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2010/11/30

我が家の蔵のこと(前編)

 我が家の蔵がいつ、建てられたのか、父に聞きそびれてしまった。
 戦争前から蔵があったのは確からしい。

 というのも、戦災で家が全焼した、という話は聞いているので、その際、蔵も燃えたはず、つまり戦争中には既にあったはず、なのである。

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→ 土蔵の入り口フロアー。幅2メートル、奥行き6メートルほどか。右側の重い扉をガラガラと開けると、蔵の中へ。幅4メートル、奥行きは入り口と同じ6メートルほど。左手前に蔵の2階へ続く木の階段がある。

 火の回りが早過ぎて、蔵の中からほとんど何も持ち出せなかったとか。
 僅かに朱塗りの御膳揃いやら茶器など、ほんの和すかの物を田んぼの一角に持ち出したらしいが、それが精一杯。

 焼夷弾か何かで焼けたとかで、土の壁など骨格は残ったが、外の化粧や中の荷物の類はほぼ全滅だったわけである。
 まあ、命辛々だから、戦災で焼け出されても、誰も死傷しなかっただけでも運が良かったと思うべきか。
 
 蔵は、まさしく土蔵であって、壁などは土壁作り。土の中にワラなどが強度を増すために混ぜられていた。
 かなり痛んでいた箇所もあって、「木舞(こまい)と呼ばれる格子状の枠に土を塗り重ねた壁」の様子が垣間見えたりもした。
 戦後、十数年ほどは、戦災で焼かれたままに壁が剥き出しになっていて、そんな壁の歴史や風雪に耐えてきた具合がいやでも眺められたのである。

 その土の壁には、経年による劣化のせいではない、幾つもの異様な穴が抉られていた。
 父によると、空襲の際、アメリカ軍の戦闘機(…確かグラマン…)によって地上にいる農民たちは機銃掃射を受けたとかで、父の体の両脇を掃射する弾の地上で弾ける列が続いたとか。
 その機関銃の弾痕が壁に、あのように残っているのだ、ということだった。

 戦争で焼ける前の土蔵の壁がどのように化粧されていたのか、漆喰で仕上げられていたのか、それとも、農家の土蔵のことだから、初めから土の壁は剥き出しだったのか、そんなことも父に確かめておくことをしなかった。

 確か、小生が学生だった頃のある夏、帰省したら土蔵が見違えるように改装されていた。
 壁は白く塗られ、あるいは金属の板で張り回され、蔵の屋根瓦さえも新調されていた。
 
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← 蔵の屋根瓦の上に野鳥がポツンと。ほとんど空っぽな蔵は、今じゃ、鳥たちの羽の休める場所になっている…。

 さて、そんな我が家の土蔵だが、中には何が入っているのか。

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