かだったり、バイカル湖の周辺だったり、オーストラリアだったりに、一旦、留まり、そこから再度、ヨーロッパへ、南北アメリカへ、日本へと広がっていったのでしょう。
で、実際には、それぞれの地域に辿り着いてからが、多くの民族の原点になるのでしょう。

さらに、多くの民衆レベルでは、数世代前、数百年前の記憶(語り伝え)を辿るのがやっとなのではないでしょうか。
その意味で、たとえ、多くの古民家が百年単位の古さであっても、それはやはり胸を焦がす何かを掻き立てる建物であるのだろうと思います。


伊達直人さん名義のプレゼント運動は、匿名だからいいのでしょう。
何かやりたい。でも、そこには切っ掛けが必要だし、匿名性ってのも大事。
ああ、こういうやり方があったんだなって。
こういうやり方は、忘れた頃に繰り返されますね。
十数年前にも、こういったプレゼント運動が広まったことがありましたね。


インフルエンザの注射、できるならやったほうがいいでしょう。
小生は、たぶん、しないでしょう。
経済的に無理だし。
(ここでケチることで、あとのツケが大きくなるのでしょうが。)

投稿: やいっち | 2011/01/15 00:09

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