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2010/11/14

古い竹竿は捨てるだけ?

報恩講のことで、ある人を手伝ったら、サトイモやらネギやらジャガイモやら(冷凍のカボチャも)を一杯、もらった。でも、野菜は嫌いなので、ほかの人にあげた。

 ただし、ジャガイモは好きなので残した。

ジャガイモをたくさん、もらったので、半年振りにジャガイモを具に味噌汁を作った。味噌も手製。
 今年五月の始めごろまで味噌汁は作っていて、具もいろいろ入れていたけど、家人が体調を壊し、食べられなくなって、味噌汁を作らなくなった。
 なので、(インスタントじゃない)味噌汁を作るのは、半年ぶりなのだ。やはり、ご飯には味噌汁だ。

箱詰めして蔵に仕舞っていた古い本を引っ張り出して書棚へ。ドストエフスキー全集が全巻、そろった。漱石全集もあった。
 二週間ほど前に蔵から出したときは、別巻を含めて28冊のところ、5冊、足りなかった。誰か借りていったのかなと思ったら、自分で東京に持参し、東京から田舎へ送付していたのを忘れていたのだ。
 漱石全集は岩波書店のでも揃えたけど、帰郷の際に処分。今度、再会したのは、サラリーマン時代に買った角川版のもの。懐かしい。

今だったら、決して買わないような本を若い頃は買っていた。昔は図書館を利用するって発想がなかったからなー。

 際物や安手の本を立ち寄った書店で、つい衝動買い。その頃は気力が萎えていて、目先の好奇心だけで本を買っていたのだ。そんな時代もあった。

今後、読める本の数は、今までに読んだ本よりずっと少ないはず。読む本をよほど選ばないと。
 たまに、生涯に読める本の数を数えてみたりする。小生は年間、せいぜい百冊(失業時代とかは除いて)。となると、余命何年あるか分からないけど、現にある蔵書の半分だって読み返せない。
 やはり、読む本は選ばないといけない。
 でも、その場の衝動で好奇心で読むってのもありなんだよね。
 その意味で、図書館って、ありがたい。

意外な本と再会したけど、太宰治全集が出てこなかった。
 岩波書店版の太宰治全集は郷里の書棚にあったはずなのに、一冊も見当たらない。
 誰か借りていったのか、東京にあって、帰郷の際に気づかずに処分したのか、はて。

ブラジルの底力を感じた。でも、ブラジルを本気にさせた日本はすごい!
 今日は世界2位のアメリカと対戦し、善戦し、銅メダルを獲得。世界バレー、見ごたえあった。

蔵の中から昔、書いた小説の原稿が出てきた。再会。東京在住時代に書いたけど、フロッピーを紛失したので、原稿(データ)が消え去ったと思っていたのだ。
 梅原猛の本の題名に引きずられて、『闇の墓標』という題名にした。
『水底の墓標』という題名では、「水底」を「みなそこ」とは読んでくれないだろうな、という思いもあって『闇の墓標』にしたのだ。
 読み返してみたけど、やはり、技術が稚拙だ。

土曜日は松の木の剪定で疲れた。
 松の木2本だけで、数時間。冬が来る前に、もう少し、刈る必要がありそう。

今日は畑仕事。といっても、来年のための準備。土を起こし、石灰を撒き、納屋に残っていた園芸用の肥料をついでに撒いた。これであとは来春を待つだけ。
 畑は、6列ほどになっているが、用水際の1列だけ、チューリップの球根を植えてある。
 野菜は、来春、何か植える。
 畑の整地で汗だくになり、銭湯へ。
 体重が一キロほど減っていたよ。

『ウィトゲンシュタイン家の人びと』を読んでいる。壮絶な家族…家系だ。才能がありすぎるってのも、つらいことだ。
 彼らウィトゲンシュタイン家の人びとは、みんなとんがっている。知り合いに秀才家族が居るけど、やはり、知能も感性もすごい。
 周りの人間が(小生を含めて)愚かに見えてならないんだろうなー。

家の中を整理してたら、奥の部屋の隅っこ(手付かずの空間)に詰め込まれたダンボールの中から、82年頃に買ったコートが出てきた。当時、10万円したっけ。
 81年に入社した会社で、まもなく社販があった。会社の取引先のダーバンという会社の社販。濃紺のコートに一目惚れして、10万という自分にとって思いっきり高い買い物をした。
 90年の引越しの際、新しい家で探したら、見つからない。
 さては、引越しの際に紛失したのか、なんて思っていたら、引越しする前になぜか田舎に送っていたのだ。
 なぜ、新居へ、じゃなく、田舎に送ったのかは不明。

