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2010/12/12

魔女狩り(前編)

 信じがたいことであるが、ドイツの民衆のあいだでは、それもとりわけカトリック教徒のあいだで、迷信、ねたみ、嘘、中傷、不平などが蔓延している。そのことを当局者は処罰せず、説教師も叱責せず、そのためまず第一に魔術に関する容疑が沸き起こっている。神が聖書でお戒めしている神罰にあたる行為はみな、魔女が犯しているとされる。もはや神や自然が何事かをなすのではなく、魔女こそすべての出来事の張本人だというのだ。

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← 不詳 (画像は、「魔法の光線 【スーパー戦隊シリーズ前史その63】 戦隊ヒロインBLOG」より)

 そこで、誰もが熱心に叫ぶ。当局者は魔女を取り調べろと(ところが、魔女の多くは、じつはそのように叫ぶ者の言葉から生みだされている)。


 命じられた裁判官たちは当初、どこから着手したらよいか分からない。証拠も証言もないからである。それに良心に省みて、正統な理由なしに事を企てる気にもなれない。
 そうこうするあいだに、裁判官たちは審理を開始するよう何度か勧告される。民衆はこのようにもたついていることこそ怪しいと叫ぶ。そして、諸侯たちは何者かに助言され、民衆とほぼ同様の事柄を確信するようになる。

 ドイツでは、諸侯のご機嫌を損ね、諸侯にただちに服従しないことは、ゆゆしき重大事である。ほとんどの人々は、たとえ聖職者でさえ、諸侯が気に入ることならばほとんど何でも大仰に賛同する。そして、諸侯をしばしばそそのかす者について指摘におよぼうとはしない。たとえ諸侯がどんなに素晴らしい資質の持ち主であったとしても。
 そのため、裁判官は最終的に諸侯の意向にしたがい、ついにはどうにか裁判へと着手する。


 裁判官がこうした厄介な問題にあたるのになおも逡巡していると、特別に任命された異端審問官が送り込まれることになる。その異端審問官が人の常として、いささか未熟であったり欲に駆られていたりすると、そうした欠点はこの問題においてはその様相を一変させ、まさしく純真な正義や情熱へと化す。そして、この正義や情熱は金銭欲によって間違いなく煽りたてられる。それもとりわけ、異端審問官がたくさんの子持ちで貧しく貪欲であり、また前述したように、異端審問官が臨時の賦課金を農民から自由に徴収できるとともに、罪人を火刑に処すごとに数ターラーの報奨金を支給される場合にはなおさらである。
 そのため、憑依された者が何事かを漏らしたり、貧しい平民の女神が悪意ある根拠のない(なぜならけっして証明されないからであるが)世間の噂の標的にされたりすると、彼女は真っ先に犠牲者となる。

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→ 不詳 (画像は、「世界のメディア・ニュース ライス元国務長官は、Abu Zubaydahの水責めを認可していた」より)

 噂だけに基づいて、その他の証拠なしに彼女を裁判にかけているなどと思われないようにしなければならない。そのため審理が開かれる際には、ご覧あれ! 突如として、証拠が次のような両党論法(ジレンマ)を用いてもたらされる。すなわち、彼女は悪しき不道徳の生活を送ってきたか、それとも正しい生活を送ってきたか、という論法である。もし悪しき生活を送ってきたとすれば、悪は悪を呼ぶ容易に想定されるため、それは有罪の有力な証拠とされる。ところが、たとえ正しい生活を送ってきたとしても、同様に有罪の有力な証拠とされる。なぜなら、魔女はそのようにして自分の本性を隠し、じつに品行方正に見えるよう装うものとされているからである。

