模様替えで再会す
今日は、特に、父母の寝室だった部屋の天袋を整理した。
といっても、折々に中のものは、ある程度は引っ張り出していたのだが、やはり、台に乗らないと中の全貌を確かめられないというのがネックになり、家の中の整理のほぼ最終段階にまでのびのびになってしまっていた。
父母のその特別な収納場所には、さすがに父母(ら)の大事なものが収められていた。
大事なもの……。
残念ながら金目のものではなかった。
→ 何十年ぶりの再会となった滝平二郎(の複製画)。
掛け軸の類も十数本、収まっていたが、その全てを何回かに分けて巻を解いて広げて(伸ばして)みたが、ほぼ全て、父の作品だった。
何度か書いたが、父は国鉄職員として職を全うしたあと、若干の模索の後、いろんな趣味(若いころからの趣味はお酒のラベルやら切手やら道中手形やら朱印やらを集めること)に手を出したのだが、その中のひとつが篆刻(てんこく)なのである。
やりだすと凝り性な父は、やがて読売の書展で入選(秀逸、特選)し、地方新聞ではあるが、新聞の一面に受賞者として名前が載ったこともある(ささやかながら地元の名士の端くれ)。
そんなわけで、自宅には篆刻を彫るための素材となる石がゴロゴロあるし、それ以上に彫った石(印)が数知れずある。
家の中に散在する完成品をこまめに集めたら、お菓子の箱に十箱以上(これでも全てではない。もうこれで全部だろう、と思ったら、意外な場所からまた出てくる…の連続)。
無論、依頼されて作った篆刻作品もあるし、人にもらってもらった作品も幾つあるとは分かりかねるほどある。
小生も、住所印やら肖生印(しょうせいいん=動物をかたどった印、主に封印(封緘)として使われる)などを作ってもらったものだ。
← 茶の間に展示した広重の版画(江戸名所図会)。複製品なのだし、額に入れて飾る必要はないのだが、額装すると、やはり、雰囲気が違うよね。
篆刻作品を作ったら、その完成品の石(印)が飾られるわけじゃなく、印なので、所定の紙に押印する。
印だけを押して作品(軸)にする場合もあるが、大抵は誰か書の専門の方に書を書いてもらって、その脇に篆刻の印を押すことで、作品にする場合もある。
あるいは、絵の心得のある方に墨絵(水墨画というほど大げさなものじゃない)を描いてもらい、そこに篆刻の印を押す。
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