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2011/01/03

(クックの)暗い物語は人生に光を投じる?

 久々にトマス・H・クックの小説を読んだ。10年近く前の『心の砕ける音』(村松潔訳 文春文庫)や『夜の記憶』以来。
 しかも、買って。

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← トマス・H・クック著『沼地の記憶』(村松潔訳 文春文庫)

 年末年始は図書館が休館なので、自宅にある本を読み返すか、何か新規に買うか。
 しかし、小生が行きたいと思っている大手の書店はデパートの中にあり、駐車場に難がある。
 普段でも順番待ちの車列を目にする。
 まして、年末年始である。

 仕方なく、幸い、雪どころか雨も降らない年末、大晦日だったので、自転車を駆って近所の書店へ。

 決して小さくはなく、中堅どころだが、やはり、一般客が相手で、たとえば、文庫本が結構な数あっても、岩波文庫は全く置いていない。
 中公文庫もない。
 ちくま文庫はあるが、眼中に入らないような本ばかり。
 日本の新しい書き手は、情けないことに小生、全く未開拓。
 手の出そうな本が見つからない。
 
 挙句、選んだのは、ピーター・D・ウォード著の『恐竜はなぜ鳥類に進化したのか』(垂水雄二訳、川崎悟司イラスト 文春文庫)とトマス・H・クック著の『沼地の記憶』(村松潔訳 文春文庫)の2冊。
 2冊あれば、正月三が日は過ごせるだろう。

 前者は、昨年師走、ジャック・ホーナー/ジェイムズ・ゴーマン共著の『恐竜再生』(監修:真鍋 真 翻訳:柴田 裕之 日経ナショナルジオグラフィック)を読んで、恐竜(の一種)から鳥類が進化した話が面白かったので(拙稿「ジュラシック・パーク…恐竜再生(後編)」参照)、つい食指が伸びてしまったもの。
 旅のお供にいいだろう。

 後者のほうは、今日、読み終えてしまった。
 寄る年波か、外国の小説を読むと、登場人物の名前が覚えられなくて、難儀する。
 幸い、文庫本のトップに登場人物名一覧が出ていたので助かったが、それでも、何度も見返したものだ。
 そんなに人物群が錯綜しているわけじゃないのに、我ながら情けなくなる。

 さて、トマス・H・クックは、「ほの暗い詩情と繊細な語り口で人間の罪の物語を描きつづけ、日本でも高い人気を誇る」という作家。
 国内外を問わず、現代の作家はあまり読まない小生も、本作で二作目か三作目のはず。
 実際、「巻末にクックへのインタビューを収録」ということで、これは、『本の話』(2010年4月号)より、加筆訂正のうえ、転載し」たものである。
 それによると、「世界中の悲しい歴史のある土地をめぐっている」とのことで、「第一次世界大戦の激戦地だったフランスのヴェルダン、精神病とされた人々を収容したロンドンのべドラム、史上もっとも凄惨な公開処刑が行われたパリのグレーブ広場、アウシュヴィッツ。アメリカではニュー・エコタ」へ。
 この「エコタという町は、チェロキー族インディアン一万五千名のうち四千名が強制移住の途上で死亡した≪涙の道≫の基点」だという。
 さらに、≪青髭≫で知られるジル・ド・レー卿の居城マシュクールにも行」ったという。
 その途上、日本に立ち寄ったわけである。
 日本では、広島、長崎、さらにクックの呼称する≪自殺の森≫、すなはち青木が原の樹海、鎌倉の水子供養の寺へ行ったという。
 この「ダーク・ツーリズム」について、本を書く予定もあるという。その際クックは、気の滅入ることのないような、逆に得た教訓をこそ書きたい、むしろ実用寄りの本にしたい、と語っている。

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← トマス・H・クック著『心の砕ける音』(村松潔訳 文春文庫)

 「ほの暗い詩情と繊細な語り口で人間の罪の物語を描きつづけ」などと紹介されるクックで、このインタビューでも「暗い物語など読みたくない」というひともいますが、という問いかけをされている。
 それに対し、クックは:

 そんな読者がいることは承知しています。でもわたしはこんなふうに思っています。読む者の感情に訴える小説は、心を暗くするものではないのだと。本を読んで暗い気持ちになることと、感情を揺さぶられることは同じものではありません。小説に心を揺すられるのは素晴らしい体験です。読み手の魂(スピリット)を高め、読み手を自身の感情と結び合わせてくれます。暗い物語は光を届けるために書かれるのであって、闇をもたらすためではないんです。
 世界の≪暗い場所≫への旅についての本を、わたしはこんな文章で書きはじめようと思っています――「わたしは謝意を表するため、これらの暗い土地に赴いた。こうした場所こそが、わたしたちの生に光をもたらしてくれたがゆえに」。わたしが暗い物語について抱いている考えを、この一文はうまく要約しています。
 沈鬱な物語は、いままで見たことのなかった類の光を読者にもたらし、その人生を照らすのだとわたしは信じています。いかに暗い主題を扱っていても、それが最後に読者に与えるのは明るい何かなのだと。つまり、暗い物語はじつのところ読者の気を滅入らせるのではなく、力づけるものなのです。

 本書を読んで陰惨な気分ならぬ光明めいた何かが届けられるか、それはそれぞれが読んで確かめてもらいたい。
 小生は、古い感想文になるが、「クック著『心の砕ける音』を読んで あるいは捏造された過去」の末尾で、以下のように書いている、そう話が陰惨かどうかということもあるが、読み手の側の問題もあるのだろう:
 物語を信じること。
 素晴らしい小説、物語としての小説というのは、心に、魂に飢えを覚える人、心に褪せることのない傷を負っている人に、そうした過去による支配を断ち切れるほどの圧倒的な現実、その人が浸ることの出来る豊穣なる現実を、その人に与えられるものであると言えるのかもしれない。
 第二の人生への旅立ちを誘えるほどの現実感を与えてくれるものが、素晴らしい小説だと、ここでは結論付けて、この小文を終えておこう。

関連拙稿:
クック著『心の砕ける音』を読んで あるいは捏造された過去
村上春樹訳チャンドラー『ロング・グッドバイ』を読む

 

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コメント

旅の空です。侘びしい風景が窓の外にはあるばかり。少しは前の状態より良くなりたいと期待するけど、どうなることやら先のことは分からない。やるだけのことをやってみるだけ。今はそれだけしか言えない。もどかしさ限りだけど仕方がない。明日は明日のことだ。

投稿: やいっち | 2011/01/06 23:05

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