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2010/12/14

宮内庁は何を守っている?

 つい先日、「大田皇女の墓か石室を新たに発見 牽牛子塚古墳  (1-2ページ) - MSN産経ニュース」といったニュースがマスコミなどを賑わせた。

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→ 北海道や北陸など日本海側は、明日(15日)、平野部でも雪…。積雪の恐れもあるとか。それなりに雪吊りもしているけれど、大雪にならないでほしい…。

牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)」とは、「奈良県高市郡明日香村大字越に所在する終末期古墳で」、「国の史跡に指定」されている。 「「牽牛子」はアサガオの別称」だという。
 知られているように、「2009年(平成21年)から2010年(平成22年)にかけての発掘調査によって、八角墳(八角形墳)であることが判明し、飛鳥時代の女帝で天智天皇と天武天皇の母とされる斉明天皇の陵墓である可能性が高まった」古墳である:
牽牛子塚古墳 - Wikipedia

 その「牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)」「のすぐ前から、存在が知られていなかった7世紀後半の石室が新たに発見され」、「667年、斉明天皇陵の前に孫の大田皇女(おおたのひめみこ)を埋葬したと記している日本書紀の内容と一致し、被葬者を決定づける超一級の資料となった」わけである。
「見つかった石室は「横口式石槨(よこぐちしきせっかく)」という構造で、牽牛子塚古墳の約20メートル南東で出土。地名から越塚御門(こしつかごもん)古墳と名付けられた」という:
大田皇女の墓か石室を新たに発見 牽牛子塚古墳  (1-2ページ) - MSN産経ニュース」

 しかし、ある意味でもっと驚くべき(嘆きべき)なのは、以下の報道:
奈良・越塚御門古墳:牽牛子塚古墳に隣接 陵墓指定見直しせず - 毎日jp(毎日新聞)」

 宮内庁の風岡典之次長は13日の定例会見で、奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳が飛鳥時代の女帝、斉明天皇を葬っている場所であることが有力となり、陵墓の指定見直しを求める声が出ていることに対し、「現時点で治定(指定)の見直しまでは考えていない」と述べた。

 同庁は、斉明天皇陵は同県高取町の車木ケンノウ古墳と定めている。


 宮内庁の姿勢は、「奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳が飛鳥時代の女帝、斉明天皇を葬っている場所であることが有力となり、陵墓の指定見直しを求める声が出ていることに対し、「現時点で治定(指定)の見直しまでは考えていない」と述べた」ことなどでも見られるように、一貫して変わっていない。

「宮内庁は「天皇、皇后、太皇、太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓」と規定し陵墓の他に分骨所、火葬塚、灰塚、髪・歯・爪塔及び塚、白鳥陵、殯斂地、陵墓参考地を管理している」:
陵墓要覧
(詳しくは:「陵墓 - 宮内庁」あるいは「天皇陵 - Wikipedia」参照)

9784784215140

← 『歴史のなかの天皇陵』 (高木博志/山田邦和 編 思文閣出版) 小生は未読だが、タイムリーにも本書がこの秋、出たばかり。「各時代に陵墓がどうあり、社会のなかでどのように変遷してきたのか、考古・古代・中世・近世・近代における陵墓の歴史をやさしく説く。京都アスニーで行われた公開講演に加え、研究者・ジャーナリストによるコラムや、執筆者による座談会を収録」といった本。厳しい制限下での調査・研究でも、「近年になって、学界の要請をうけて神功皇后陵(五社神古墳)が研究者に限定公開され、仁徳天皇陵(大山古墳)が世界遺産暫定リストに登録されるなど」、大きな成果をあげているのだが。

 この陵墓については、(特に剪定の仕方や経緯において)問題なしとしないことは知られている。
天皇陵とは、天皇の墓として宮内庁が指定している墓。考古学者の調査は厳しく制限されており大仙陵古墳のように実際に天皇あるいは皇族の墓であるか不明なものも多い」のである。

 問題なのは、「これら陵墓は現在も皇室及び宮内庁による祭祀が行われており、研究者などが自由に立ち入って考古学的調査をすることができない。調査には宮内庁の認可を要するが、認可されて調査が実際に行われた例は数えるほどしかない」という点。
 陵墓(参考地)として指定されていない古墳などに、本来は天皇陵乃至は関連の史跡である可能性が(近年の発掘研究などで)大いに生まれている。
 それが場合によっては出入り自由だったり、雨曝しになっているやもしれないわけである。
調査の許可を求める考古学界の要望もあり、近年は地元自治体などとの合同調査を認めたり、修復のための調査に一部研究者の立ち入りを認めるケースも出てきている」というが、あまりに心もとない現状である。

