« 空白の頁 | トップページ | 屋根裏部屋のベッド »

2010/11/06

京都へは野暮用で

 過日、野暮用があって京都へ行ってきた。
 先月に続いての京都
 先月もだが、あくまで野暮用なので、観光はなし。

2010_1103071003tonai0057

→ 京都の現地の館内で見つけた絵。美術館でもないのに、館内には絵画作品が一杯、展示されていた。多くは(あるいは全て?)寄贈品らしい。

 それでも、前回は少し無理をして哲学の道をぶらつき、銀閣寺の庭園内を逍遥してきたが、今回は、まったくの日帰り。
 京都駅から現地へ向かい、現地からまっすぐ駅へ。
 そのまま列車に飛び乗った。

 飛び乗ったというのは、大げさではない。
 駅の改札をくぐろうとして、パネルのダイヤを見たら、富山への列車があと数分で来るとわかり、すぐに自由席の列の後に並んだのである。

 前回は、用事のあった現地の近くの銀閣寺などを観光したし、用事を済ませて駅へ戻ったら、タイミングが悪く、駅の構内で一時間ほど、次の列車の到来を待ち受けたものだし、それがまた、ささやかな旅の気分を味合わせてくれたのだが、それさえもなかったのだ。

 時間的には余裕がないわけじゃなかった。翌日に富山で所要があるわけでもないし、誰かと会うわけでもない。
 それこそ、京都の宿に一泊するとか、今年は奈良開城1300年だから、翌日は一日くらい奈良へいくもよし、のはずなのである。

 京都や奈良へは、中学時代、修学旅行で向かったことがある。
 苦手なバスでの旅に辟易したのを覚えているだけで、京都や奈良での旅の思い出は皆無に近い。
 せいぜい、泊まった宿で、ご他聞に漏れず(?)、夜、枕投げをして先生に叱られたりとか、生徒のうちの誰かが女風呂を覗いたとか何とかで、羨ましがったりとか。
 美術の授業で、修学旅行を終えてきたことだし、せっかくだからと旅の思い出を描くという課題が与えられ、せっせと絵を描いたことも覚えている。

4336045062

← スタニスワフ・レム著『高い城・文学エッセイ』(沼野 充義 巽 孝之 芝田 文乃 加藤 有子 井上 暁子【訳】 スタニスワフ・レム コレクション 国書刊行会) 本書は、『ソラリス』(沼野充義訳)と共に借りてきたのだが、ある意味、『ソラリス』以上の収穫だった。特に、表題の「高い城」は、自伝のはずなのだが、とんでもなくハイブローな文学論。そもそも、レムの批評はSF論を軸にしているが、並みの文学論の書き手よりはずっと読みが深いし、分析が鋭い。知能指数が180ってのは、伊達じゃない。論旨についていけない場合がしばしばだが、それでも、示唆的なのである。

 なぜ、そんなことを覚えているかというと、描いた絵が我ながら出来がよくて嬉しかったからという、他愛もない理由なのである。 
 奈良の東大寺の大仏やら金閣寺などを、一つの画面にシャガール風に(?)中に浮かんでいるように、描きこんだもの。

 自分としては自信作だったので、作品を返されても、ちゃんと屋根裏部屋に保存しておいたはずなのだが、その後、帰省のたびに屋根裏部屋に上っては探したものに、見つからない。

 小生が子供の頃に描いた絵で、一番の自信作は、小学校の六年生の秋に描いたクリスマスの絵である。
 サンタクロースがプレゼントの入った白い袋を担ぎ、トナカイに乗って冬の夜を、プレゼントの届くのを待つ子供たちの家へと疾走する、という絵。

 この絵については、やや苦い思い出がある。
 絵を完成したとき、あまりに出来がよかったので、父母に見せた。
 すると、父が、よせばいいのに、絵の中のサンタクロースやトナカイなど、いろんな物に黒い絵の具で輪郭を描いてくれたのだった。
 父は達筆な人なので、輪郭線も綺麗。
 絵の出来栄えが一層、映えたのはいいが、いかにも大人(親)に手伝ってもらったという印象が濃厚になってしまった。

 自分としては、輪郭線以外の地の絵は自分が描いたと思っているし、実際、そうだったのに、先生は、あーあ、親に手伝ってもらって、きっと地の絵にも親の手が入っているんだろうと思われているに違いないと思われ、悔しくてならなかったのだった。
 先生に、そう指摘されたのなら、違うよ、輪郭線は確かに父が描いたけど、絵そのものは自分がちゃんと描いたと反論するのだが、そんな機会もなかった。
 なので、真実はグレーゾーンの闇に暈されてしまったのだ。

 そんな自慢の絵は、学校から返却されたのかどうか、覚えていない。
 そもそも絵に限らず、何事も不器用な人間だったのだが、それでも、中学生の時に授業で描いた版画(鉄筆で銅版にラインを刻み、黒い液を垂らして、白い画用紙に絵を転写する)が、出来がよくて、教室の後ろに展示されたものである。

 そういった、自慢の作品は、返却されたものについては、しっかり屋根裏部屋にまとめて保存しておいたはずなのに、大学を卒業して何年かして、そろそろ子供の頃がちょっと懐かしく思えた頃に、屋根裏部屋を物色しても、一つも見つからなかった。
 その後も、帰省するたびに探したが、見つからないままに今日に至っている。

2010_1103071003tonai0058

→ 京都駅のまん前には、京都タワー。右手前の像は、鉄腕アトムの雄姿。

 ちょっと話が脱線した。

 中学生の時の修学旅行を除いても、小生は京都だけは何度も訪れている。
 保育所時代、小学校の四年生の時、93年、94年、そして今年である。
 いずれも、目的は観光ではなかった。
 子供の頃は、父に連れられてなので、時間が空いた際には、二条城や本願寺、京都御所などなどを見て回った。
 小学校の四年の時には、坂本竜馬にゆかりの旧跡やら父の趣味の切手、あるいは古銭の店などを訪れた、かすかな記憶がある。

 それが、このたびの京都行きは、ホントのとんぼ返りになってしまった。
  そんなに遠くない将来、京都行きの所要がまだあるので、その際には、京都もだが、隣の奈良を、せっかくだから、少しは見て回りたいものである。

 

|

« 空白の頁 | トップページ | 屋根裏部屋のベッド »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

思い出話」カテゴリの記事

写真日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 京都へは野暮用で:

« 空白の頁 | トップページ | 屋根裏部屋のベッド »