今日は梅雨らしい天気
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「もみじマーク:代替案4点選定 今秋決定へ 」(毎日jp(毎日新聞))というニュースを目にした(ツイッターでのツイートで)。
← 「現行のもみじマーク(左)と代替案4点」 ちなみに、「もみじマーク 紅葉のイメージで熟練した高齢ドライバーを表現(1)四つ葉のクローバーをモチーフにシニアの「S」を図案化(2)色とりどりの線がさまざまな人生を表現(3)高齢ドライバーを稲穂の実とハートを支える手のひらにたとえて図案化(4)鳥にハートと手のモチーフを組み合わせて図案化」とのこと。
詳しくは上掲のサイトで見てもらいたいが、要は以下:
高齢ドライバーの車に張るマークのデザインを再検討している警察庁は17日、「もみじマーク」の代替案として四つの図案を選定した。もみじマークも含めた5点からアンケートなどを実施して、今秋にも決める。もみじマークを巡っては「枯れ葉を連想させる」などデザインの見直し論が高まり、変更を含めて検討してきた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ある本を読んでいたら、ちょっと気になる記述に遭遇した。
「色が見えるようになったのは、私たちの先祖が熟れた果実と未熟な果実とを区別する必要があったからだと考えられている」というくだり。
そのあとに、「だが、いったん色が見えるようになると、私たちはその能力を他のありとあらゆる目的に使い始めた。今では地図を読んだり」云々と続く。
本書では色の(識別)の話が本題ではないので、以上のようにサラッと触れられているだけで、この話題には二度と戻ってきていない。
→ フランス・ドゥ・ヴァール 著『共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること』(柴田 裕之【訳】 西田 利貞【解説】 紀伊國屋書店) 一昔前の動物行動学とは様相が一変わりしている。昔なら、動物同士、人間と動物の共感なんて笑止だったろう。なかなか魅力的な本である。人間は人間にとってオオカミである、といった言い草がある。これも、誤解が解かれ、オオカミへの理解が深まれば、意味合いは180度、変わるだろう。
我々の先祖が、いずれかの時点で色の識別ができるようになったのだろうが(そうでないと、人類の、あるいは類人猿の、それとも哺乳類の、もしかしてもっと以前の段階から、最初から色が識別できていたことになる)、熟れた果実と未熟な果実の区別の必要から色が見えるようになった、というのは、納得できるようでいて、何か釈然としないものも感じる。
まあ、指摘されてみると、あまりに当たり前のように思えて、呆気に取られたってのが正直なところだが。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
富山もすでに梅雨入りし、今日も午後から雨に。今も雨は降り続いていて、明日の日中くらいまでは雨は止まないという。
今朝、バイトの途中、紫陽花を見かけたこともあり、我が家の紫陽花も咲いているかな、なんて思った…のだが、確かめるのをすっかり忘れてしまっていた。
← 昨年の6月23日の日記に載せた紫陽花の花の咲く裏庭の光景。(「紫陽花の雨に降られて背伸びせん」参照)
小生、紫陽花という植物の醸す風情が好きである。
梅雨は嫌いだが、唯一、紫陽花の花を見るとホッとする。
そんな小生なので、「紫陽花」に絡む小文も幾つか書いてきた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
→ 実際に、今日(15日)朝刊で配られた北日本新聞朝刊の一面画像。(「日本、1―0でカメルーンに勝つ:北日本新聞ウェブ[webun]」参照)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
富山(北陸地方)は、昨日(13日)、梅雨入り宣言が出た。
毎年、梅雨入りの頃になると体調が悪くなる…ような気がする。
気がするだけで、梅雨時の鬱陶しさが体調の変化となって現れているだけかもしれない。
← 我が家の庭のドクダミは、今年も元気。気のせいか、ドクダミの生える領域が年々広まっているみたい。
実際、体の不具合を感じたのは、梅雨入りの一週間も前のこと、家人の付き添いで病院に行った日の夜だった。
入院の手続きや病室に家人が落ち着いて、さて帰宅したのは午後の四時前。
朝、家を出たのは九時半過ぎだったが、その前の出かける準備もあって、ずっと何だかんだと慌しかった。
検査・診断のための病院だったはずが、急遽の入院となり、家人が家に不在となり、何か急に体から力が抜けたような感覚があった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
下記するツイート集で、以下のような投稿がある:
ブブゼラ……。この鳴り物の単調な、耳に煩い音は、アフリカの広大な大地を想わせる。乾いた荒野を無数のイナゴたちが飛び交い全ての生き物を喰らいつくしていく。地を眺めるとアリの大群が大河を為す。茫漠たる時空を埋め尽くすは、ブブゼラの喧しい音、音、音!
→ 「ブブゼラ」 もとは金属製(スズ製)だったが、危険ということもあり、今は、プラスチック製になっている。(画像も含め、詳細は「ブブゼラ - Wikipedia」にて)
このブブゼラなる鳴り物、小生自身、現下の南アフリカWCで見て(聞いて)初めて知った。
「ブブゼラ - Wikipedia」によると、「ブブゼラ(Vuvuzela)は、南アフリカの民族楽器。1mほどの長さのあるラッパの一種で、スタジアム・ホーン(チアホーンの一種)」とか。
「自分がブブゼラを発明したと主張している」(Freddie "Saddam") Maakeによると、「自転車用のホーンを口で吹くように改造し、長さを長くしたのだ」とか!
但し、「Kudu(アフリカの野生動物の一種)の角で出来た楽器」という異説もある。
「ブブゼラという名称の起源」についても、「ブブという音を出す」を意味するズールー語であるという説や、「シャワー」を意味する非白人居住地域におけるスラングであるとする説」があって、この混沌ぶりはいかにもアフリカ的で楽しくもある。
いずれにしても、このブブゼラの鳴らす音は、アフリカの大地を象徴する音、そして楽器となりそうである。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
最近のコメント