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2010/05/29

我が家の庭は露草の庭

 川は汚かった。
 けれど、川幅はガキの僕にはだだっ広くて、対岸の向こうの小高い連山に夕日が落ちると、川面が赤く照り映えて泣きたいくらいに美しいのだった。
 夕日は少しずつ沈んでいく。真っ赤な太陽が、最初はほんの少し山の天辺に触れるかどうかだったのが、次第にまん丸が欠けていって、やがてそれこそ線香花火の消え際の火の玉のように頼りなく歪んでいく。
 そして完全に山の向こうに姿を没するのだけれど、連山の上の空は暮れ行く濃い青に抵抗するかのようにいつまでも赤く燃え続けるのだ、まるで名残を惜しむかのように。

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← 雨に降られる露草。雨滴に濡れて生き生きしている。

 そう、あの日は、残暑の厳しさもようやく和らぎ始めたことだった。その日も僕は夕日の沈む光景を楽しむつもりで、コンクリートで護岸された河原の縁に立っていた。二つ目のコロッケを何処で食べるか、場所を探していた。
 そのときだった。土手から野良犬がやってきた。
                      (「犬とコロッケ」より抜粋。)

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2010/05/28

点々は 宇宙を攪拌しないのです

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 「点々は 宇宙を攪拌しないのです

 我々は攪拌された宇宙の片隅に点在する点々なのかもしれない。
 星の一つ一つが、我々の誰彼の心の投影なのかもしれない。

 道端の石ころや空き缶にしても、誰かの眼差しに晒される。

 梅雨の束の間の日の光にジリジリと焼かれて、
          つい、本音を洩らしそうになる。

 もう、昔のことは忘れちまったとか、
          先のことなどどうでもいいだとか。

 なのに、日が暮れて、宵闇が訪れると、
         今度はまた、違う本音が洩れてくる。

 遠いあの日のことが胸を差すとか、いつの日かの破局を予感するだとか。

 わがまま一杯の梅雨の谷間の呟き。
       きっと、今夜の雨に呆気なく流されていくんだろうな。

                    (03/07/07頃、作成か

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2010/05/27

恐怖のミイラを奏でたミュージカルソー

 ひょんな話の流れから懐かしい楽器を思い出した。
 それは、ミュージカルソー
 懐かしいというのは、小生の個人的な感懐で、西欧では馴染みの楽器であり、日本でも人気が出つつあるという。

Paruz

← Natalia Paruz「Hark! An Angel Sings」(Arioso Records)

 懐かしいというのは、下記するツイート(呟き・投稿)でも書いているが、小生にとってはホラーのドラマとしては一番、怖かった「恐怖のミイラ」のテーマ音楽か何かで流れていた音楽で使われていた楽器「ミュージカルソーMusical Saw(別名ミュージックソー のこぎりバイオリン)」が今も印象的だからである。
(「ミュージカルソー」じゃなく、「テルミン」では、というご指摘が! コメント欄を是非、ご覧ください。)

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2010/05/26

金縛りの呪い…じゃなく全麻

 ゼンマ(全麻)されるのは初めてじゃないのに、麻酔が効いてくる感じがまるで予想と反していた

 徐々に意識が遠退いていくとか、そんな感じではなかった。

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← 25日、帰宅の途上、東の空に昇る朝日を横目に。今日の日中、豪雨になるなんて想像できない空。

 体の遠い部分から、体が泥か鉛か、とにかく肉体とは異質な何かへ完全に変質していくのである。
 体が重いようであり、しかもさらに重くなっていくようであった。
 ああ、もしかして肺も含めた内臓が死んでいってしまう、後戻りできない闇の世界へ落ち込んでいってしまう。
 肺もゴムのように、それも弾むことを忘れた死んだ固いゴムのように変貌し、息もできなくなってしまう。
 麻酔は脳にも効くのだろうか。意識が遠退いていくような、それでいて、最後まで明晰(といっても、小生の頭脳がそんなに明晰なはずはないのだが、その時だけは醒め切っているように自分では感じられて)、肺が心臓が麻酔でどうにかなる、その前に意識が遠退いてしまうと思っていたのに、そうではなかった(ように感じられた)のである。

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2010/05/25

我が家の庭は猫の庭

 加藤由子氏著に『雨の日のネコはとことん眠い』(PHP研究所・文庫)がある。
 題名はともかく、猫の生態を研究した本らしい(小生は未読)。

 天性のハンターである猫は、雨の日は狩りが出来ないので、本能的に眠くなるというが…。
 でも、雨のシャワーが好きかも知れない。そんな猫がいたっておかしくはないはず。
 それに、そもそも猫に限らず、多くの動物は、一日の大半を寝て過ごしているはず。動いたり、まして働くのは数時間もあるのかどうか。

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→ アヤメ科植物「ジャーマンアイリス」 「虹の女神」という愛称を持つという。

 猫の暮らしぶりを見ていると、働くことに執着し、一日の大半を働かないと存在意義を疑われるのではという強迫観念に駆られ始めたことから人間が始まったのではって、妙な詮索さえ、したくなる…。
 うむ。「人間を定義する」に新しい定義を加える必要があるかも?!


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2010/05/24

古ぼけた障子紙

 もし、そもそも、その手を差し出す前提としての、心の身体が欠如していたとしたら。
 差し出そうとすると、その力が反作用として働き、自らの身体(心)を砂地獄に埋め沈めていく。砂の海に溺れることを恐怖して、ただ悲鳴の代わりに手を足を悪足掻きさせてみたところが、その足掻きがまた、我が身をさらに深い砂の海の底深くへ引っ張り込まさせる結果になる。

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 私とは、私が古ぼけた障子紙であることの自覚。私とは、裏返った袋。私とは、本音の吐き出され失われた胃の腑。私とは、存在の欠如。私とは、映る何者もない鏡。私とは、情のない悲しみ。私とは、波間に顔を出すことのないビニール袋。

 そして、やがて、あるのは、のっぺらぼうのお面、球体の内側に張られた鏡、透明な闇、際限なく見通せる海、気の遠くなる無音、分け隔てのある孤立、終わりのない落下、流れ落ちるばかりの滝、プヨプヨな空間、風雨に晒された壁紙、古ぼけたガラスの傷、声にならない悲鳴。
 言葉になるはずのない表現の試み。


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2010/05/23

「ラーメン二郎」…東京のことで悔いの残ること

一昨年、富山へ帰郷したが、東京在住は四半世紀以上。
いろいろあったが、悔いの残ることも。

その一つは、「ラーメン二郎」へとうとう足を運ばなかったこと。

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→ 21日早朝の「ジャーマンアイリス」…。雨の日は風情があってよかったのだが、この日、夏日になって花びらが萎びてしまった。陽光に弱いのか。

支店(系列店?)には夕方だったか、仕事の最中、休憩を兼ね、入ったことがあるが、若い店員がつまらなそうに作ってる。
案の定、不味かった。
寿司屋と同じで、覇気のない店はダメ。

しかし、肝心の本店には入ったことがない。

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