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2010/10/05

列車の旅あれこれ

 昨夜は早く寝ないといけないと思いつつ、ついゾラの小説を読み耽ったり、すぐ脇の書棚の隅っこに押しやられてしまっている我が旧著を引っ張り出したり、夜更かし。
 早く寝るはずが夜半を回ってしまった。

 そのうち、どうせ列車の中で仮眠くらいは取れるんだからと、開き直ってしまって、睡魔が襲ってくるまで、グダグダと読書やら、旧著をパラパラ捲るなどしてすごした。

 そう、今日は京都にある病院へ診察に行くのだ(もう、何回、京都へ行ったことやら)。
 富山に帰郷したのだから、富山のどこかの病院で治療を受ければいい、そう思っていたのだが、なかなか込み入った事情もあり、病院で、これまでの経緯もあるし、京都で(同じ先生のもとで)治療を受けたらと、それとなく(けれど、どうみてもあからさまに)勧められたのである。

 家庭の事情やら長引いている歯の治療やら近所づきあいなどもあって、京都へようやく足を運べたのだった。

 病院でのあれこれは、いつか機会があったら書くかもしれない。

 それより、今日は列車の旅のことを少々。
 といっても、書くほどのことはないのだが。

 朝の6時過ぎの列車に乗るつもりでいた。
 なので、目覚ましも5時にセット。
 前日のうちに、携帯電話やデジカメをしっかり充電。
 何を着ていくか(薄着か、ジャケットを用意するか)で、少々迷ったりする。
 何を持っていくか、も、問題である。
 といっても、携帯するのは、雨用のつば付きの帽子、列車中での仮眠用のマスク、老眼鏡を二個、新聞(無論、当日の朝刊を郵便受けから取り出して持参するわけである)、これらを入れるショルダーバッグ。
 このショルダーは、東京でタクシー稼業に勤しんでいたころ、仕事に必要な備品を持ち運ぶためのバッグ。
 家の中を整理していたら、東京からの引越し荷物の中に埋もれているのを発見し、埃を払い、せっかくだからと旅行に使ってみることにしたのである。
 
 まあ、いずれにしても、日帰りだし、着替えも不要だし、何を持っていくかでは迷うことはほとんどなかった。
 唯一、持参する本を何にするかで散々迷ったものである。
 そして迷った挙句、時間も夜半を回ってしまったので、半ば自棄になって、今、読んでいるゾラの『初期短編集』を持っていくことに決めたのだった。
 この本を持参するのを躊躇ったのは、本書が単行本で嵩張るからということもあるが、それ以上に本書を読了したら、次の返却予定日までに読む本がなくなってしまうから、という他愛もない理由なのだった。

 実際、往復の車中でとうとう読み終えてしまって、さて、今夜は就寝時に何を読もうと、今から悩んでいるのである(まあ、それこそ他愛もない悩みだが)。

 京都で一泊するつもりもなく、日帰りなので、準備で大童(おおわらわ)になることもない。
 それでも、久々の長距離の列車の旅(という言葉が相応しいか、大いに疑問だが)なので、目的がやや憂鬱なものであったとしても(受診・検査)、やはり心がわくわくというか勝手に浮き立ってくる。
 五時にセットした時間の直前、それこそ2分前に目覚め、すぐに起き上がった。
 トイレを済ませ、さっさと朝食をとり(といっても、バナナ一本とケーキ一切れという貧相なメニュー)、もっていくものをバッグに詰め…というところで、お腹がゴロゴロ鳴り出して、慌ててトイレへ駆け込んだりした。
 でも、すっきり!

 結局、列車の出発時間にあと二十分を切る間際になってやっと出発。
 幸い、雨が降らなかったので、自転車を駆って富山駅へ。
 六時前後だというのに、薄暗い。
 夜明けには間があるからなのか、それとも、曇天だからか。
 自転車のライトをオンにして走る、それも久しぶりである。
 
 こんなイレギュラーなあれこれがあるのが旅(旅だなんて、大げさな表現だが)の醍醐味(これもやや大げさな表現だろう)なのだろう。
 忘れ物をしては困るのである。
 朝の六時前後なのに、駅前は人影が多い。
 
 幸いなことに富山駅が始発なので、気持ちの上で余裕を持てる。
 富山から東京へ向かう際は、大抵が金沢(石川)が始発なので、座席指定でない限り、(自由席に)座れる余地があるかで気を揉む。そんな懸念も必要がないことは前日のうちに列車時刻表を見て確認済みである。
 座れるのは確実、こんな気が楽なことはない。

 ホームでも、のんびりゆったりした気持ちで列車の到着を待てる。
 自由席の列もそんなに長くはないので、順番待ちで列に付かず、みんなが乗るのを見計らってゆっくり乗っていく。
 席をどの辺りにするか。
 どんな場合も(選べる場合は)海側の席を選ぶ。
 東京へ向かう場合は、進行方向に対して左、よって京都(関西)方面だと、進行方向に向かって右側、というわけである。
 あとは、近くにお喋りな乗客が座ってこないかどうかだけが問題。
 これは残念ながら失敗だった。
 座ったときは、近くには誰も(煩そうな客は)いなかったのだが、出発間際になって、お喋りな小母さんの二人連れが間近の席に座ってしまい、最初から最後までお喋りのし通しだった。
 最悪である。
 男性の客だと、仮にお喋りをしていても、声があまり通らない。
 その点、女性は、そんなに大声でなくても、列車のゴーという音にも関わらず、声が通る!
 
