哲学の道から銀閣寺へ
十数年ぶりに銀閣寺に行ってきた。
もとはというと、「哲学の道」をぶらぶらするつもりだった。
← 「哲学の道」のスタート地点で見つけた彼岸花。
病院での待ち時間が一時間から二時間と言われ(診察した先生が、小生が十数年前に治療してもらった先生が今も現役でやっておられると言われ、じゃあ、その先生に是非お願いします、ということになった。
たまたまその先生も診察中でそれくらいの時間、掛かるだろうと言われたのだ)、だったら、ただ待っているのも勿体無いので、地図上は病院から近い(と錯覚してしまった…縮尺を考えてなかった)、「哲学の道」を散策してみようと思い立ったのである。
「哲学の道」は、高校生の終わりころ…西田幾多郎の著作に触れ始めたころからの宿願の地だったのである。
十数年前も、術後の経過を見るため、東京から京都へと病院へ検査のため向かった。その帰り、まっすぐ京都駅にタクシーで向かったのだが、ふと、哲学の道を見たかったなと呟いたのだが、運転手さんは黙っていたので、あまりに近くて嫌なのかなと、諦めたものだ。
→ 「哲学の道」(や「銀閣寺」)を示す立て札。
銀閣寺へは、その前年の冬二月、やはり手術のため入院していたその病院を退院する際、母と一緒に観光地を幾つか(天満宮など)回ったのだが、その中のひとつに銀閣寺(正式には、東山慈照寺銀閣寺)を選んだ。
行ったはいいが、あまりに小さくて情けなくもガッカリしたのを覚えている。
雪をかぶった風情が、味わい深いというより、寒々しかった。
小生には、お寺の味わいなど楽しむゆとりも素養もなかったのである。
さて、病院からタクシーで哲学の道へ向かった。
病院の職員に歩いていけますか聞いたら、不可能じゃないけど、どうかな…と口ごもったので、時間もないことだし、タクシーを足に選んだ。
タクシーを使ったのは正解だった。
とてもじゃないが今の小生に(それに時間的なゆとりもないし)散策で往復できる場所ではなかった。
たぶん、病院から3キロほど。
← 哲学の道。こうしてみると、雰囲気がありそうだが、すぐ脇には土産物店がびっしり。タクシーや観光バスのエンジン音も喧しい。
途中、ノーベル賞の呼び声も高い山中先生の姿も見受けられるという学部の建物やキャンパスを横目にした。
十分ほどで着いた哲学の道。
ちょっとガッカリの、まさに観光地だった。
哲学を志すもの、哲学するものたちが思索しつつあるく静かな雰囲気など、まるでなく、<小道>の脇を舗装した道路が走り、タクシーも含め車も少なからず。
そして観光客も結構、行き交う。
少なくとも昼間は哲学どころじゃない!
一体、この何処が思索の道、哲学の道なのか!
もうちょっと人里離れた、とまではいかなくとも、閑静な一角になっているのかと思ったのに、期待外れだった。
冬とか、桜の季節に訪れたら、趣も違っていたのかもしれない。
西田幾多郎(の幻)は現れようもなかった。
→ 体長が60センチ以上ありそうな鯉がゆうゆうと泳いでいた。
ああ、まるでかつては哲学徒だった小生が、今じゃ見る影もない、そんな現状を示すかのよう。
それでも、せっかく来たのだからと、小道に沿って流れる小川を泳ぐ鯉やら水鳥たち、それを日向になった土手から見守る鳩たちを眺めつつ、ずっと歩いていったら、この先、二百メートルで銀閣寺、という案内板が目に飛び込んできた。
哲学の道に辟易した小生、ちょっと迷った挙句、銀閣寺へ向かった。
迷ったというのは、十数年前、あまりに小ぶりな銀閣寺に勝手に落胆した苦い思い出があるからだ。
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コメント
これからあの界隈も徐々に静かになっていくことでしょう。哲学の道はハイデルベルクのそれを真似て命名されたようですが、京都のそれは比べるまでも無く趣きに溢れています。まあ、季節にも拠るのでしょうが、いつか再びあの界隈も散策する日を楽しみにしています。
大学病院で主治医と十数年ぶりの再会とは専門医としてもともと技量のあった方なのでしょう。
投稿: pfaelzerwein | 2010/10/08 04:18
pfaelzerweinさん
なるほど、「旧市街の対岸、ハイリゲンベルク山の中腹には、哲学者の道と呼ばれる細い散歩道が続いています。京都にある哲学の道のオリジナルはこちらのようですが、この道は実際に上記ハイデルベルク大学の教授陣やゲーテ、ニーチェといった大物が思索をめぐらせながら歩いたところ」なのですね:
http://homepage2.nifty.com/bachhaus/reise/heidelberg.html
写真で見る限り、河巾の広さもスケールも、ドイツ(ハイデルベルク)の「哲学者の道」は、まねた日本の「哲学の道」の比じゃないですね。
日本の「哲学の道」、紅葉や桜の季節とか、冬とか、時期を選ばないと興趣も涌かないし、思索する気分にもなれないですね。
まあ、小生が行くと、どっちにしても同じかもしれないけど。
哲学の道に飽き足らなくなって、ついつい銀閣寺まで足を伸ばす羽目になったのです。
受診した科の先生、十数年前は助教授だったような。
それが今は教授。
大学病院に教授として今も健在ということは、よほど優秀だからとどまっておられるのでしょう。
そう思いたい。
投稿: やいっち | 2010/10/08 22:47
「よほど優秀だからとどまっておられる」 - いろいろと政治力とかもとやかく囁かれる世界ですが、その点は競争が激しいポストであればあるほど、技術者としての技量のみならず総合力が問われる結果なので、よく捨て台詞で言われるように上や下との年齢差などの「運」だけでは説明できない「実力」が必要なようです。
患者さんと医者の個人的な信頼関係が一番重要な治療行為に違いないでしょう。京都を再訪されるならばまた楽しみもありますね。
投稿: pfaelzerwein | 2010/10/09 16:19
pfaelzerweinさん
ややっこしいこれまでの経緯や事情があるほど、治療の(方法や担当医)の継続性が大事なのでしょう。
最初は、富山の病院でも治せるものと、安易に思っていただけに、治療がやや困難かもという事態に、戸惑っているのです。
とにかく、身を任せるしかないですね。
遠からぬ将来、今よりましな状態の体になっていたいものです。
投稿: やいっち | 2010/10/09 23:16