 そもそも、「陵墓が今日のように整備され、管理が強化されるようになったのは明治以後のこと」なのだ。
 中世などに天皇陵によっては荒れ放題だったものもある。「陵墓の所在が不明確」となったものもある。

「現在につながる天皇陵の探索および治定は、そのほとんどが江戸時代に行われており、一部のものについては明治時代以降にまでずれこんだ」という。
「江戸時代の治定作業」では、「天皇陵について記載された文献資料を集め、それと地名や土地の伝承などを照らし合わせることで行われており、当時としてはかなりの高水準のものであった」わけで、先人の労苦の賜物である面がある。
 しかし、「現在の歴史学的・考古学的知見に基づき同意できるものは、奈良時代までの天皇陵では、天智天皇陵、天武・持統天皇陵など数か所程度とされる」のも事実。

 不思議なのは、「宮内庁は学術的信頼度については「たとえ誤って指定されたとしても、祭祀を行っている場所が天皇陵である」とし、天皇陵の治定見直しを拒絶している」という、宮内庁の姿勢。
 宮内庁は、一体、天皇陵を守っているのか、頑なに守るのは何なのか? 宮内庁は聖域ということなのか?

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→ 内庭の巨木だった松の木は、十月上旬、台風の襲来で倒れることを恐れ、半分ほどに切り落とした。お陰で、雪が積もり、溜まった雪が折々、樹下の道路にドサッと落ちる、なんて心配は少なくなった。でも、貧相な格好が哀れ。十年経てば、そこそこの姿になる…だろうか。

 幸か不幸か、「牽牛子塚古墳」は、陵墓指定されていないので、研究が進んだとも言える:

 天皇陵にしか許されなかったとされる「八角形墳」だったことが分かった牽牛子塚古墳。同じく八角形墳の天武・持統天皇陵などは宮内庁が陵墓に指定し、学術調査が一切できない。指定から外れた牽牛子塚古墳の調査は、ベールに包まれた天皇陵の実態に迫る大きな一歩となった

参考:
天皇陵・古墳の学術的研究・保存を早急に求める
天皇陵の尊厳は国民より絶対的に高い価値なのか?

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コメント

以上の文章を読んで、宮内庁が頑なに守るのは何なのか、20字以内で答えなさい。(10点)

天皇制の根拠を揺るがしかねない史実の発見

投稿: 青梗菜 | 2010/12/15 02:37

宮内庁は、天皇陵を護るのではなくて、血統主義の宗教的な天皇を守るのが仕事でしょう。神道がもともと火葬かどうかは知りませんが、ご陵を開ければ間違いなくDNA調査となり、その素性が明らかにされる可能性があります。何処の馬の骨とはいえなくても、その権威の正統性である血統が揺らいでしまうのはなにも南北朝期だけとは限らないと思いますがどうでしょう。

その意味から日本史に関心のない私としては、一部文化人のようにそれを開けろとはあまり考えません。まあ、キリストの何とかとか言うような遺物の実際を議論するような宗教的なディレンマですから、そもそも「科学的証明」とは相容れないと思います。宗教的対象は御簾に隔されてこそ何ぼのものです。

投稿: pfaelzerwein | 2010/12/15 09:38

青梗菜さん

「天皇制の根拠を揺るがしかねない史実の発見」

仰るとおりだと思われます。

陵墓指定の見直しを始めると、パンドラの箱を開けるという事態になるから、及び腰なのでしょう。

投稿: やいっち | 2010/12/15 21:37

pfaelzerwein さん

「天皇制の根拠」って何なのでしょう。

既に今上天皇は、「平成13年(2001年)12月18日、天皇誕生日前に恒例となっている記者会見において、今上天皇は翌年に予定されていたサッカーワールドカップ日韓共催に関する「おことば」の中で、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。」との発言を行っ」ています。

天智天皇と天武天皇との血縁関係や南北朝はともかくとして、「『古事記』、『日本書紀』によると継体天皇は応神天皇5世の子孫であ」るということは、ほとんど血縁関係があるというのは苦しいような気がします。


途中、どんな民族(集団)の出自の人と関わろうと、象徴天皇制である限り、血筋はあまり問われない気がするのですが。

「宗教的対象は御簾に隔されてこそ何ぼのものです」とうのは、その通りでしょうね。
ということは、極論するなら、御簾の向こうに何があっても、象徴天皇制である限りは、安泰なのでは?

心配なのは、本来は陵墓のはずなのに、指定対象外で、放置されている懸念が大いにありうること。
変です。

投稿: やいっち | 2010/12/15 21:50

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