魔女狩り(後編)
彼女の身体検査と剃毛が終わると、拷問が行なわれる。真実を述べさせるため、つまりは、私は有罪ですといわせるためである。それ以外の彼女の発言はみな真実ではなく、また真実とはなりえない。
→ 「近代精神医学の創始者と目されているピネルが、フランス革命時代に、鎖につながれていた精神障害者を解放」した場面を描いたものというが、不詳。(画像は、「なぜ人々はカルトにハマるのか?②魔女狩りと精神医学:イザ!」より)
拷問は第一段階のものから、つまり比較的ゆるやかな拷問から始められる。ただし、それは次のように考える必要がある。すなわち、第一段階の拷問は実際のところじつに過酷であって、あとに続く拷問に比べればゆるやかなだけなのだと。そのため、もしそれで自白が得られれば、拷問なしに自白したと称される。
そのように報告された諸侯らは、彼女が間違いなく有罪であると思うであろう。なにしろ、拷問なしにみずから進んで自分の罪を認めたのだから。
自白ののち、彼女は一顧だにされることなく処刑される。たとえ自白しなかったとしても殺される。ひとたび拷問が開始されたら、死は避けられないからだ。もはや逃れる術はなく、死を迎えるしかない。
だから、自白しようがしまいが一緒である。どのみち彼女は次のいずれかの場合により殺される。つまり、もし彼女が自白すれば、すでに述べたとおり、容疑は明らかとなって処刑される。どんなに自白を撤回しても無駄である。そして、もし自白しなければ、拷問が二度、三度、四度と繰り返される。裁判官は何でも思いどおりにできる。というのも、この例外的な犯罪の場合には、拷問の期間や過酷さの度合いや回数について、何の規則もないからである。しかし、やがては自分の良心という法廷で、その罪と直面せざるをえなくなるだろう。
← 不詳 (画像は、「なぜ人々はカルトにハマるのか?②魔女狩りと精神医学:イザ!」より)
もし彼女が拷問で、苦痛あまり目をきょろきょろさせたり凝視したりすれば、それが新たな証拠となる。目をきょろきょろさせれば、見ろ、こいつは愛人[つまり悪魔]を捜しているぞ、と言われる。そして凝視すれば、見ろ、こいつはすでに愛人を見つけ、見つめていやがる、と言われる。もし彼女が何度も拷問を受けたのに口を割らなかったり、苦痛で顔を歪ませたり、気を失ったりすると、こいつは沈黙の妖術を使っている、拷問の最中に笑っていやがる、または寝ているぞ、だからいっそう罪深いにちがいない、などと言われる。そして、生きながらにして火炙りするにふさわしいということになる。最近のこと、何度も拷問を受けたにもかかわらず自白しようとしなかた何人かの女性たちにたいして、こうした処刑がなされた。
(中略)
(一年も拷問しても死ななかった場合は)
裁判官のなかには、彼女をしたたか悪魔祓いし、別の場所に移し、そしてふたたび拷問にかけるよう命じる者もいる。このように清めて場所を変えれば、彼女の沈黙のまじないを解くことができるだろうとでもいうように。しかし、それでも何の進展も見られないと、そうした裁判官はついには彼女を生きたまま火炎にゆだねてしまう。お願いだから私は知りたい。彼女は自白しようがしまいが、どんなに無罪潔白であっても死ぬというのなら、いったいどうやったら逃れることができるのであろうか? ああ、哀れな女性よ! あなたはいったい何を期待しているというのだ。最初に投獄されたときに、なぜ自分は罪を犯しましたと言わなかったのだ。愚かで正気を逸した女性よ、なぜあなたはただ一度だけ死ぬだけでよいのに、何度も死のうとするのか。私の忠告にしたがい、拷問を受ける前に私は有罪ですとだけ言い、死んでいくがよい。どのみちあなたは逃れられないのだ。なぜなら、あなたを逃すことは、熱狂的なドイツの人々にとっては、つまりは大いなるしくじりだからである。
→ ジェフリー・スカール/ジョン・カロウ著『魔女狩り ヨーロッパ史入門』(小泉徹訳、岩波書店) 拙稿「魔女狩り……出口なし! (後篇)」参照。
彼女があまりの苦痛に耐えかねて、自分は有罪ですと偽りの供述をするならば、ほとんどの裁判で彼女には罪を逃れる術が何もないために、筆舌に尽くしがたい悲惨な事態が訪れる。彼女は見ず知らずの他人を告発するよう強いられるのだ。告発する相手は、往々にして尋問者によって吹き込まれたり、拷問吏によって示されたりする。すでに悪評高かったり非難されている者、または一度逮捕されたのちに釈放された者の場合もある。こうして、彼女たちは今度は自分以外の人間を告発しなければならなくなる。こうして告発された者もまた、他人を告発しなければならない。それが延々と続き、際限がないことくらい、誰でも分かるというものだ。
したがって、裁判官は裁判を打ち切っておのれの所業をやめるか、はては自分の一族や自分自身やその他すべての人々までも火炙りにするか、いずれかを選択しなければならない。というのも、まったくの虚偽の告発は、ついにはすべての人々におよぶであろうし、告発に続いて拷問にかけられれば、誰もが有罪だと認めてしまうだろうからだ。
← 1692年8月5日、George Jacobs の裁判風景。(T.H. Matteson 画) 詳細は、「セーレムの魔女裁判」を参照。(画像は、「The Salem Witch Papers」より)
こうして、火刑の炎を絶やすなと声を限りに最初に叫んだ者たちも、ついには自分自身が巻き込まれることになる。そうした思慮の浅い愚か者たちは、いつかはかならず自分の番がやって来るのが分からない。そして、これこそ彼らへの神罰となろう。というのも、彼らこそがその禍々しい舌でもっておびただしい魔女を作りあげ、あまたの無実の人々を炎に投じたのだから。
(以下、略)
[以上、本文は、田中 雅志【編訳・解説】の『魔女の誕生と衰退―原典資料で読む西洋悪魔学の歴史』(三交社)所収の、フリードリッヒ・シュペー『犯罪にたいする警告、または魔女裁判について』(一六三一年)からの抄訳]
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