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2010/12/21

ルドルフ・タシュナー『数の魔力』の周辺(前編)

 ルドルフ・タシュナー〔著〕の『数の魔力 数秘術から量子論まで』(鈴木直/訳 岩波書店)を読んだ。これも、新刊。新入荷本のコーナーじゃなく、書架で見つけた。まあ、今年の五月の刊行だから、真新しいわけじゃないけど、しばしば数学の書架を眺めていて、初めて気がついたので、きっと、今まで誰彼が(次々と)借り続けていたのだろう。
 運よくたまたま書架に戻ったのを手にし得たわけである。

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← ルドルフ・タシュナー〔著〕『数の魔力 数秘術から量子論まで』(鈴木直/訳 岩波書店)

 著者は数学と物理学の専門家。専門的な業績は知らないが、「近年は数学を切り口にした斬新な文化史的著作を次々と出版し、多くの読者を得ている」とか。さもありなん、である。

 ルドルフ・タシュナー…。
 名前だけからすると、あまりに、あの神秘思想家のルドルフ・シュタイナーと似ている、気がするのは小生だけか。
 なので、いまさら、そんな世界に触れたくなくて、名前だけで拒否反応が生じかけ、うっかり素通りするところだった。

 欧米の科学者は、啓蒙書を書いても、一味も二味も違う。専門だけじゃない、哲学や音楽、芸術などへの造詣が深い…だけじゃなく、独自の視点と理解を持っているし、鑑識眼もあったりする。
 まだまだ日本の科学者の書く啓蒙書は、物足りないという憾みは否めない。

 本書で「オーストリア科学ジャーナリスト協会より「サイエンティスト・オブ・ザ・イヤー2004年」に選ばれた 」というが、なるほどという感を強くした。
 ただ、第二章の「バッハ―数と音楽」は、分かるような分からないようなで、結局、理解が及ばず、こうしたテーマが大好物の小生としては、己の理解力のなさに落胆したりもした。

 作家の高村薫さんが、本書についての書評の中で、まさにこの章に関し、彼女なりの理解を披瀝されている:

 世界を数の抽象性に還元してゆく人間の思考のなかでも、圧巻の一つは、周波数比でつくられる音律の世界だろう。そこでは基音に対して2倍の周波数をもつ音を1オクターブとして、そこに含まれる全音程の数比を最小値1と最大値2の間で取ってゆくことになる。このとき、たとえば基音レに対して3倍の周波数をもつラを1オクターブ下げて3/2とし、5度をつくる。同様にラと5度をつくるミ、ミと5度をつくるシというふうに次々に音程を取ってゆくが、この5度をつくる3/2は12回掛けてやっと、2の7乗(=7オクターブ)に近似するだけだ。これがピアノの12鍵盤の基であるが、では調律はどうするのだろう。各半音の周波数比を、12乗して2になる値で見事に均(なら)した天才がいたのである。この値はもちろん無限小数になる。
(「【レビュー・書評】数の魔力―数秘術から量子論まで [著]ルドルフ・タシュナー - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)」より抜粋)

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→ アルブレヒト・デューラーの銅版画『メランコリア1』 (画像は、「魔方陣 - Wikipedia」より)

 デューラーの魔方陣についても、知見が得られた。

 デューラーの「魔方陣」については(ここでは詳述しないが)、ずっと以前、その説明を読んだことがあったような気がするが、本書を読んで、改めて、デューラーが魔方陣を編み出した、その手法の巧みさに感心した。
 彼自身が編み出したとは驚きでもある(彼も誇りに思っていたようだ。そのつもりで彼の銅版画『メランコリア1』を眺めると、憂鬱のどん底にある(かのような)男の表情に、オレはこれだけことはやってのける人間なんだ、そしてもっと可能性を秘めている男なんだという、矜持にも似た自慢げな思いが透けて見えそうな気もしないではない。勘違いかもしれないが)。

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← アルブレヒト・デューラーの銅版画『メランコリア1』中、砂時計の隣に描かれているユピテル魔方陣。誇らしくてだろうか、「この魔方陣の中には、偉業を達成した制作年の1514が埋め込まれている」。(画像などは、「魔方陣 - Wikipedia」より)

 告白すると、「デューラーの魔方陣」を、最初のうちは、「魔法陣」と勘違いしていた。(小生の浅薄なイメージの中のデューラーに似つかわしいような気がしていたのだ。しかし、上記したように、とんでもない誤解なのである。
(デューラーについては、拙稿「デューラー『メランコリア I』の周辺」や「デューラー『メランコリア I』の「I」再び」、「デューラーの憂鬱なる祝祭空間」などを参照のこと。)

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