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2010/10/24

二つの「カササギ」作品から

 さて、今日、BSでブリューゲルの特集があり、食後の一服をブリューゲルの世界と共に過ごしていたら、彼の作品にも、「かささぎ」の登場する絵があることに、改めて思い出させてくれた。
 その絵というのは、『絞首台のある風景(絞首台上のかささぎ)』である。

Die_elster_auf_dem_galgen

→  ピーテル・ブリューゲル(父)(Pieter Bruegel the Elder)『Ekster op de Galg(Die Elster auf dem Galgen The Magpie on the Gallows 絞首台のある風景(絞首台上のかささぎ))』(1568年 画像は、「The Magpie on the Gallows - Wikipedia, the free encyclopedia」より) ブリューゲルの死の前年の作品。

 本作については、「ピーテル・ブリューゲル(父)■絞首台のある風景(1568)」が詳しい。
 田園風景を描いたものであり、画面の左側には、何かの祭りか祝いなのか、それとも日常の中の一齣なのか、農民たちが踊りに興じている。
 しかし、肝心の表題(?)の「カササギ」の姿が見当たらない…。

 と思ったら、いる、いる、画面のちょうどど真ん中に。
 絞首台の上に止まっている。小さくて分かりづらいが「カササギ」のようである。


 この作品は何を描いているのだろう。
 農民の居る田園の牧歌的な一齣。
 が、絵のど真ん中に絞首台が描かれていて、嫌でも絞首台に目が向く。
 中世のある時期の(一部の)ヨーロッパにおいては、絞首台は日常の中の点景だ、ということなのだろうか。
 明日は絞首台に農民の中の誰かが上るとしても、とりあえず今は平穏だし、幸せだから、その一瞬を楽しんでいる、楽しむべきということなのか。
 小生はたまたま今、トビー・グリーン著の『異端審問』(小林朋則 訳 中央公論新社)を読んでいる。
「宗教的大義よりも王権強化、植民地拡大といった政治目的と強く結びつき、過酷な儀式が長く続くことになったイベリア両国。後世の全体主義の先駆けとも言われる迫害制度の全容に迫る」といった内容の本だが、少なくともある時期までは、日常的なほどに拷問が行われ、自白が強いられ、火刑などに処せられるスペインやポルトガルなどの実情を垣間見ている。
 拷問(や火刑)は、初期の異端審問では当たり前に行われていたので、拷問(自白や密告)の恐怖が人々の間に浸透し、拷問するぞという脅しなどによる恐怖支配が権力の常套手段になった。
 
 本書で知ったのは、異端審問は、宗教的動機よりも政治的動機がメインだったということ。
 民族の浄化の通らざるを得ない道なのか。
 カトリックの信者かどうかを問われるが、それは段々口実になっていく。
 権力者の支配と統治を貫徹するための強力な武器が異端審問だったようだ。

 そんな本をたまたま読んでいたときに、テレビでブリューゲルの絞首台のある風景の絵を見たので、つい、何かしら書いてみたくなった。
 
 しかし、小生の絵の感想や感懐などより、実は、ブリューゲルのこの絵を見て、(一部はタイトルの「カササギ」にも誘発されたのか)、小生はモネの『カササギ』を連想してしまった。
 別に二つの絵がテーマや構図などの上で似ているというわけではない。
 モネが「カササギ」の絵を描く際、きっとブリューゲルの<カササギ(絞首台)>を脳裏に思い浮かべていた…と思ったわけでもない。

 ただ、両者の絵に共通点があるなと思っただけである。
 それは、二つの絵とも、描かれている「カササギ」がとても小さいこと。

 論より証拠、モネの絵を見てほしい。

Monet_pie00

← クロード・モネ(Claude Monet)『かささぎ(La Pie)』(1869年 89×130cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)) (画像は、「クロード・モネ-かささぎ-(画像・壁紙)」より。)

クロード・モネ-かささぎ-(画像・壁紙)」によると:

印象派最大の巨匠のひとりクロード・モネ初期の代表作のひとつ『かささぎ』。1868年暮れから妻カミール・息子ジャンと共に滞在したノルマンディー海岸のエルタトで制作された本作は、一面を雪に覆われた田舎の冬景色を描いた作品で、翌年(1869年)のサロンに出品されるも受理はされなかった作品としても知られている。本作で最も特筆すべき点は、画面の大部分を占める野原に積もった雪の描写にある。白色を多用する雪の風景は陽光と影の関係性やそれらが織り成す効果を探求するのに適しており、力強い大ぶりな筆触によって描写される青を基調とした雪の複雑で繊細な色彩表現など、本作にはモネの野心的な取り組みが顕著に示されているのである。また本作の名称となった画面右側の木戸に止まるかささぎの黒い羽は、白色や中間色が支配する本作の中で際立った存在感を示しており、絶妙なアクセントとして画面を引き締めている(ある種の緊張感を感じさせる)。

 いつもながら、簡潔な中に的を射た説明がされている。
 より詳しくは、「クロード・モネ-かささぎ-(画像・壁紙)」を覗いてもらいたい。

 小生は、以前、拙稿「クロード・モネ…「睡蓮」未満」にてモネを、そして本作を取り上げている。
 モネの作品の中で本作『かささぎ(La Pie)』が、素直に一番好きと言える。
 感想めいたことも上掲の拙稿にて呟いている。

 小生は、初めてモネの『カササギ』の絵を見たとき、絵の中にカササギがすぐに見つからなくて戸惑ったことを覚えている。
 木戸(?)の上の木枠の上に「カササギ」がチョコンと止まっているのを発見して、ほっとしたものだった。
 何ゆえ、この作品の題名が「カササギ」なのだろう。
 平穏な雪景色の絵。
 そんな中で木戸の上に止まるカササギは、塀の向こう側とこちら側の境界線上にあって、どちらの世界へでも自由に飛び立てるし、何処へ向かうべきかと、しばし思案しているようでもある。
 しばしの憩い。

 一方、ブリューゲルの田園風景の真っ只中の絞首台。
 その台の上に止まるカササギは、もしかしたら昨日にも誰かが絞首刑の憂き目に遭ったことなどまるで知らん顔である。
 しかし、所詮はカササギであり鳥なのだから、それはそれでいい。
 が、問題なのは、絞首台の脇でしばしの享楽のときを過ごす農民たちである。
 すぐそばに絞首台があるのに、そんなふうに浮かれていいのか、せめてどこかほかの場所を選んだら、と言いたくなる。

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→ トビー・グリーン著『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』(小林朋則 訳 中央公論新社)

 でもまあ、彼らにすれば余計なお世話なのか。
 昨日がどうであれ、あるいは明日がどうなろうと、今は幸せだったら、それでいいじゃないか、楽しく過ごすのに場所など選びはしない…。
 BSのブリューゲル特集では、あのカササギは作者のブリューゲルその人だという解釈を紹介していたが、さて。

 ブリューゲルも、モネも、「カササギ」にどんな思いを託したのか、小生には分からない。
 ただ、二つの作品に共通してカササギが小さく描かれている、だけど、何か妙に印象的だということ、そのことをメモしておきたくなっただけである。

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