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2010/12/25

こんな手があったんだ!

 つい先日、ジューサーを買ってきた。
 過日、さる人に、ジューサーでジュースにして飲んだら美味しいよ、なんて言われてハッとした。そうか、そういう手もあったんだ! てなわけである。

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← 昨日(24日)の午後三時前後、昼過ぎには霙(みぞれ)だった空が、雪に変わった。内庭もうっすら雪化粧。この程度の雪なら風情があっていいし、ホワイトクリスマスなんて気分に浸るのも悪くはないのだが。といいつつ、喪中ということもあり、我が家はクリスマスも正月も、一切、無縁。ひっそり。

 早速、十日ほど前に貰っていたリンゴをジューサーに掛けてみる。
 最初は音だけ煩く、でも、まるでジュースにならない。
 ふと閃いて、牛乳を少々注いで再度、スイッチオン。すると、見事に、呆気ないくらい簡単にジュースになる。

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2010/12/24

田中優子著『カムイ伝講義』の周辺(後編)

 田中優子さん著の『カムイ伝講義』に小谷野敦さんがレビューを寄せておられる。

 おや、小谷野敦さんの本を以前、読んだことがあるぞと、調べてみたら、同氏による『江戸幻想批判』(新曜社、1999年) を読み、感想まで書いていたのだった。

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→ 白土三平【画】『サスケ』(講談社)

 実は、小谷野敦さんによる『江戸幻想批判』の中の文言(出版社サイドの謳い文句)が、田中優子さんへの偏見が小生に根付かされてしまう契機になったようなのである。

 その箇所を転記する:

 田中優子『江戸の想像力』、佐伯順子『遊女の文化史』以来、「江戸は明るかった」とか「性的におおらかだった」という「江戸幻想」が盛んですが、その言説を上野千鶴子さんなどのフェミニストまでが支持する今日の知的状況に対して、その性的自由とは強姦とセクハラの自由であり、洗練された遊郭文化とは女性の人身売買の上に築かれた悲惨なものだったと、文学、歌舞伎、落語などの体験的知識を総動員して大批判します。

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2010/12/23

田中優子著『カムイ伝講義』の周辺(前編)

 図書館で美術書ジャンルの書架を物色していたら、「カムイ」なる題名に目が止まった。
 見ると、田中優子著の『カムイ伝講義』(小学館)である。

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← 田中優子著『カムイ伝講義』(一部は、内原英聡氏の原稿を元にしている。小学館)

 「カムイ伝のむこうに広がる江戸時代から「いま」を読む」という副題が付せられていて、「カムイ」なる劇画世界、漫画そのものを扱うわけじゃなさそう。
白土三平の『カムイ伝全集』全38巻を題材に、いまの日本を見直す意欲作」なのである。
 でも、講義の本文の下には、「カムイ伝」から少なからぬシーンが載っていて、やはり、その迫力ある画を見ると、読んでみようかと思ってしまう(必ずしも田中優子さんのファンでもないので)。

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2010/12/22

ルドルフ・タシュナー『数の魔力』の周辺(後編)

無限」については、数学のみが正当性を以って扱うようになって久しい。
 数学の世界においてにしても、決して「無限」を手なずけきったわけではないとしても。

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→ ジョン・D.バロー著『無限の話』(松浦俊輔訳 青土社) 「無限」を題材に扱ったり、あるいは無限を感じさせてしまう著作は少なからずあるが、本書は内容の深さと面白さで際立つ。専門家でなくても、いや小生のように数式に弱くても、十分、未読できる。拙稿「無限の話の周りをとりとめもなく」において、本書で引用されている、ボルヘスやケプラー、カント、アリストテレスなどなどの気の利いた文言を幾つか転記して示しているので、是非、覗いてみてほしい。

「無限」をめぐる空想・瞑想・妄想は、しかし、数学者のみの専売特許であるはずはない。
 数学の手法が繰り広げる無限の階梯の万分の一をも小生ごときに捉えられる…感取できるわけではないにしても、人は「無限」を想う、あるいは感じざるを得ない。
 本書でも、扱いを間違えるとあまりにも危険な「無限」について、小生にも少なからぬ知恵を与えてくれている。
 

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2010/12/21

ルドルフ・タシュナー『数の魔力』の周辺(前編)

 ルドルフ・タシュナー〔著〕の『数の魔力 数秘術から量子論まで』(鈴木直/訳 岩波書店)を読んだ。これも、新刊。新入荷本のコーナーじゃなく、書架で見つけた。まあ、今年の五月の刊行だから、真新しいわけじゃないけど、しばしば数学の書架を眺めていて、初めて気がついたので、きっと、今まで誰彼が(次々と)借り続けていたのだろう。
 運よくたまたま書架に戻ったのを手にし得たわけである。

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← ルドルフ・タシュナー〔著〕『数の魔力 数秘術から量子論まで』(鈴木直/訳 岩波書店)

 著者は数学と物理学の専門家。専門的な業績は知らないが、「近年は数学を切り口にした斬新な文化史的著作を次々と出版し、多くの読者を得ている」とか。さもありなん、である。

 ルドルフ・タシュナー…。
 名前だけからすると、あまりに、あの神秘思想家のルドルフ・シュタイナーと似ている、気がするのは小生だけか。
 なので、いまさら、そんな世界に触れたくなくて、名前だけで拒否反応が生じかけ、うっかり素通りするところだった。

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2010/12/20

真冬の月と物質的恍惚と

 真冬の月というのは、何か凄まじいものを感じさせる。空気が澄んでいるせいか、地上の全てが輪郭も鮮やかに浮き彫りにされてしまう。
 未明の頃に、人気もない公園の脇に車を止めて、月の影を求める。月の大きさなど、いつもそれほど変わらないはずなのに、目に痛いほどに輝いていて、大きさの感覚を微妙に狂わせてしまう。

               (中略)

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→ 明日21日の夕方にはこんな空模様になりそう。

 北欧などでは、日中の陽光など弱々しくて、むしろ逆に夜の月のほうがはるかに人に鮮烈だと聞いたことがある。
 日中は、そこそこに明るくても、それは当たり前のこと。それが夜のはずなのに、地上世界が余すところなく照らし出され輪郭も鮮やかに浮き彫りにされてしまう。まるで、自分の密やかな思いさえもが曝け出されているように想われて来る、のだろうか。

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2010/12/19

スタイナー それとも原初の単一言語(後編)

 ジョージ・スタイナーの著書は(ほとんどが)日本語にも翻訳されていて、小生も、『トルストイかドストエフスキーか』(中川敏訳 白水社)や『言葉への情熱』(伊藤誓訳 叢書ウニベルシタス・法政大学出版局)などを読んだことがある。

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← (月)命日でも何でもないが、今日は天気もいいし、お墓掃除に。寒い中でも生え始めている雑草などを毟ってみたり。背後の新しくて立派な墓に比べ、我が家の墓は…。せめて綺麗にだけはしておかないと。

 記憶があいまいになっているが、『ハイデガー』(生松敬三訳 岩波書店[岩波現代選書])も、大学卒業近くか、卒業しても先の当てもなくてブラブラ、アルバイトしつつ暮らしていた頃に読みかじったような。
トルストイかドストエフスキーか』などは、著者が30歳になる前に書き上げ、高い評価を受けたもの。

 小生が、スタイナーの諸著を読んでの感想は、「読書拾遺(サビニの女たちの略奪)」や、特に8年前には、「ジョージ・スタイナー著『言葉への情熱』、あるいは、電子の雲を抱く」なんて大仰な題名の感想文(にもなっていない、呟き)を書いたことがある。

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