模様替えで再会す(続)
[今日午前、庭木(松)の剪定や畑の草むしり、刈り落とした杉の枝葉の整理などをした。汗びっしょりとなったので、火照った体のままに浴びようと、慌てて風呂場へ。浴びるといっても、水。給湯器は壊れたままなのだ。なんとか寒さ、冷たさにその時は耐えたけど、数時間もしないうちに熱が出てきて、そのうち頭も痛くなり、なぜかお腹も気持ち悪く…。とうとう夕方まで寝込んでしまった。今日は地元の神社の創建八百年祝いを兼ねた祭りだったのに…。さて、以下、昨日の日記の続きを載せる。]
水墨画(墨絵)には、作品によっては幾つもの篆刻の印が押してある。
人気があり、人の手を何人も介したら、それだけ印の数も増えるわけである。
→ 同じく茶の間を見下ろす広重の版画(複製。江戸名所図会)。左の写真は、親戚の家の愛犬(遺影)。
この絵を所有しているとか、いい作品と納得したなら印を押すのかもしれない。
世に高名な作品などで、落款印のほかに、所蔵者が移り変わるたびの印影が何個も、時には肝心の画や文に重なるようにしてまで幾つも押印されている書画を目にする。
押入れの天袋に納められていた掛け軸は、そういうわけで、父の篆刻作品を軸装したものなのである。
よって世間的な値打ちには、幾分「?」が付く。
あるいはこれから何かの拍子に人気が出て、価値が出てくるやもしれないが、今のところ、その兆しはない。
ということで、二十本近い掛け軸は、今のところ、財産価値は言わずもがな、である。
掛け軸じゃなく、額に入れてある作品も家にあるだけで十個ほど。
家の中のあちこちに額があった。
その全てを(天袋やら箪笥の上やら、押入れの奥やら、廊下の隅っこやらから)引っ張り出し、整理した。
不思議なことに、中には額を入れてあった…つまり、空になっているはずの四角いダンボールの箱で、軽いものだけじゃなく、何やら重いものがある。
軽いものの多くは、中の額を取り出し、家の壁(や人様に上げたものもあるし)や玄関などに飾ってあるわけだから、当然軽いわけだが、中にはそうじゃなく、違うものが入っていたりする。
それは、小生が昔、在住していた仙台や東京から家に小包で送った荷物の中に仕舞っておいた絵(フリードリッヒやワイエス、クレー、ロートレック、滝平二郎らの複製画)や、父が新聞店のサービスで提供された版画(無論、ただの印刷物)が収められてある。
広重やら歌麿やら北斎やら。
これでやっと、なぜ昔から家のあちこちに浮世絵が額に入れて飾ってあるのか、その秘密がわかった。
決して本物なんかじゃないことはさすがに察していたが、でも、印刷物でも敢えて購入するほど、父は絵が好きではなかった(水墨画も、複製品を含め買ったことがないと思う)。
← 寝室に飾った絵の数々。上段の小さく見える絵は、左からアルブレヒト・デューラー、フリードリッヒ。下段の絵は、左からアングルの展覧会ポスター、パウル・クレーの絵。
なるほど、新聞(店・社)のサービスでもらった絵で、若いころは、(まだ父の篆刻作品も含め自前の飾るものがなくて)せっかくなのだからと、額に入れて飾っておいたのだ。
小生は(以前、日記に書いたように)、広重の庄野やら蒲原やらを見て郷愁の念を掻き立てられ、あるいは歌麿の美人画を見て(役者の絵を飾ったことはなかったと記憶する)妄想の念を膨らませていたわけだ。
さて、家の中を整理していると、思いがけない場所から思いがけないものが出てきて、思わず見入ったりする。
たとえば、父母の日記、父母の旅行写真、父の国鉄職員時代の給料明細、確定申告書、祖父の軍隊時代の手帳……。
それらは、とりあえず所定の場所に集めてある。
中身をじっくり読んだり確かめたり、懐かしんだりするのは、後日、ゆっくり時間をかけて、のつもりなのである。
上で、額を入れた長方形の箱で、軽いものもあり重いものもある、と書いている。
軽いものは、中身が空か、複製画が入っている。
では、重いものは?
→ 山本芳翠『裸婦』。
父の篆刻作品を額に収めたものもあったが、幾つか額だけの箱もあった。
父が篆刻作品を機会を見て収めて飾るつもりだったのか(あるいは、飾る作品を入れ替えするとか、額を纏め買いしてあったらしい。
父の篆刻作品は、掛け軸にしても、額装のものも、座敷や奥の座敷、玄関、茶の間、廊下などに飾ってあるし、新たに見つけた中でまずまずのものを飾っておいてある。
なので、小生は、小生の好みの絵を額に入れて家に飾ることにした。
茶の間などには、古くて腐りかかった(タバコのヤニによる汚染した)版画が額に入れて飾られてあったので、その版画を今日、見つけた広重の絵(名所の絵)に入れ替えたり、未使用の額に広重やフリードリッヒ(おお! フリードリッヒの複製画との数十年ぶりの再会!)、アルブレヒト・デューラーの複製画を収めたりした。
額に入れたクレーやフリードリッヒ、デューラー、山本芳翠や、裸のままの複製画のロートレック、ワイエス、アングル、川瀬巴水などは小生の好みであり、どうみても我が家を来訪する客の嗜好に合いそうにないので、小生の寝室に飾った。
広重(ら)や滝平らの版画は、大衆性があるので、茶の間に飾った。
← 寝室に飾った複製画。左は、アンドリュー・ワイエス、右はロートレック。
茶の間のテーブル席について、テレビじゃなく、ふと四囲の天井付近の壁を眺めると、広重、滝平らの絵が額に納められて飾ってあるので、見るのが楽しい。
部屋の雰囲気が(小生の目には)大きく変わった気がする。
無論、茶の間には父の篆刻作品(額入り)や親戚の家の今は亡き愛犬の遺影などが飾ってあったりするので、その隙間を埋めただけなので、広重や滝平の絵が茶の間の絵の仲間入りをしたとは、来訪する誰も気づかないかもしれない。
でも、いい。小生の好みなのだ。
古くて風呂も壊れたままの、耐震性も心配な家だけど、せめて家の中だけでも、心豊かに…なったと思いたいのである。
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コメント
「小生が昔、在住していた仙台や東京から家に小包で送った荷物の中に仕舞っておいた絵(フリードリッヒやワイエス、クレー、ロートレック、滝平二郎らの複製画)や、父が新聞店のサービスで提供された版画」
- 流石に正真正銘の親子ですね。微笑ましいです。私も絵画カレンダーを捨てずにおりましたが、先日埃を被るだけなので整理整頓に一斉に処理しました。場合によっては幾らか身軽になるのも良いですよ。
投稿: pfaelzerwein | 2010/10/10 21:43
pfaelzerwein さん
帰郷(引越し)の際に、悲しいほど、思いっきり身軽になりました。
蔵書だけじゃなく、美術書もほぼ全て処分したし、大半の絵の複製画も廃棄。
だから、こんな形でサバイバル(?)した複製画たちに数十年ぶりに再会して、ちょっと懐かしんでます。
束の間の慰安かな。
投稿: やいっち | 2010/10/11 21:37