大山誠一『天孫降臨の夢』をめぐって(前編)
久々に古代史関連の本を読みたくなった。
古代史(日本の考古学)のファンなら、小生が何ゆえ突然、そんな気になったか、もしかしるとピンと来るかもしれない。
← 大山 誠一【著】『天孫降臨の夢―藤原不比等のプロジェクト』(NHKブックス 日本放送出版協会)
そう、過日、マスコミを賑わせた、「牽牛子塚古墳 - Wikipedia」関連の話題が刺激になったのである(拙稿:「宮内庁は何を守っている?」参照)。
久々にとはいっても、本ブログで話題に取り上げるかどうかは別にして(もっとも、「大和岩雄・著『新版 古事記成立考』を読む」などの記事は書いている。左記はとても面白い本だった。著者の大和は、「おおわ」と読む)、古代史や考古学関連の話題には関心を払っているつもりではいる。
著者の大山誠一氏の主張は明快であり、それだけに同時にかなりの物議を巻き起こしてきた。
聖徳太子像は、7世紀末から8世紀初めにかけての藤原不比等の策謀で成った。
天皇を現人神にし、聖徳太子なる虚像をなし、天孫降臨の神話を織り成し、それらのビジョンを『日本書紀』において完成させた。
「聖徳太子 - Wikipedia」においても、大山誠一氏の論が大きく取り上げられている。
小生など、昔読んだ、梅原猛の論考を面白いと思ったものだが(『隠された十字架 法隆寺論』や『聖徳太子』など)、それより大山氏の主張は、ある意味、立場の違う人たちからすると過激なものなのである。
「聖徳太子の聖人化は、『日本書紀』に既にみえており、「聖徳太子信仰」が後世の人々により形作られていった」もので、世に伝わり広がる聖徳太子像は(藤原不比等が織り成した)虚構である。
大山誠一(中部大学教授)氏は、本書でもだが、『「聖徳太子」の誕生』(など)で、「厩戸王の事蹟と言われるもののうち冠位十二階と遣隋使の2つ以外は全くの虚構である」と主張している。
多くの人が指摘するように、「 『隋書』には推古天皇も厩戸王も登場しない」のである。
(本書においてもだが、大山氏は、「飛鳥時代に斑鳩宮に住み斑鳩寺も建てたであろう有力王族、厩戸王の存在の可能性は否定しない」。)
← 大山 誠一【編】『聖徳太子の真実』(平凡社) 上掲書と共に、大山誠一氏や、聖徳太子虚構説派の集大成的著作。
さらに、隋書「倭国伝」にある『倭王』(「姓は阿毎(アメ)、字は多利思比孤(タリシヒコ)」)とは蘇我馬子であると大山氏は説く。
これは当然だと思うし納得する。推古天皇が御簾の後ろに隠れていたなんて、あまりに嘘っぽい(この虚構が、後世、天皇を御簾に隠すような形で棚上げする慣例の前例となったのだろうが)。
御簾の後ろだろうが、誰か居たら、中国の使者だって気付くって。
奈良時代初期前後の天皇の家系と『古事記』に示される神々の系譜とを符合させることで、草壁・軽・首の三人の皇子の血筋(万世一系)をつなごうと、策謀の限りを尽くした、とする。その当事者が藤原不比等であり、彼(ら)がその夢を実現するため、天孫降臨の神話を創造したと説く。
本書の理解には、異論・反論も含め、以下が参考になろう:
「大山誠一『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』―② - 弱い文明」
「聖徳太子論の見直し - もろ式 読書日記」
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