「美術モデルのころ」の周辺
長島はちまき著の『美術モデルのころ』(basilico)を読んだ。
大阪出身の漫画家さん。「イラストレーターなどをやりつつ、1988年にこっそりデビュー」という方で、「著書に『チロといっしょ。』(桜桃書房)、イラストレーションに『猟奇的な彼女』(日本テレビ)など多数」だとか。
小生には、まったく初耳の方。
← 長島はちまき著『美術モデルのころ』(basilico) この挿絵たっぷりのエッセイは、終始「私、レンアイ第一主義です」という彼女のモットーに貫かれている。漫画家デビューを懇願しているが、しかし何より「レンアイが1番、仕事が2番」で、「だからいつも貧乏だった漫画家」さん、なのである。
今、大部の本を読んでいるので、気分転換というわけではないが、重い(重量も中身も)本が憂くなった際、違うジャンルの本、手に持っても重くない本ということで、図書館で物色していて、本書を発見。
美術(芸術)のコーナーの書架を何か面白い本はないかと探していたら、「美術モデルのころ」という題名が目に飛び込んできた。
プロのヌードモデルは分からないが、絵画や彫刻などの(ヌード)モデルは、大抵、他に職業を持っていたり、そうでなくとも何かしら、目指す夢があって、モデルはあくまで腰掛け、仮の仕事という方が多いようだ。
だからだろうか、モデルを描いた絵(あるいは、モデルを前にして制作した)彫刻を前にしての鑑賞や解釈はいろいろあっても、モデルとなっている方の気持ちを忖度する機会(そうした視点)は、まず見受けられない気がする。
…とはいいつつ、小生は、美術のヌードモデルをされる方の心中を知りたいという、やや助兵衛心、好奇心で本書を手に取ったのだが。
早速、手に取ってみたら、表紙に(美術の)ヌードモデルとなっている絵が描かれている。
彼女の立つ、高さ四十センチほどの丸い台の周りを、美大生だろうか、彼女をモデルに彫刻制作に励んでいる光景である。
台の上に立つ全裸の彼女は、両手を腰の辺りにあてがうポーズをとりつつ、「ふともも 痒っっ!!」とか、「げっ 蝿やっ!!」、あるいは「一体くらい巨乳にしてくれんかなー?」などと呟いている。
小生は、ほとんど単なる好奇心で本書を借りた。
絵画や彫刻などのモデルになるのは分かるが、女性が全裸というのは、どういうものなのか、その心理を知りたい一心である。
しかし、その男の純な(? あるいは初心な?)思いは、本書の冒頭であっさり撥ねつけられる。
「美術モデルをやってるんだよ」と言ったときの男女の反応の違い。女子はみな「それもありやな」という反応だったらしいんですが、男子が「あえて一切その話題に触れない」「露骨に情けをかけてくれる」「ごめん、もうつきあえない(と去っていく)」の3パターンなのだそうな(「ayanolog 美術モデルのころ」より引用)。
要は、女性は(誰もが同じというわけではないかもしれないが)、男性が思うほどにヌードになることに抵抗がないってこと…なのか。
生活のために必要だし、裸になることへの抵抗と言えば、自分の体型へのコンプレックスが幾分のストレスになることで、ヌードになることを仕事(しかも、アルバイト)に選んだからといって、一生を左右するほどの決断を迫られるわけじゃない…のだろう。
つい真面目ぶってしまう、物事を過剰に深刻に捉えがちな小生は、拍子抜けの体(てい)である。
そもそも、本書の題名にしてからが、「美術モデル」とある。
何も、常にヌードになってモデルしていたわけじゃなく、着衣の場合も少なからずあるわけである。
← 「バナー」彼女のサイト:「チロといっしょ。」
実際、本書を読んでいて、あるいは読み終わって、率直なところ、「ものすごく読みやすい語り口な上、イラストがふんだんに入っているので一日かからずに読み終わってしまいました。辛い出来事も出てくるんだけど、なんとなく全体的にほのぼのしていて、こちらもなんともほわーんとした気持ちになって読み終わりました。とても不思議な読後感」ってのが実感される。
一番、凄いのは(凄いはずなのは)、彼女が台(その時は、広い台だし、いつもより高かった)の上でエビゾリになり(つまり、ブリッジ)、完全に体を反らした状態で、その股間を周囲にいる、それどころか真正面にいる画学生(というより、その時はお年寄りだったが)に内(なか)まで丸見えになったりしたこと。
そんなサービス過剰なポーズを決め、まわりが驚くのを尻目に、「失礼しました」と、平気なこと。
画学生らは、絵を勉強するためにヌードモデルを前にするのは慣れているのだろうが、それにしても、びっくりのエピソード…のはずなのだが。
銭湯の番台と同じで、外野のガキどもにすると、女風呂を覗けて羨ましい、とか何とか、想像(妄想)するが、美術でも、画家が(あるいは学生が)ヌードになっているモデルを前に絵を描いたり、あるいは彫刻に精を出しているという、そのシチュエーションが、妙に妄想を逞しくさせるわけである。
その心理を濃厚に描く(叙述する)といった期待には、本書はまったく縁のない、ほんわかした健全なエッセイ本なのだった。
(10/11/27 作)
参照:
「ジャン=レオン・ジェローム (1:ヌードを描くアトリエを嫉視する?)」
「ジャン=レオン・ジェローム (2:ヌードを描く光景の淫靡さ)」
「小出楢重:日本の日常の中の裸婦像」
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