蔵の中に仕舞いこんでいたダンボールの中から、94年の夏に書いた小説の原稿が出てきた。当時、使っていたパソコンが壊れて、データが無くなり、幻の作品となっていた。
 当時、使っていたパソコンは、自分にとって初めてのマック。通販で買った。
 が、キーボードのキーが初めから不調。というより、不良品。
 いくつかのキーがちゃんと機能しない。
 そんなパソコンにデータを保存したのが間違いだったのか、データの行方不明にガッカリしていた。
 とにかくプリントアウトした原稿があったことにホッとしている。
 
車、思いっきり汚い。黄砂のせいだ。中国に弁償してもらえないものか。
 いつもながら、黄砂の降ったあとの車は、やたらと汚い。このままじゃ、恥ずかしくて乗れない。
 洗車代だけでも中国に弁償してもらいたいものだ。

思えば、最近はネットでヌードが見られるので、エロ雑誌も含め写真集を買いたいとは思わなくなったなー。
 まあ、十数年前までは、美術展の図録も含め、本や雑誌はドンドン、買っていた。
 今は、エロ雑誌も買えない。
 頼りはネットと妄想だけだ。

古くなった竹竿って、何か使い道、ないものか。
 古くて腐りかけた竹竿の使い道が思い浮かばず、近いうちに燃えるゴミとして捨てることにする。
 何か、いいアイデア、ないかなー。

日本、アメリカに勝った。身長差を跳ね返す粘りと頭脳とうまさ。見ごたえあった。
 世界バレー、ほとんどの日本の試合は見た。見ていて楽しかった。東京オリンピックの時代をチラッと思い浮かんだりした。
 体格の差はいかんともしがたいけど、パソコンでデータを駆使し、きめの細かな采配で、ロシアやアメリカ、ブラジル、中国などと対等に戦い、メダルへ。

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コメント

弥一さん、明日は新聞休刊日ですが、まだお仕事されているのかな?
片付けるのって大変ですよね、うちの母もいろんなものをしまいこんでましたから、どうでもいいようなものもでてくるし、お金一万円札も出てくる!
もっと整理しないとー。
ウィトゲンシュタイン、面白いですよね。
僕は、片山恭一さんの、どこへ向かって死ぬかー森有正といきまどう私たち、買いましたが、さすがNHK,1600円とは良心的だなぁと。

投稿: oki | 2010/11/14 22:50

oki さん

以前書いた事情があって現在、休業中(失業中)です。

父母が取っておいたもの、随分、古いものもあって、朽ちたもの、変質(変色)したものは、靴やバッグ類も含め、思い切って捨てた。
でも、まだ着れそうな服もあって、処分に困っている。
知り合い(近所の方とか)がもらってくれないかな。

ウィトゲンシュタイン一家、哲学者以外の兄弟姉妹も親も、みんなエキセントリックで、戦争やユダヤとの絡みもあって、ドラマチックです。
一家の歴史を知ることで、哲学者ウィトゲンシュタインの哲学をいい意味で相対化して理解できるかも。

片手のピアニストのパウル・ウィトゲンシュタインは、特に秀逸な人物で、彼についての伝記を書いたら、売れそう(もう、時代遅れだろうけど)。
パウルのピアノ演奏を聴いてみたい。

投稿: やいっち | 2010/11/15 17:58

使わない竿なんて腐ってしまいます。捨ててしまいましょう。

「際物や安手の本を立ち寄った書店で買った」のは、やはりエロ本類ですかね。ネットが勃興して、エロ本がなくなり、エロ本で活きていた高尚な古本屋も駄目になったか?

先日逝去した有名評論家が、当時深夜番組でビニ本のコレクションを自慢げに紹介していたのを思い出しました。

全集物を横にして、読書と野外労働の素晴らしい日々、出来る時にこそ存分に楽しんでおきましょう。

投稿: pfaelzerwein | 2010/11/15 20:47

pfaelzerweinさん

竹竿、新しいものなら、竹垣や、紙の原料とかになるんだけど、古いので捨てるしかないようですね。


「際物や安手の本を立ち寄った書店で買った」というのは、ユダヤ陰謀説やら小林恵子の古代史本やらロックフェラーやロスチャイルド本やら渡辺 淳一やらニューサイエンス本やら……です。
まあ、気が緩むと、つい手が伸びてしまう。
仕方なかったのかな。

エロ本の類は、内容にもよるけど、必ずしも頭から安手の本(雑誌)とは思わないです。
読み応えがあるなら、これからも読みたいし、場合によっては買って所蔵もしたい。
そう思わせるような際物の本は、(努力して探していない自分の怠慢さもあると思いますが)なかなか出会えないですね。
それこそ、素養の足りなさを痛感するところです。


週日は、家の中の雑事、週末は畑や庭仕事。
今だけだと思うので、楽しんでやっていきたい。
先のことは、まったく見えないだけに、ね。

投稿: やいっち | 2010/11/16 20:27

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