空白の頁
静けさが耳に痛いほどの夜のことだった。震撼とした静寂は雪が降り始めたことを告げている。
オレは空白の頁にいたたまれず、ある詩人の詩を読み始めた。
← 庭先にシュウメイギク(秋明菊)が風雨にめげず咲き誇っている。植え育てたわけじゃないのだが。
その中の一節が脳裏を駆け巡っていた。
幾つかの有り触れた言葉の連なりに過ぎないのに、一つ一つの言葉が氷の彫刻のように透明で、それでいて輪郭が肌を切るほどに鮮やかなのだった。
音のない音楽のようにそれらの言葉がオレの頭の中で不思議なメロディを奏でるのだった。天空が凍て付き、罅割れ、ついには天の欠片が白き花びらとなって落ちてきた。天の涙のように、溢れては零れ、中空を舞い降りるうちに無数の小さな結晶となり、それらがぶつかり合って、やがては誰も見たことない純粋無雑な水晶に姿を変えていくのだった。
けれど、青く澄んだ水晶たちはどこまでも落ちていくけれど、地上世界には決して辿り着いたりはしないのだった。まるで宙を舞うように落ちている。
終いには、天を眺めあげるオレも段々、自分が横になっているのか、それとも宙に浮かんでいるのか分からなくなった。
遠い日、雪山の上に寝転がって天から舞い降りる雪の花々を眺め上げていたことを想った。やわらかに降り積もった雪の原は、銀河の宇宙へ誘う真っ白な蒲団となってボクを夢の旅へ導いていった。
どんな青よりも蒼い天の底は、オレを誘惑するのだった。
(雪の花は落ちてくるのではない、落ちているのはオレのほうなのだ)
オレは眩暈してしまった。
鼻の先に唇に目に睫に白い花弁が触れるたびに、一瞬、ポッと小さな焔を上げたかと思うと、すぐに溢れる涙となって頬を伝っていく。
涙の筋は、冷たいのか熱いのか、ボクには分からなかった。

→ 茶の間の窓外を眺めたら、納屋の軒下に野鳥? もしかして、一昨年だったか、どこかの家から逃げ出した十匹ほどのインコの成れの果て?
純白と紺碧に変幻してやまない世界にやがて町の灯りがポツンポツンと見えた。それはまるで孤独で内気な夢をひめやかに暖めている、季節外れの蛍の末期の祈りとも思えた。
あの頃のオレは藁(わら)で作った靴が大好きだった。藁で編んだ傘を被るのが好きで好きでたまらないのだった。
父が藁で綯(な)った縄で雪囲いをする。松の木の真っ黒な幹の回りに縄が幾重にも巻かれていき、ああ、松ったら、腹巻してるや、なんて笑ったりしたものだったけれど、本当はあのヌクヌクしている感じが羨ましかったのかもしれない。
家の納屋の脇の丸太や木の切れっ端なども、筵(むしろ)を被って満足気なように思えた。
藁や蓑の暖かさを久しく忘れていたことを思い出した。
そうだ、藁で作られたどの筵も縄も茣蓙(ござ)も全て父や母の汗が滲んでいる。
土間で夜の更けるのも気にせずに、二人して黙々と編みつづけていた。そんな二人の体臭が染み込んでいる。雪景色の中、庭木も竹垣も納屋も、そして藁の靴を履くあの頃のオレも、みんな父や母の温もりに包まれている…、いや、包まれていたのだった。
いつだったか、オレはツララを一本、折り取って、納屋の半ば雪で埋まった窓を軽く叩いてみたことがある。すると、静寂の中、氷とガラスとの出会いは玲瓏(れいろう)として響き、鈴の音にも似た悲しげな音を響かせた。
今から思えば、あれは天の嘆きの音だったのだ。
(嘆いていた? でも、何を?)
← 茶の間で窓外をふと眺めたら、虹!
しばらくして、(失われたものを)という声が背後から聞こえた。
振り返ってみた。誰もいないし、何もないのだった。
ふと、我に返った。カーテンの下された窓には、何も映るはずもなかった。
机の上には、蛍光灯に眩しく照らされた雪より白く輝く頁があるばかりだった。
(空白を埋めなければならない。天の声に耳を傾けなければならない)
そうだ、今のオレには空白の紙面に向き合うことしかできないのだ…。
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