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2010/11/20

薔薇は夢に似合わない

 午後、松や杉の木の剪定やら刈り込みなどをして汗を流した。
 上着など羽織らなくても、作業しているだけで体がポッポしてくる。
 ちょっと三十分ほどのつもりだったのに、やり始めると、つい夢中になる。
 夢中どころかムキになってやっている自分に気づいて、まだ案外と若いな、なんて苦笑したり。

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← 数日前、遭遇した夕景。

沈みゆく日に気のせいてペダル漕ぐ

 それでも、作業に目処をつけて、刈り落とした枝葉をポリ袋に詰め込んでいた。
 すると、裏庭の一角に先日、切り落としたバラの枝葉が落ちているのに気づいた。
 あまりに長くて、竹垣から表の通りにひょいっと顔を出していたので、仕方なく食み出している部分だけ、断ち切ったのだ。
 土壌の状態がよくないのか、あまり綺麗には咲いてくれないバラだけど、トゲだけは一端で、拾った瞬間、手袋をしている手にチクッと。
 
 数年前、話の筋に関係ないのに、何故か話題に出してしまったバラ絡みの話。読み返してみると、バラの話から何故か匂いの話題に移っている。
 バラというと、トゲであり匂いの話になるってのは、当たり前すぎるのだけど、せっかくだから(?)載せておく。


 バラは、豪奢さの漂う、一歩間違えると華美というより過美となりかねない危うい、ギリギリの瀬戸際で優雅さと気品を保っている花である。薔薇という名前もだが、棘があることが尚、薔薇を神秘的な、近寄り難い、それでいて気になってならない花にさせているようだ。
 薔薇ほど夢に似合わぬ花はないと思える

 薔薇は外見だけではなく、香りあっての薔薇であろう。
 人によって好き好きがあるのだろうが、バスローブなどに薔薇の香などがほんのり含ませてあったりしたら、漂い来る香りだけで悩殺されてしまう。質のいい香水だと(めったにないけれど)、擦れ違った女性の余韻がずっと尾を引いてしまうこともあったりして。
 それどころか、真に上質の香水だと、十年の歳月を経ても忘れられなかったりして。

 野暮な話になるが、人間とは比較にならないほど嗅覚の鋭い犬は、この世を一体、どういうふうに見ている(感じている、嗅ぎ取っている)のだろう。

 犬が記憶力がいいのかどうか、分からない。あるいは劣るのかもしれない。
 が、少なくとも匂いについては、一度嗅いだ匂いのことはずっと忘れないのではなかろうか。会った人、犬、猫、食べ物などはクンクン嗅いで、嗅覚の中枢にしっかり収められるのではなかろうか。

 数分子の匂い成分でも残っていたら、嗅ぎ分けることができる。単なる視覚だけだと、人間にはあるいは敵わないのかもしれないが、嗅覚という能力で見られた世界の広がりという点では、人間は犬から見たら全くの鈍感野郎に過ぎないのだろう。視覚的には視角となる角を曲がった先の人や動物、一昨日、この道を通り過ぎた猫、何処かの家に勝手に入り込んだ奴の匂いの痕跡。

 誰かが浮気でもしようものなら、ああ、この人、あの人と出来てる! なんて一発で分かる。町中の人の愛憎相関図など、犬は全てお見通し(嗅ぎ通し)で、肌の触れ合いの相関図をお犬様の意見を参考に描くと、複雑すぎて解きほぐしえないほどになるのかもしれない。

 何処かの本で読んだのか、それとも、小生が勝手に妄想を逞しくしただけかもしれないが、たとえば、ちょいと離れた家の気になる相手が発情期になっている(人間なら恋したい気分になっていると表現すべきか)ことも、家の外を通り掛かるだけで分かってしまう。何しろ、多分、何かのフェロモンが思わず知らずに体から発散してしまうのだろうから。

 人なら目の煌き、ちょっとした表情などで相手の気持ちを読み取る……が、演技もありえるし、敢えて真情を包み隠す場合もあるから、誤解も生じやすい。
 が、体から発するフェロモンは消しようがない。通り過ぎる相手が自分に好意を持っているか、その気になっているかどうかが、あからさまに分かってしまう、ばれてしまう…。

 あれ、話が変なところに。さるほどに薔薇(の香り)は魅惑的であり危険でもあるということか。
 薔薇の匂いの成分は数百種類に及ぶという。化学分析能力の進んだ今日だから、相当程度に解析は進んでいるのだろう、が、分かっている成分で合成しても、バラの香りの再現には程遠いらしい。
 だからこそ、香りを嗅ぎ分ける専門家がいるのだろうし、その能力で香水でも、俗悪で下卑たものから気品とほどよい色香の漂うものまで、千差万別となるのだろう。

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→ 裏の通りに勝手に育っている雑草。紅葉が意外に鮮烈。

 この日記の中(で、「冴ゆる」という表題の中)でも書いたが、感覚というのは、季節によって随分と働きが違うようだ。同時に、春からは植物がドンドン生長し、樹液が満ち溢れ、動物も体臭を放ち、人間だって汗も掻けば、街の風物の何もかもが臭いを放つから、ほんのりと漂うような品のいい、あるいは大人しい臭いは掻き消されてしまう。
 が、冬となると、体臭は出にくくなるし、樹木も裸木となり、常緑樹は樹液を発散する営みを控え、生ゴミでさえ腐臭を発することがなくなる。

 人間の嗅覚を含む感覚器官だって、心と同様、閉じ篭りがちになる。心の目を閉じて、内向きになる。
 が、逆にそうだからこそ、一旦、鼻に届いた臭いは印象的となるのだろう。

                       (「冬薔薇(ふゆさうび)」(2005/01/14)より)

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