ひといろの雪
今日の午後、畑で土起こし。
数年前まで我が家の田んぼだったのが、今では人の手に渡り、当面、使う予定がないので、その家の方は近隣の方々に畑としての使用を認めている。
土地を畑として管理してもらう代わりに、その畑から収穫するものは作業する人たちの自由に。
→ 我が家の玄関に立つ人を、こんな光景が出迎える。歌麿の浮世絵、我が家の家紋、そして生け花。小生が生けた。誰も見てくれないので、ブログで披露する。壁の汚れは半世紀以上の築年数を物語っている?
そのうちのほんの一角は、我が家の割り当て。
けれど、父母共に従前からの畑、そして庭の世話だけで手一杯で、ほとんど放置状態。
見かねて、近隣の方が、折々、冬瓜やカボチャなどを植えている。
というのも、荒れ放題になっていて、雑草の根が頑固に蔓延り、今となっては通常の野菜が育たないのだ。
根っこの縦横無尽な張りようは怖いほど。
そんな土地だけど、今日、その荒れた畑(もどき)の土を鍬(くわ)で起こし、耕して、雑草の根っこを可能な限り断ち切り、その上、念には念をということで、除草剤を散布。
来春、雪解けの季節になったら、改めて耕して、雑草に負けないような何かを植えたいと思っている。
何がいいのか、一冬、じっくり考えてみる。
畑地で汗だくになり雑草の根っ子と悪戦苦闘して、ふと、元は我が家の田んぼだった光景を思い起こさざるを得なかった。
もうすぐ雪の季節の到来。
ふと、数年前に書いた雪絡みの小文を思い出した。
我が家は富山市の市街地近くにあり、駅からも歩いて二十分も要しない。なのに、今も田圃は残っている。我が家の田圃も一昨年までは辛うじて残っていたが、とうとう稲作からは手を引き、田圃は一部を近所の方が畑に利用しているだけで、あとは荒れ放題だったりする。
平野部の真ん中にあったりするので、積雪も、一昔前はともかく、今はせいぜい数十センチ、一メートルに達することは稀になっている。
小生が大学生になり郷里を離れる頃までは、それでも雪は相当に降った。
お正月というと、まず、間違いなく雪の風景で迎える。家の手伝いは何もしないボンクラな小生だったが、雪掻きだけは楽しかったというのか、雪の降り頻る日は、休日だったりすると、朝早く、食後、昼前、昼食後、昼下がり、夕方前、夕食後、夜半前と、とにかく意地みたいになって雪掻きをした。屋根の雪降ろしだけは、父の手伝いの形でなければさせてもらえなかったが。
枝ぶりも見事な松に、椰子の木に、垣根に、庭の植物達に、庭や田圃や畑に、小さな築山に雪が容赦もなく降り積もる。ほんの数時間前に、シャカリキになって雪掻きしたのに、また、どっさりと積もっている!
ガキだった小生は、剥きになってまたまた汗だくになりながら、竹竿を揮い、スコップを振り下ろし、竹箒などで叩いてみたり、時に毛糸の手袋を嵌めた手で掻き削ってみたりする。
吐く息が白いのは当然だけれど、体に熱が篭るほどに、一層、白さを増す。時には体から湯気が立ち昇ったりする。長靴の中は、入り込んだ雪で泥濘(ぬかるみ)状態となり、気色悪いこと!
← 先月上旬、富山城の正門前を通りかかった。快晴に天守閣が映える。
性懲りもなく降りつづける雪だけれど、雪が憎たらしいかというと、それでいて、雪の降っている状態も風景も、やはり好きなのである。そこが子供の子供たる所以なのだろう。雪合戦、雪だるま、カマクラ、雪灯篭、氷柱(つらら)落とし、そして雪掻き。あるいは、屋根から落ちた雪や、雪掻きして積みあがった雪の築山という巨大なベッドに体を横たえる、言葉に尽きせぬ快感。
ふーわりした雪の敷布団は、不思議な浮遊感を与えてくれる。粒の大きな雪が降っている夜などにベッドに体を預け、限りなく漆黒の闇に近い、しかし、何処か紺碧の色合いの混じる宇宙へと、自分が浮かび上がっていくように感じられる。家の窓灯りも消され、田園も雪の色一色、そんな中、世界にあるのは、降る雪というより、ひたすらに舞い上がる、何処か切ない抽象的な感覚だけとなるのだ。
(「青木の実」(2005/01/18)より)
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