 仕方なく、新聞を読んだり、眠くはないのに眠ろうとしたりしていたが、そのうちに開き直って、ゾラの小説を読み始めた。
 案外と読める。
 というより、ゾラの小説が面白いのだ。
 冒頭に所収となっている『テレーズ・ラカン』は、若干の構成上の瑕疵があっても、その叙述の力強さの故に傑作と思っていい作品である。
 ほかの短編も、趣向の面白さもあり、頁がドンドン捲られていって、とうとう往復の列車中で読了と相成ったのだった。
 しかも、敢えて途中で読む手を休め、窓外に流れ行く風景を愛で、あるいは朧な睡魔の誘惑に呑み込まれてみたりもしたのに、往復で一気に読み切ってしまったのだった。

 ゾラの小説は(ゾラに限らないが)、登場人物が少ないのがいい。
 小生の頭でもストーリーを追える。
 それとも個々の場面での表現のパワーが凄い。
 おばちゃんらのお喋りを圧倒するのである。

 列車の旅については、触れたいことがいっぱい、浮かんでくる。
 止まる駅ごとのホームの客たちのこと、出発駅、あるいは到着して降りた駅のホームや改札口、駅前の光景、駅の構内の雑踏をうろうろする、その戸惑いと先行きへの小さな不安と期待。
 車窓の風景、列車の振動、音、切符を確認に来る車掌、ホームの環境整備員の方々。
 
 やっぱり、旅は楽しいなー。

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コメント

明日は新聞休刊日ですね、弥一さんのんびりされてますか?
電車の旅、僕は中学校時代旅行研究クラブだったので懐かしい。
夜行で行ってみんなでユースホステルに泊まって、帰りは疲れるから、特急とか。
担任の先生にお土産買っていったり。
今は貨物線を特別に使った、鉄道企画が人気なのですよね、親子でいくのに楽しい。
ずっと前にかかったお医者さんが存命ではよかったですね!
僕が生まれた時から診てくれた先生は癌で亡くなりました、息子があとを継いでいるけど行く気持ちになれないや。

投稿: oki | 2010/10/11 23:00

okiさん

中学に旅行クラブがあるってこと自体、へえー、です。
楽しそう。
そういうクラブがあったら、入っていたかな。

でも、お金が掛かる?
貧乏なもので、つい、お金のことが気になる。情けない。

「僕が生まれた時から診てくれた先生」って、主治医(かかりつけのお医者さん)がいたってことですね。
体が弱かった?
なんだか、旅行クラブといい、リッチな気がする。

お医者さん、若い人に代替わりすると、ちょっと抵抗があるのかな。
お寺さんも、代が替わって若い人になると、しばらくは頼りない気がするね。

投稿: やいっち | 2010/10/12 22:16

かかりつけの医者ってつまりは町医者ですよ、弥一さんのような大学病院教授とは違います!けど大学病院も山崎豊子さんの、白い巨塔のような世界なのかな?
新聞も、休刊日は当社Webでって、ネットが速いに決まっている、それで社説では小沢氏は説明責任をってどこも同じ内容、これでは読者離れるだけ、週刊朝日のように、小沢起訴は無効である、と見出し見ただけで小気味良い。

投稿: oki | 2010/10/14 23:22

okiさん

新聞、無難で穏当で、その実、検察など当局のリーク(見解)には従順な記事を書く。
その分、江戸の敵を長崎でじゃないけど、週刊誌で鬱憤を晴らしている?

検察や、一部の方は、なぜか懸命になって小沢氏を追い落とそうとしている。
アメリカ側の(背後での)後押しがあるのでしょうか。

投稿: やいっち | 2010/10/15 21:17

新聞を批判したけど、新聞週間ですか、笑。まぁ朝日はAstand、読売はヨリモですか、有料でWeb展開してますよね、ネットと紙は共存できますかね?
新聞も広告とかいろいろ読んでいると面白いのありますね。
文通しませんか、なんて3行525円の枠に住所書きこむ人は何考えてるのかとか。
あ、書き忘れましたが、お坊さん、うちはかなりの金出したのに戒名は信士ですよ、今はイオンですか、金明解にする
システム作りましたが、普及してほしい。

投稿: oki | 2010/10/17 00:03

oki さん

イオン、いよいよお出ましですね。
http://www.aeonretail.jp/aeonlife/

父母の死は、小生には突然でしたから(遺言もない)、葬式は、地元の周囲のかたがたの言いなり。
自分の思想としては、葬式は心。決して形じゃない、と思っているのですが、葬式業者の言いなりになってしまいました。
我ながら情けない。
父母の葬式をどう形作るか、考えつくしていなかった結果です。

現代では、葬式仏教のきわみ。業者が香典や何かを全て取っていく。
やたらと形式ばかり、豪華に。

イオン方式が広まれば、というより、心のこもった弔いがいいなと思います。
なので、葬式では果たせなかった供養を、時間を掛けて、少しずつ実行していきたいと思っています。

投稿: やいっち | 2010/10/17 23:52

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