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2010/10/08

哲学の道から銀閣寺へ (続)

 哲学の道を逸れ、銀閣寺と続く、まさに観光地の道そのものといった小道を数分、歩く。
 入館料が不要だったらいいなと思ったが、そうはいかなかった。

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→ 麗らかな日で、哲学の道に沿う小川の陽だまりでは、水鳥たちが水中の餌(魚?)を漁っていた。


 払うくらいだったら入り口でやめて、どこか慈照寺を囲む竹やぶ(銀閣寺垣)の隙間から銀閣を垣間見られたら、それでいいんだけど、と思っていたが、そうは問屋が下さない!
「銀閣観音殿 御守護」というお札を買わないと中に入れない。
 そのお札には、「開運招福」とか「家内安全」と銘打たれていて、その札を銀閣の拝殿の所定の箱に収め、お払いをしてもらうわけである。

 今度、銀閣寺の庭園内を歩いてみて、銀閣は決して思ったほど貧相な建物ではないし、狭くはない園内にはいろんな建物が散在していて、やはり前将軍の(政治的機能も果たす)それなりの立派な寺なのだと感じた。
 昔の印象がウソのようだ。
 但し、金閣寺に対比される銀閣(寺)という期待で観光すると、落胆するかも、というだけのことなのだった。

 地元のある人の話によると、銀閣寺へ観光に来た中国人は、寺の質素さに怒り出す人もいるという。


 さて、偶然なのか、今朝、テレビ(NHK)を見ていたら、なんと銀閣寺のミニ特集をやっていた。
(東山)慈照寺銀閣寺は、町幕府8代将軍足利義政が、嗣子足利義尚に将軍職を譲り、憩いの場としての山荘を建てた。

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← 展望所からの眺め。背を遠望すると大文字山が見える(はず)。


 この山荘は、「1489年(延徳元年)に上棟された」という。
 詳しくは、「慈照寺 - Wikipedia」に譲るとして、番組での話しを大雑把に羅列しておく。

 銀閣寺は、「月見の館」と呼称されていたという。
 ある建物の中(一階)からは、季節に夜が、夕刻、庭園の中の池の向こうの山の端を登る月を二十分ほど、庇(屋根)に隠れるまで見ることができる。
 その建物の二階に上れば、さらに二十分、池の面に映る月影を楽しめる。

2008年(平成20年)2月から2010年(平成22年)3月まで、杮葺の屋根の葺き替え、柱や壁など傷んだ部材の交換、耐震補強、2階の潮音閣内部に黒漆を塗るなどの修復が行われた」のだが、その際、銀閣の二階から別の建物(現存しない)へ繋がる形跡が発見された。
 その今は無き建物から、明け方の3時過ぎ(?)まで、月を愛でることができたはず、という研究結果(計算上ではそうなる)が最近、発表されたという。


 以上、うろ覚えのメモで、情報に正確さが欠けるやもしれない。
 但し、10月9日にテレビで特集が予定されているとか。

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→ 錦鏡池(きんきょうち)越しの銀閣。

 そもそも銀閣寺と呼称しつつ、最初から銀箔が貼られた形跡がないことがわかっている。
 ではなぜ、銀閣寺なのか。
「外壁の漆が光の加減で銀色に輝いて見えたから」という説など諸説紛々らしい。
「月の光」の山荘である銀閣は、古色を増した江戸時代、くすんだ建物に月の光が照り映えて、いぶし銀の風格が漂い、金閣寺に対比して銀閣(寺)と呼ばれるようになったのかもしれない。
 

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