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2010/11/23

植村花菜さんの『トイレの神様』、なんていい曲なんだ

植村花菜さんの『トイレの神様』、初めて聞いた。なんていい曲なんだ!

 聞いていて、お袋とのことが思い出され、思わず涙してしまった。

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→ エドゥアール・マネ作『バルコニー』 (画像は、「バルコニー - Wikipedia」より)

バルコニーの源流は東南アジアだって。西欧がベランダ。(ブラタモリより)

ベランダとバルコニー - 常識ぽてち」が詳しい。

今日、知った衝撃の事実。富山の図書館では、今年度、予算がなくてCDなどの新規購入はなし、だって!


福原選手、惜しかったなー。中国の選手の底力、恐るべし、か。

9784791765751

← ラッセル・ショート著『デカルトの骨』(松田和也訳 青土社) 「近代をめぐる最大のミステリーは、彼が死に、16年後に遺骨が掘り出されたところからはじまる―。骨はどこへ消えた?最も面白く、最も知的なノンフィクション」と、青土社にしてはジャーナリスティックな本。著者もジャーナリスト。なので、エピローグでの筆者の哲学観の披瀝は蛇足。徹底して、興味本位な内容に徹したほうがよかったと思う。精神と身体を截然と分離し、精神=神の温存を図ったデカルトだが、意に相違して、科学は徹底して物質としての自然、物質としての人間を分析していった。その報いなのか、デカルトの遺骨は、近代(科学)の象徴として、多くの人のシンボルとなり、奪い合いが繰り広げられた。頭蓋骨は、顎骨が行方不明となり、胴体などの骨はバラバラに。

ハープと琴って、音色(響き)が似ている。当然なのか?

ハープのことギリシャからエジプトへ」参照。

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→ 富山市の市街地を横切る松川。行き交う遊覧船も、そろそろ時期が終わる。

月影清か。煌々と。月光の織り成す影の輪郭の鮮やかさ。

マルクスの『資本論』は、8章から読め、だって。

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← 植村花菜 『わたしのかけらたち』 ([CD+DVD] キング)

『資本論』の8章では、当時の労働者の実態が赤裸々に。ほとんど今の日本の実態? 資本家は、労働者のことなど何も考えないって、古今東西、同じなんだなー。

今頃になって、『近代日本の戦争と宗教』、読み始めた。東西本願寺の成った経緯、初めて知った。

本願寺が東西に分かれたのは、江戸時代からと思い込んでたけど、(信長や)秀吉の時代からだったんだ。

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← 小川原正道『近代日本の戦争と宗教』(選書メチエ) 「明治国家のあゆみには、戦争がともなっていた。そうした戦いのなか、神社界、仏教界、キリスト教界は、いかなる反応をみせたのか。従軍布教や軍資金の提供といった積極的な協力姿勢から、反戦論・非戦論をはじめとする、消極的姿勢──、本書は、その実態を描いてみようとするもの」。ツイッターでも書いたけど、昭和の大戦が対象外で、ちょっとガッカリした。続編はあるのだろうか。帰郷して、命日や通夜、葬儀など、お寺さんとの付き合いの機会も増え、時折、相当な読書家でもある浄土真宗の住職さんと談義することも。東京在住当時は、ハンセン病対応での憤懣(政治の対応に追随するのみ)もあって、葬式仏教という<偏見>一辺倒だったのが、身近に接して、ボランティアに熱心だったりとか、少しは見る目も違った。でも、何か物足りない。


本願寺だけじゃないけど、寺社勢力は、維新当初、相当な(財政的・人的)貢献をしている。生き残りに懸命…だったから?

近代日本の戦争と宗教』を読了。肝心の昭和は、対象外。ちょっと当てが外れた。それぞれの教団、生き残りに汲々だったんだなー。

真俗二諦(しんぞくにたい)だって。△ソも方便の類いみたいだ(都合よく解釈し使っていた気がする)。

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コメント

トイレの神様の、植村さん、紅白出場ですか、おめでとうございます、って今は紅白ってあまり魅力ないですよね、紅勝て白勝て、ってねえ。
うちはまだ地デジにしてないや、弥一さんは?
宗教法人、週刊ダイヤモンドが、宗教とカネってやってますね、11/13号。
前書いた浄土真宗親鸞会も取り上げられています、この宗教法人はなぜか西本願寺に対抗意識持っていて、座り込みなんてやるんですよ。

投稿: oki | 2010/11/25 23:00

okiさん

歌番組、ほとんど視聴しなくなりました。
今流行の大概の歌が、自分には縁遠い、歌には聞こえない世界。
90年が境で、歌の世界が完全に切り替わってしまったようです。

その中で紅白が今はほとんど唯一、歌番組(?)を視聴する機会かも。
それさえ、もう、面倒ですが。

浄土真宗親鸞会は、okiさんに伺って、初めて知った教団。
かなりカルト的な集団のようですね。トラブル(被害)も多いみたい。
本部が富山県射水市だってのも、驚き。
「南無阿弥陀仏」の六字名号のみを本尊としているってのも、驚き。
宿善を求めねばならないってのも、驚き。他力本願の親鸞の教えとは随分、遠い。

「念仏を称えれば救われる」という教え方は誤っているというのは、ひどい。
称名念仏が基本のはずなのに。
かなり、SGなどの現世利益的宗教団体に引きずられているような。

西だけじゃなく、東に対しても異を唱えているようですね。ただ、出自がお西なので、西に対する差異・反発が自然、強くなるのでしょうか。

地元・富山の人間として、こういった団体が存在していることを知らなかったことは迂闊でした。

投稿: やいっち | 2010/11/26 23:54

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