モノは使ってナンボです(前編)
家の中の整理を延々と続けている。
かつては郊外に在する農家だったし、土地はあったので、平屋の家ながら(屋根部屋はあるが)、部屋数はある。
父の祖父の代からの家。
但し、前あった家は、蔵を除いて、戦災(空襲)で全焼した。
今の家は昭和30年近くに建てたものだとか。
つまり、築半世紀を優に越えている。
古い家らしく、家の中に立派な柱があるが、それでも、重みに耐えかねて、襖などの開閉が難しくなっている。
畳の部屋は、床が歪んでいるのが目で見ても分かる部屋がある。
そうでなくても、ちょっと歩くと、床面がよれているので、右に左に振られて、オリョリョとなる。
家の中の整理を父母の四十九日が過ぎたころから、ぼちぼちと始めている。
部屋数があるといっても、何十とあるわけじゃない。
それでも、押入れは数箇所あるし、廊下の奥や時に部屋の奥さえも、物置になっている。
小生もだが、父母も含めた昔の人は、モノを捨てられない。
大事にするという気持ちもあったのだろうが、いつかは使うかもしれないという思いがあって、とにかく取っておく。
スペースだけは余裕があるので、押入れに押し込み、廊下の突き当たりに追いやり、台所の隅っこに積み重ね、変則的な形になっている畳の部屋の出っ張った一角に詰め込んで、どんどん、モノがたまる。
中元や歳暮の箱(中身のない箱もあるが、手付かずの箱も一杯)、仕出し料理の器(見掛けは木製で漆塗りっぽいが、大概がプラスチック製)、ちょっと古くなった薬缶や鍋の類、化粧(包装)紙、風呂敷……。
古い写真(アルバム)や手紙・葉書類も、父(母)は全部、取っておく。
写真は理解できるが、封書や葉書類には、どこかの通信販売の案内書、通信教育のテキスト(契約書)などなど、意味のないものも。
父は自分への封書類や給料明細、給料の袋、手帳類だけじゃなく、母や小生の分も取っておく。
つまり、我が家宛に届いたものは、基本的に中身に関わらず、全て保存しておいたのだ。
びっくりしたのは、小学校以来の通信簿が全部、揃っていたこと。
出来が悪いと、自分では自覚していたが、それでも、少しは割り引いてもいいのかと思っていたが、通知表を見ると、出来の悪さが歴然としていて、愕然とする。
我が家で古いもの(半世紀以上)というのは、残っていない。
上記したように、戦災で全焼したから、残るわけがないのだ。
蔵は残っていたじゃないか?
残念ながら、蔵も燃えた。
ただ、土蔵みたいなものなので、形だけ、残ったに過ぎないのだ。
父母の話によると、朱塗りのお椀など、ほんの少々のものを持ち出すのがやっとだったという。
その土蔵の壁には、30年ほど前、補修して壁に鉄板を張るまでは、アメリカ軍の戦闘機グラマンで機銃掃射された弾痕が残っていた。
さて、家の中の整理も(屋根裏部屋を除き、一階部分に限れば)、ほぼ終盤を迎えている。
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