 女神(ガイア)は投獄を命じられる。するとご覧あれ! さらなる証拠がこの両党論法からもたらされる。すなわち、彼女はいま脅えているか、それとも脅えていないか、という論法である。もし脅えているのであれば(それはもっともである。というのも、彼女はこうした場合にはふつう過酷な拷問が用いられると耳にしたからだ)、それは有罪とされる。なぜなら、彼女は良心に苛まれているはずだからである。もし脅えている様子がないならば(それももっともである。というのも、彼女は自分の無実を確信しているからだ)、それもまた有罪の証拠とされる。なぜなら、無実であると言い張り、堂々と振る舞うのは、当然ながら魔女の特徴とされているからである。

 しかし、それでも依然として有罪にするに足る証拠を得られない場合には、異端審問官は自分の部下に彼女の過去を洗いざらい尋問させる。その部下というのは、往々にして不道徳でいかがわしい輩である。すると当然ながら、異端審問官たちは尋問で得られた彼女の言動を悪意ある解釈によっていともたやすくねじ曲げ、魔術の証拠とすることができるのだ。
 もしも彼女をひどい目に遭わせてやろうと思っていた者がいれば、いまやまたとない機会の到来である。そうした者たちは何でも好き勝手なことを申し立てできるし、その証拠となるものなど簡単に見つけるであろう。そして、じゅうぶん証拠があるからあいつは有罪だ、と四方八方から叫ぶのである。
 こうして彼女は連行され、できるだけ速やかに尋問される。逮捕された当日に尋問が開始されることも往々にしてある。

 被疑者には、弁護人もまったく公平な抗弁もいっさい認められない。というのも、これは例外の犯罪であると誰もが言い張っているからだ。そのため、彼女を弁護しかばおうとする者までも、同罪の疑いをかけられてしまう。それについて何か発言しようとする者、裁判官に慎重になるよう促そうとする者の場合も同様である。そんなことをすれば、たちまち魔女の擁護者と呼ばれてしまう。こうして、誰もが口を閉ざし、ペン先を鈍らせ、言わざる書かざるになってしまうのである。

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← 田中 雅志【編訳・解説】『魔女の誕生と衰退―原典資料で読む西洋悪魔学の歴史 』(三交社) 拙稿「魔女狩り……出口なし! (前篇)」参照。

 ところが、彼女にはなにがしかの自己弁護の機会が与えられていると見せかけるために、裁判官はふつう彼女を法廷に出廷させ、証拠をあげつぶさに検討する。ただし、それが本当に検討と呼べるものであればだが。
 たとえ彼女が証拠に意義を唱え、すべての容疑にたいして納得のいく説明をしたとしても、そんなことは気にもとめられず、記録されもしない。どんなに見事に受け答えしたとしても、容疑は依然としてそのまま残る。裁判官は彼女を牢獄に連れ戻すよう命じる。さらに頑迷を通し続けるつもりか、よくよく考えさせるためである。彼女は自己弁護したために、すでに頑迷とされているのである。それに、たとえ彼女がすっかり身の潔白を証明したとしても、このことが新たな証拠となる。魔女でなければそんなに弁が立つはずはない、というわけである。
 裁判官はこうして彼女によく考えさせたのちに、翌日ふたたび出廷させて、拷問を行なうとの宣告を読みあげる。告発にたいする彼女の返答や意義などいっさいなかったかのように。
 ただし拷問に先だって、刑吏が彼女を別室に連れていく。そして彼女が何らかの魔術によって悼みを感じなくさせるのを防ぐために、全身の毛を剃り、からだじゅうをくまなく検査する。まったく恥知らずにも、女性器さえ検査する。今日にいたるまで、もちろんそれで何かが発見されたためしはない。
 だが、女性へのこうした検査がどうしてなくなろう。なにせ相手が聖職者でも行なわれるのだから。(以下、中略)

[以上、本文は、田中 雅志【編訳・解説】の『魔女の誕生と衰退―原典資料で読む西洋悪魔学の歴史』(三交社)所収の、フリードリッヒ・シュペー『犯罪にたいする警告、または魔女裁判について』(一六三一年)からの抄訳]

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